So-net無料ブログ作成
前の30件 | -

「コミュ障なんです」と自分から言うな! [雑文]

最近、話もしないうちから
「あたし、コミュ障なんです」と言ってくる人が多い。

BBAは世間のことに疎いから、
はっ? 『コミュ障』とはなんぞや?って思うわけですよ。

皆さまもご存じの通り、『コミュ障』とは『コミュニケーション障害』の略です。

ついBBAは意地が悪いので、
「ということは、アナタどこかで、『コミュニケーション障害』と診断を下されたのですか?」
って訊いてみたくなります。

たぶん、そうではないでしょう。
自分で『コミュ障』であると宣言しているのですよ。

そこで私は、ちょっとムカっと来るんですわw
だってさ、こういう人ってたぶん、
自分と話が合いそうもない人に『コミュ障』ですっていって
線引きしてるんだよね。つまり「あんたとはしゃべれませんですわ」って、
言ってるんだよね。

本当にド失礼だと思います。
そういう場合、
「あ、そう? じゃあ、私とおしゃべりするの苦痛だろうから、失礼しますね」
っていって別の席に移ります。
そんなめんどくさいヤツの面倒なんか誰が見るか。

たぶん、こういう人間はプライド高いくせに、努力しない。

おそらく自分の得意領域のことなら、
何時間でも微に入り細に入りしゃべっていられるのでしょう。

ですが、自分に共通の接点がないと見極めるや、
こういうふうに宣言してしまうんでしょうね。

まぁ、はにかみやさんも本当にいるから二十代前半ぐらいだったら
わたしも多めに見ます。

しかしね、30も過ぎたいい大人が
「わたし、『コミュ障』なんです」って恥ずかし気もなく言うな。
みっともない。

実をいうと、私だって知らない人と話すのは苦手です。
しかし、こういうもんは、あらかじめ時事ニュース見るとか、
共通の話題って常に仕入れておけば、何かしら話は1時間ぐらいならできますよ。

話するのが苦手なら、せめて聞き上手になるとかさ。

とにかく、無為無策でボケーっとして何の努力もしない癖に、
「あたしって神経質で繊細だから」
と言ってはばからない。どこがじゃ!
こういう人は、どっか何かが欠如している!


コミュニケーションを円滑に進めるには、
やはり不断の努力が必要なのです。
はじめっからうまい人間なんかおらんわ!

BBAは怒っています!



nice!(3)  コメント(3) 

境界の旅人13 [境界の旅人]


 
 その晩、由利は試験勉強に余念がなかった。だいたいどの科目も四十五分単位で切り上げて次に移ることに決めている。そんなふうに時間配分をしたほうが自分にとって効率的だと思っていたからだ。
 そのとき由利は、ジャスティン・ビーバーの『パーパス』を聞きながら、ボールペンを使って新聞の広告の裏に英単語のスペルの練習をしていた。漢字とか英語のスペルというのは、実際自分の手を使って覚えたほうが確実にものになる。

「あれっ?」

 今、『acquaintance(知り合い)』という単語を書いていた。こういうcとqがくっついている単語はとかく間違いやすいので、結構念入りに書いて、身体に染み込ませるように覚えなければならない。だが途中で書いている文字が徐々にかすれていき、とうとうインクが出なくなった。
 ボールペンを持ち上げ、ペン軸を見るとほとんどインクがない。

「ああ、なんでこう調子が乗ってきているときになくなるかな」

 イラっとした調子でぶつくさとひとりごとを言った。由利には密かなこだわりがあって、ボールペンにはうるさい。だがそのこだわりというのは「自分にとって書きやすいか否か」という一点にあるので、見栄えやブランドなどは一切関係ない。このボールペンは自宅よりちょっと離れたファミマで売っていたものをたまたま買ったのだが、それがなかなか使い勝手がいいということに気づいた。それ以来、ボールペンはとりあえずそこで買うことにしている。

「ん? 今何時?」

 時計を見ると十時半。祖父はすでに床に就いている。

「仕方ないなぁ。気分転換に夜中のお散歩と行きますか」

 由利は近場にお買い物専用のミニ・バッグに財布を投げ入れると、物音で祖父を起こさぬよう音を立てないように階段を降り、そっと玄関の引き戸を引いて、外へ出た。
 ファミマへ行くと、まだ人で結構にぎわっている時間のはずなのに、めずらしく店員のほかは誰もいなかった。とりあえずお目当てのボールペンの赤と黒を二本ずつ買い、眠気覚ましのためにコーヒーマシンに氷の入ったMサイズのカップをセットしてコーヒーを淹れると、蓋をして店の外に出た。

「ん?」

 外が妙に明るい。
 空を見ると西の空はオレンジ色に染まっていた。太陽はまだ沈んだばかりのようだ。

「え、なんで?」

 由利は思わず、もう一度ファミマのほうへ振り替えると、ついさっきまでそこにあったはずの店舗が跡形もなく消え去り、現れたのは映画でしか見たことのないような古い京都の街並みだった。
 びっくりして思わず横軸を走る中立売通りを見ると、目の前をガタゴトと音を立ててN軌道の市電が自分のそばを通り抜けて行った。

「え、どうして? あたしったらまた変な世界に来ちゃった?」

 そしていつぞや三郎が教えてくれた通り、市電は堀川に掛かっている橋梁を渡って、あの道幅の狭い東堀川通りへと向かって行った。

「今いる時代はいつごろなんだろう?」

 仕方がないのでとりあえず由利は、元来た道をたどって自分が住んでいる家のほうへと歩いた。たしかに道は変わっていないのだが、現れた街の風景はまったく違う。
 どの家も黒い瓦に玄関の横の窓には黒い桟が取り付けてあり、なんとなく町全体が黒っぽくすすけて、陰気に見えた。すれ違う人はたいてい男の人はカーキ色の開襟シャツ着て、女の人は和服にモンペを履きその上に割烹着を付けていた。

「男の人の恰好って、戦争中に着るよう義務づけられていた、いわゆる国民服ってものなのかな?」

 通る人、通る人みな一様に背が小さく小柄で、男でも百七十センチある人はほとんどいない。逆にそういう人たちからすれば、由利は雲を突くような大女に見えるはずだ。しかも二十一世紀の現代に生きる女子高生らしく、由利はユニクロで買ったバミューダ・パンツにブラ付きノースリーブを着、その上にシャツを羽織り素足にはナイキのスニーカーを履いていた。だがこんなごくありふれた格好でも七十年以上も昔の時代にあっては完全に周りから浮いていた。
 ひとりの小さな男の子が由利のほうへ駆けよって来た。

「ギブ・ミー・チョコレート」

 たどたどしい英語でチョコレートをねだった。だが由利は、生憎アイスコーヒーの他には食べるものを何も持っていなかった。

「あ、ごめんね。今チョコレート持ってなくて・・・。あ、そうだ、これ、アイスコーヒーだけど良かったら飲んでみない? ミルクもお砂糖も入ってなくて苦いとは思うんだけど」

 由利は少しかがんで、コーヒーのカップが入った白いビニール袋を差し出した。男の子は黙ってそのビニール袋を受け取ると、誰にも横取りされまいとして、ぎゅっとビニールの持ち手を握りしめ、抱えるように走り去っていった。それを見て由利は、この時代に生きる子供の厳しさというものを、肌身を通して直接感じた。

「まだほんの小さな子なのに・・・。あんな必死な感じ、『飽食の時代』って言われているあたしたちの世代には絶対に見られないもんだわ。日本もかつてはこんな時代があったんだ・・・」

 しみじみとそう言うと、ふと立ち止まって考えこんだ。

「ということは、あたしが今いる時代は、第二次世界大戦直後の京都ってこと? さっきのおじさんはたぶん戦後の物不足のせいで他に着るものがないから、国民服を着続けているってことなんじゃないかな」

 由利は少し冷静になって、こう類推した。

「じゃあ、あたしが住んでいる家はどうなっているの?」

 興味に駆られて、由利は小走りになって家のほうへと向かった。
 由利がもとの世界で住んでいた場所にいくと、見知らぬ家が建っていた。だがよくよく観察すると、家の形自体は、由利が祖父と住んでいた家と変わりがない。一見違って見えたのは、たぶん七十年も時代が経つうちに、玄関や窓などを修繕したせいなのだろう。
 なるほどと思いながら、家のほうをうかがうと中からこの家の主婦とおぼしき女性が玄関から出てきた。

「たっちゃーん! たっちゃーん!」

 女の人は口に手を当てて誰かを呼んでいる。

「おーい、たっちゃん! 辰造!」

 由利は主婦が口にした名前を聞いてハッとなった。「辰造」は祖父の名前だ。

ーするとこの人は、あたしのひいおばあちゃんなんだー

 曾祖母にあたるはずの主婦は、じっと様子を見ていた由利に気が付いたとみえ、不審そうな顔をして頭から足の先までさっと視線を走らせたあと尋ねた。

「あ、あの・・・。なんぞうちにご用でもありましたん?」
「あ、いいえ。何でもありません。すみません」

 そうやって由利が急いでその場を立ち去ろうとすると、通りの角からひとりの小さい男の子が由利のいる方向へ駆け寄って来た。
 まだ幼稚園児ぐらいの小さな子だ。学生帽を被りランニングに半ズボンを履いて、足は草履をつっかけていた。

「辰造! もうすぐ夕飯だから、もう家にお入り」

 どうやらこの子が祖父の辰造らしい。由利は祖父の可愛らしい姿に少し頬を緩めた。

「いやや! もうちょっと遊びたい!」
「あかん! 早ううちにお入り」

 曾祖母は目の端でちらっと由利の姿を見ながら、祖父の両肩に手を回して、急き立てるように家の奥へと入って行ってしまった。たぶん曾祖母は未来から来た由利のいでたちを見て何者かを類推することができず、警戒したのだろう。



 複雑な気持ちを抱えながらも由利は、堀川通りのほうへ歩いた。すれ違う人、すれ違う人がじろじろと由利を見ていく。居心地の悪さといったらない。だがふと由利は、ここに来たばかりの頃に見たあの赤いレンガの建物の姿を思い出した。今行けばきっと何のために建てられたものなのかがはっきり分かる気がした。だからそのまま今歩いている横の通りをまっすぐ直進して、堀川にかかる橋に足を踏み入れた。すると今は橋の下が公園となっている川には、滔々と水が流れていた。

「ああ、昔の堀川はちゃんと水が流れていたんだね」

 そのまま、東堀川通りを南に向かって中立売通に向かうと由利の住む世界では見られない用水路が通りに沿って走っており、それが堀川に流れ込んでいた。

「へぇ、中立売通りって昔はこんな用水路があったんだ・・・」

 たかだか時間が七十年を経ただけだというのに、街の様子がこれほど変わってしまったことに由利は少なからず驚いていた。
 例の場所へ行くと由利が春に見たときのように、見る影もなく落ちぶれ果てた老貴婦人のような姿は、そこにはなかった。代わりに目の前に現れたのは、こじんまりとしているが化粧漆喰が施された瀟洒な洋風建築だった。
 戦争に敗れたせいで手入れもされず、荒んだ民家ばかりがある中で、華やかな赤い色のレンガが組まれたこの建物だけは周囲にひときわ異彩を放っていた。入口までのアプローチも土地を切り売りされて人がかろうじて通れるだけのみすぼらしい路地ではなく、堂々として大きな石畳が敷き詰められていた。

 かつてはその石畳を縁取るように色鮮やかな植物も植えられていたに違いなかった。だが戦時中は花を愛でようという気持ちも贅沢と見なされていたのか、植物も根こそぎ抜き取られたらしく、そこだけ土がむき出しになっていた。それが由利の目には痛々しく移った。

「この建物って本当はこんなに立派だったのね」

 ひとりごとをつぶやいたはずなのに、そのつぶやきに対して答えが返って来た。

「ここはな、市電を走らせるために建てられた変電所だったんだ」

 いつの間に現れたのかすぐそばに三郎が立って、由利と一緒に変電所を眺めていた。

「三郎!」

 由利はあっけに取られ、しばらくは声も出せずに呆然と突っ立っていた。虚脱している由利をみて、三郎はニヤリと笑った。

「これが作られたのはもうすぐ二十世紀も訪れようかっていう1895年。明治28年のことだ。日本で最初に市電が通ったのがここ、京都だった。蹴上発電所で発電された電気を利用して市電を走らせたわけなんだが、いかんせん距離的に遠いからな。だからここに変電所を設けたんだ」
「なぜあなたがこんなところにあたしといるの? それにどうしてそんなこと知ってるの?」 
「前にも言ったろ? 一度にふたつ以上の質問はするなって」
「だ、だって・・・」
「おれは、時間と空間がお互いに絡みあわないように、まっすぐ進んで行くのを見張っている。まぁ、それがおれの使命だ」
「誰に?」
「誰に? さぁ、それはおれにも解らない。ただ解っているのは、そういう使命を背負わされているってことだ」
「じゃあ、三郎。あなたは日本中、世界中の、えっと何だっけ、その、言うところの『時間と空間』とやらを見張っているってわけ?」
「そんなはずないだろ。おれひとりの力でできることなんぞ、たかだか知れている。世界中にはそれぞれの場所ごとにポイントがあって、おれのような番人がいるはずさ。おれは単にここの担当ってだけ」
「なんで以前、変電所を見ていたときに、そのことを教えてくれなかったのよ?」
「おれは他人の人生になるべく介入しない。介入すればその人が本来たどるべき運命が狂ってしまう。となると当然、歴史そのものも変わっていくだろうからな」
「人の運命って決まっているの?」
「人っていうのは、あらかじめ越えなければならない試練というものをきちんとプログラミングされてこの世に送り出されるもんなんだ。歴史が変わると本来その人が受けなければならない試練というものが受けられなくなる可能性があるからな。そうなっては生まれてくる意味がない」
「じゃあ、どうして今になって教えてくれるのよ」
「それはおまえが、本来は体験するべきはずのないタイムスリップをしているからに決まっているだろ?」
「あたしがタイムスリップするのは、どうして?」
「さあな。それはおまえがこの土地の感情になにか強く働きかけて、時空のひずみを引き起こしているのかもしれない。おまえが京都御苑で出会ったものたち、あれは普通の人間だったら、決して見ることができないものだった。同じ場所に存在しても、次元が違うんだ。同じ場所に異なる階層が重なっているんだよ」
「あたしが普通に暮らしている場所は、どういう階層?」
「ま、おまえらのことばで言えば『この世』なんじゃないの?」
「じゃあ、あたしが近衛邸であったあの化け物たちがいる階層は?」
「ああ、ああいうのは、本来死んだら次のステージに移行しなければならないのに、この世に未練や執着やらで固執しているやつらの留まっている場所さ」
「あなたはあの時、何をしていたの」
「ああいうやつらは放っておくと、グレるっていうかな。悪しき想念がひとつになり巨大化して『この世』に悪さをすることがあるから、時々ああやって機嫌を取ってやらなければならないんだ。ま、厄介なしろものさ」
「でも・・・あたしがこんな目にあったのは、京都に来てからよ」
「土地にも記憶があり、思念があるんだ・・・。おまえはそういう土地の感情を揺るがすような要因があるのかもな。特にこの辺は土地にパワーがあるから、なおさらだ」
「そ、そんな・・・」
「とにかく、おれはこういうことが度々起こって欲しくない。それでおまえをずっと見張って来たんだけど、あんまりこういうことが起きるとなぁ。ほら、ゲームにもバグってものがあるだろ? おまえゲームやったことあるか?」
「うん。ときどきなら」
「ゲームにバグがあると、時々想定外の誤作動が起こったりするだろ? チャージしていたはずのパワーがなぜか0%になっていたり、本来ならありもしない空間にゲームの中の登場人物が落ち込んだりするヤツ。もしそういうことになるとプレイヤーは下手すりゃ、はじめっからやり直さなきゃならない羽目になる」
「じゃあ、あたしが京都に来たことはゲームのバグみたいなものだっていいたいの?」
「まあね」
「じゃあ、三郎はあたしをどうするつもり?」
「おまえがこういうふうに何度も時空のひずみを引き起こすことになると、それを取り除かなきゃならなくなる。バグは本来あってはならないものだからな」
「じゃ、じゃあ、何? あたしの存在自体は間違いだっていうの?」

 由利は自分の存在自体が全否定されているような気がして、ヒステリックに叫んだ。

「まぁまぁ、そういきり立つな」

 三郎は由利をなだめようとした。だが由利の目からは、後から後から涙が溢れてくる。

「そうと決まったわけじゃないさ」
「でも今、三郎はそう言ったじゃないの!」
「判断を下すのはおれじゃない。それにまだ、そういうふうに命令が下されたわけでもない」
「誰が判断するの?」
「さあ、しかとは解らないけど、おれたちなんかより、はるかに高次元の存在さ。まぁ、安心しろ。高次元の存在っていうのは、人間みたいに非道なことはしない。まぁだからと言って、甘やかしてくれるわけでもないけどな。もっと理性的なものだ。人間の及びもつかない深い慈愛と思慮に基づいて判断は下されるものだから。どんな人間も生まれてきたことには、きちんとした理由があるものさ。もちろん、おまえだってだ。まずはそれを信じろ」
「じゃあ、あたしは否定されているわけじゃないのね。間違って生まれてきたわけじゃないんだね」

 由利は三郎に確かめるように訊いた。

「そりゃそうさ。だから今、おれが原因を探っている」

三郎は諭すように言った。

「さあ、おまえは元の世界へ帰れ。そしておまえの為すべきことをやれ」

 三郎は由利に命じた。

「帰るって言ったってどうやって?」

 ふたりは一条戻り橋の前まで来た。

「この橋はこの世とあの世を繋ぐ橋なんだ。昔からおまえみたいな人間っていうのは一定数いたらしいな。この橋はそのためのツールさ。そういう場合はこの橋を通れば、また元の世界に戻れる。さ、行くんだ」

 三郎の声にはどこか由利に対する憐みが含まれていた。それを聞くと由利の身体はいいようのないやるせなさに包まれた。

「三郎は?」
「おれのことは気にするな。さ、行け」

 由利は言われた通り、一条戻り橋を渡った。すると黒い家並みは消え、堀川通りの信号が青緑色に点滅しているのが見えた。通りには車が流れるように走っていく。
 振り向くと、やっぱりそこには三郎の姿はなかった。


nice!(4)  コメント(0) 

境界の旅人12 [境界の旅人]

第三章 異変



「ああ、あと二週間足らずで期末試験だねぇ。もう七月か」

 しみじみと美月が言った。

「ホントに早いねぇ、この間入学式をしたような気がするのに」
「なんだかんだで、あれからもう三か月が経っちゃったんだよ」

 ふたりは靴を履き替えると、自転車置き場のほうへ向かった。京都の街はバスなどの交通機関を使うよりも自転車のほうが、時間の融通も利いて便利だった。

「ねぇ、今から今宮神社の茅野輪(ちのわ)をくぐりに行かない?」
「え、いいけど。茅野輪って何?」

 由利はこの手の習俗習慣については何も知らない。ふたりの間には、すでに「教える」「教わる」という一定のパターンが定着しつつあった。

「茅野輪っていうのは、文字通り、茅(ちがや)っていう植物で編まれた大きな輪のことを言うのよ。今どこの神社へ行っても、たいてい入口に茅野輪が置いてあるはずだけどね。東京にだってあるはずだよ」
「東京に住んでいたときは、そもそも神社ってところに縁がなかった」
「ふうん、そうだったんだ。でね、一年のほぼ真ん中にあたる六月の末に、この輪を通ることで、正月から半年分についた厄を祓うのよ。これを夏越の祓えって言うんだよ」
「へぇ、よくそんなこと細々と覚えてるもんだね」

 つくづく感心したように由利が言った。

「あら、面白いじゃないの。興味あることなら、すぐに頭に入るものじゃない?」

 由利は美月の持論には、あえて逆らわなかった。

「そっか、じゃあ行ってみるとしましょうか?」

 今宮神社は京都市の北部紫野の地にあり、かなり大きな神社で大徳寺とも地続きだ。
 ふたりが今宮神社の境内に入ると、拝殿の前に竹で作られた鳥居の下に、大きく編まれた茅野輪が下げられていた。

「わ、大きい」

 由利が感嘆してつぶやいた。

「ね、来てよかったでしょ?」
「うん」

 由利がさっそく輪をくぐり抜けようと、スタスタと茅野輪のほうへと向かった。

「ちょ、ちょっと待った! 由利」

 美月は由利の腕をひっぱった。

「何よ、せっかく厄を祓おうとしたのに」

 美月が人差し指を振り子のように、チッチと左右に振った。

「くぐるにもね、作法っていうのがあるの。さあ、今からあたしと一緒にやるのよ。輪はね、八の字を書くように三回廻るの。…まずは正面に向かってお辞儀」

 こうなったら、四の五の文句を言わず、美月の言われた通りにすべきなのを由利は比較的早い段階で学習していた。

「それから左足で茅野輪をまたぎ、左回りで正面に戻る」
「今度は右足でまたいで、右回り」
「三回目は一回目と一緒で左足から」

 それが終わると、美月は拝殿に向かって手を合わせながら唱えた。

「祓いたまえ 清めたまえ 守りたまえ 幸(さきわ)えたまえ」

 由利は黙って美月がそれを言うのをそばで聞き、美月が頭を下げると一緒になってぺこりと頭を下げた。

「さて、これでよしっと。半年分の厄や穢れは落ちました」
「そっかぁ、よかったぁ」

 由利はそれを聞いて、少し気持ちが楽になった。本当にあの気持ちの悪い一連のことから解放されればいいのだけれど。

「ねぇねぇ、由利。せっかくここまで来たんだから、あぶり餅食べてかない?」
「え、あぶり餅って?」
「もう、由利って本当に何にも知らないんだねぇ。今宮神社と言えば『あぶり餅』はつきものだよ」
「えっ、そうなの?」
「さ、行こ、行こ!」

 拝殿から行きに通った立派な朱塗りの楼門の方向へ引き返すと、今度はそこを通らずに、東門のほうへと向かった。

「この神社ってなかなか立派だね」
「そうだよ。ここは八坂神社とか下鴨神社ほど有名じゃないから観光客にはあまり知られてないけど、とても古くて格式のある神社なんだって。何でも平安京ができる前からあったらしいよ。それにここは、もともと疫病を鎮めるために作られた神社でもあるんだよね」
「へぇ、そうなの?」
「うん。昔はどうも桜の花が咲くころに、疫病が流行ったみたいでね。『やすらい祭り』って花鎮めのお祭りが今でも残っているんだけどさ、きれいな花傘を立てて踊るんだよね」
「ああ、花笠を頭に被って踊るやつ?」
「それは頭に被る笠。今宮のは差す傘。大きな赤い傘に造花をつけて街を練り歩くんだよね」
「ふうん」
「それがいわゆる『よりまし』っていうのかなぁ。疫病はきらびやかなものに憑りつくと昔の人は考えたんだよね」
「へ~え、面白い」
「そう。だから花傘を振り回して、疫病を取りつかせてから、川かなんかに流したんだよね」
「まぁ、昔は今みたいに薬がないから、そうやってお祀りするしか方法がなかったんだろうね」

 由利はひたすら関心して美月の説明を聞いていた。

「今日は講釈はこれぐらいにして、さ、早く食べに行こ!」

東門をくぐると、きれいな石畳の道が伸びており、神社の門を出てすぐに道を隔てて両側に、ほとんど同じような店があった。軒先には、小さな餅を突き刺すための竹を細かく割いた串が、たくさん並べられて干されていた。

「えっとね、北側が一和さんで、南側がかざりやさんかな」
「どっか違うの?」
「ううん、違わない。だけど、うちは昔から食べるなら一和さんと決まってるんだ」
「ハハハ。京都の人間は窮屈じゃのう、いちいちそんなもんまで決まっておるのか。それじゃ、あえていつもとは違うかざりやさんに入ろうよ」

 由利はお道化て由利に提案した。



「おいしい~」

 ふたりはお店の人にお茶を入れてもらって、お皿に盛ってあるあぶり餅を頬張った。

「うん、この白みそダレが何ともいえず絶妙!」
「でしょ?」

 またもや、ふたりは顔を見合わせ、にっこりと微笑みあった。

「テスト前だから、部活もないし、たまにふたりでこんなふうにのんびりと、道草喰っているのも悪くないないね」

 由利が、串にささった小さな餅をしごきながらしゃべった。

「あー、今の由利を小山部長が見たら大変だわ」

 それを聞いて、由利は餅でのどを詰まらせそうになった。

「ちょっと、美月! 変なこと言わないでよ! 小山先輩がそこいるのかと思って一瞬、ビビったじゃないの!」
「あは、ごめん、ごめん。だけどさぁ、小山先輩って本当に変わった人だよね」
「まぁ、真面目な求道者って感じだと思うけど。別に言うほど変わっていないんじゃない?」
「ああ、由利がそう思うのはさ、他のお茶の先生について習ったことがないからだよ」
「ん、なんで?」
「あたしが中学にいたころ、部活で教えに来てた先生はね『お茶というものは頭で考えるものじゃなくて、感じるものなんです』っていってさ」
「何、それ? ブルース・リー? 『Don’t think, Just feel』まるでジークンドーじゃん」

 由利はアハハと笑いながら、茶化した。

「あは、何それ、マジウケる。違うよ。あたしが言いたいのはね、お茶ってたいていの場合は、小山先輩が教えるように教わらないって言いたいの!」
「じゃあ、本来はどうなのよ?」
「まぁ、割り稽古するじゃない、それでさ、いろいろと変わった所作があるでしょ? なんでこんなことするんだろうって思う所作がいっぱいあるじゃない? それを質問すると『質問しちゃいけません』『意味を考えてはいけません』って言われるもんなんだよ」
「ああ、部長はそういうことは絶対に言わないよね。一番最初の日に何をするのかと思えば、茶室じゃなくて視聴覚教室に行って、自作のパワーポイント使って『茶の湯について』ってガイダンスをしてたもんね」
「そうそう、まずお茶の起源に始まって、中世あたりの闘茶とか唐物荘厳の末に、京や堺の町衆が『市中の散居』と称して自宅の離れに庵を作ったのが『茶の湯』の始まりとかなんとか、滔々と説明してたじゃん?」
「そうだっけ? うん。そうだった。金持ちが屋敷の離れに掘っ立て小屋みたいなのを建てて、貧乏ごっこしているような話だったね」
「そうだよ。それから冬と夏では炉と風炉があって、お点前の仕方が違うとかさ、あと建水とか茶杓とか棗とかさ、一番簡単な『平手前』のときの茶道具の説明とかしてたじゃない」
「うん、そうだね」

 由利はそんなことは、当たり前じゃないかという顔をした。

「でもね、お茶の世界ではそういうことが、当たり前じゃないんだよ、普通は。ひとつひとつ歩き方がなってない、建水を持っている位置がおかしい、座る位置が変とかさ。注意ばっかりされて、終わるころには、達成感もなく疲労感だけが残ってモヤモヤしてくるもんなんだよね」
「へぇ、そういうもんなの? ン~、ちょっとヤなカンジ。意味もなく叱られると、不必要にビクビクするし、あたしなんか小心者だから緊張して何も考えられなくなりそう」
「うん。だけど部長はさ、『本来茶の湯の、どんなに取るに足りないような所作であっても、それは先人が考えに考えた挙句のことだ』っていってたじゃん?」
「うん。そうだね。そこには意味があるってよく言ってるよね」
「そう、例えば割り稽古のとき、茶巾で茶碗を拭くときに『ゆ』の字を書け、って言われたじゃない? それで誰かがついどうして、『ゆ』の字なんんですか? って訊いたじゃない」
「ああ、そんなことがあったね」
「そしたらさ、部長は『本来茶碗の底をきれいに拭き取ることだけが目的なんだったら、どんなふうに拭いたとしても目的を達せられればそれでいいはずだ』って説明したでしょ」
「うん」
「しかしどうすれば、目的も達せられて、傍から見ても充分に美しいと思える所作になるのかと試行錯誤した末、それは『あ』でも『い』でも『う』でもなく、『ゆ』の字を茶碗の底に描くのが一番動作としては柔らかく優雅に映るという結論に至ったんだろうって。例えていうなら、昔の西洋の男性が、目上の人に敬意をこめて頭を下げるときに、手をくるくると旋回させる『レヴェランス』を見てみれば、『ゆ』の字の意味がわかるって」
「もうさ、『レヴェランス』とか。あの人の言うことは、イチイチ芸術的すぎて、却って混乱するような説明だったけどね」

「それにさ、小山先輩は『人間は新しいことを、三つ同時に覚えて実行することは、不可能だ』ってよく言うじゃない? 最初は歩き方だけを徹底的に練習させられたでしょ。まずやっちゃいけないことを教えるのよね。畳のへりは踏まない。摺り足で歩く、歩く歩幅も色分けしたシートを作ってきてその上を歩かせたじゃない? それをスマホでビデオ撮影して本人に見せてどこが悪いのか、どういうのがいいのか実際に画像で見せて納得させるでしょ、ああいうのってすごっく合理的だと思うな。口で注意されるのは、本当のとこ、何を言われているのかよく理解できないことが多いしね」

「そうだね。部長はだいたい六割できたところで次に移行する。『一度には絶対に完璧に理解できないから、らせん状に習得していくべきだ』ってね。それに部長よく言ってるよね、『これまでの教え方は、たいていの子なら一年か二年で終えることができるバイエルの教本を、十年かけて終えるようなものだって。それが終わったなら、次にツェルニー百番やら三十番や、バッハのインベンションなどぎっしり待っているのに、それをやる前に人生が終わってしまう』って」
「言い得て妙っていうか・・・。でもたしかに、そうなんだよね」

 美月は感心したように言った。

「小山部長は無意識のもろさを力説するじゃない? 普段楽々と何の造作もなくできていることが、いったん緊張する環境下に置かれると、いとも簡単にできなくなってしまうって。そこで『自分は今、こう動いている』と認識しながら聴覚も視覚も使って、もっとゆっくり所作をすることが大事だって。そうすることによって脳のいろいろな部分で記憶させることができるからって」

 美月が机に肘をつき掌にあごを乗っけながら、思い出すように言った。

「たしか緊張すると、頭が真っ白になるときってあるもんね」

 由利も同意した。

「そういうときは、もちろんこれまでやって来た、熟練の程度もものを言うだろうけどさ、意識して自分のやってきたこと、瞬時に思い出すことも、案外役には立つはずだって」
「彼って何かって言うと、小山先輩ってピアノの練習方法とお茶を対比させるよね」
「うん・・・。聞くところによると小山先輩は芸大を受験するみたいだよ」
「えっ、音楽のほう? だからかぁ」
「うん、一度音楽室でピアノ弾いているのを見たことがあったけど、めちゃっくちゃ上手かった。たしかリストの『波を渡るパオラの聖フランチェスコ』って曲、弾いてた」
「波を渡るパオラ・・・? なーに、その小難しいタイトル?」
「うん、これさ、うちの親戚の音大行ってたお姉さんが弾いてたから知ってるんだけど、よくコンコールかなんかで弾かれる曲なんだって。ピアノ科の音大生が弾くにしろ、かなり難易度が高いみたいだよ」
「そっかぁ。たしかにピアノは、ふっと途中で忘れちゃったりして、詰まったりしたら大変だもんね。そういう魔の瞬間に自分が襲われたとき、自分をどう立てなおすのかを小山先輩なりに模索して出した結論なんだろうね。それを茶道にも活かしているのかな」
「うん、そうかもしれない」
「ふうん。じゃあ、小山先輩は音大のピアノ科を受験するのかな?」

 ふと由利は訊ねた。

「いやぁ、作曲に行くって小耳にはさんだ気がする」
「美月って何? 耳がダンボなんじゃないの? すごい地獄耳!」
「何よ、たまたまよ、たまたま。別に人のことをコソコソと嗅ぎ出そうなんて思っていないって」
「そりゃまぁ、そうだろうけどさ・・・。でも作曲コースへ行くのは解る気がする。あの人、すっごく理屈っぽいもん。楽理とかめっちゃ詳しそう」

 

 しばらくして美月が改まった調子で由利に言った。

「ねぇ、由利。ここに入学したばかりのとき、うちのお母さんが由利を乗っけて家まで送って行ったことがあったじゃない?」
「うん・・・」

 急に周りの空気がぴんと張りつめた。

「あのとき、うちのお母さんは何か由利のお母さんのことについて知っているようだった。気が付いていた?」

 由利はそれには答えず、じっと美月の目を見つめた。

「ね、お母さんに直接由利に会ってもらうように、あたしから取り計らおうか?」
「それって・・・」
「うん、それって、とにかくデリケートな話だろうから、あたしは同席することを遠慮する。由利だって、どんなことをうちの母親から聞かせられるのかわからないし、あたしがいたら嫌でしょ。知られたくないことだって、きっとあるはず。だから、うちの母に直接尋ねて」
「いいの?」
「うん、うちの母が知っていることなら、とりあえず答えてくれると思う。それにあたしは、由利にはそれを知る権利があると思うよ。それがたとえいいことであっても、悪いことであっても」
「うん・・・。ありがと、美月」

 帰り道、自転車を押しながら、由利は美月に話しかけた。

「そういえば、ここんとこ、椥辻君見かけないね。一時はずっと教室にいたのに」
「え、椥辻君? 誰それ?」

 美月はぽかんとした顔をして、問い返した。

「え、だってほら、弓道部を見学したとき、美月は、椥辻君と親しそうにしゃべっていたじゃない? 椥辻君は、室町時代から続く小さい流派の家元の息子だって話していたでしょ?」
「ええ? 何のこと? だいたい由利、椥辻君なんて、うちのクラスにそんな子いないじゃない? いや、あたしの知る限り、そういう名前の子は全学年にすらいないよ」

 怪訝そうな顔をして、美月は言った。それを見て由利は何と答えていいのかわからなかった。
nice!(2)  コメント(0) 

無縁のふたり 『どろろ』 [読書・映画感想]

Dw4ako1XQAIbYpi.jpg





みなさま、こんにちは。

今日もじっとりしています。

さて、私、二日にかけて新作アニメ『どろろ』を視聴いたしました。

私ね、昔、昔、テレビで放映されていた白黒アニメの『どろろ』ってリアルタイムで見ていたんですよ。まだ幼児の頃でした。

もう、白黒の画面が凄惨な陰影がある感じでねぇ、実際、妖怪が出てくる場面も怖いは怖いんですが、一番印象に残って眠れなかったのが、どろろの母親が寺で貧民を救済するために、炊き出しのお粥をふるまっているのに出会うシーンがあるんですよ。どろろの母親は粥を受け取る椀さえ持っていなかったので、素手で熱い熱いお粥を受け取るんです。

もう、何ていったらいいのかわかんないけど、可哀そうとかそういう甘っちょろい言葉で表現できないですね。もう本当にこの世の際を見てしまったっていう感じ。



この作品は五十年以上も前に執筆された手塚治虫の傑作中の傑作です。大人になってから改めて原作の「どろろ」を読んでみました。それにめっちゃ感銘を受けて、あたしはその後大学で中世の賎民史を主に学ぶことになるんですが。

手塚治虫の作品ってあの可愛らしい絵に騙されちゃうんですよ。いざ読みだすと実は結構グロい話とか、性について赤裸々に語られる話って多いんですよねぇ。あとこう、なんていうか業の深さみたいなものとかね。



どろろは見事にこの三つの要素が含まれていますね。

~~~~~~~~~~

で、要するにこの作品は、人口に膾炙されている誰でも知っている話なんですよ。

だから新しいアニメを作るにあたり、おそらく従来通りのプロットじゃ、周りは納得しないのですね。

そこで、この話はどう現代風に解釈するかっていうのが、結構、大事な要素かなって思いますね。

まず、父親が戦国武将の醍醐景光って人なのですよ。

今回の場所の設定がね、加賀の国のはずれということになっておりました。

へぇ~、なんか意外~。

私の中では、どろろの舞台はおそらく山陽地方なんではって思っていたんですよね、赤松とか毛利とかがいて、見える海は瀬戸内海。ですが、今回は北陸ということです。醍醐は朝倉と戦っていますので、おそらく時代は1560年あたり?かなとか。

で、設定がですね、百鬼丸の父親は、自分の野望のために、醍醐の領内にある地獄堂ってところに籠って、そこの鬼神と契約するのです。

「もしわしが天下を取るという野望をかなえてくれたなら、これから生まれてくるわしの子をおまえらにやろう」ってね。

それで生まれてきたのが、手足どころか、目も鼻も口も皮膚さえもない、蛆虫のようなわが子だったというわけです。

~~~~~~~

中世において「不具」というのは、どんなに身分の高い、それこそ天皇の皇子であったとしても、もうそれだけで不吉っていうか、触穢にあたるっていうか、捨てられなきゃならない運命にありました。

こうして百鬼丸は本来なら、お城の若さまのはずなのに、無縁の人となってしまう。

無縁の人というのは、自分の帰属するものが何もない人のこと。

どろろもそうです。彼(女)は、夜盗の夫婦の間に生まれた子です。だからどろろも所属するところがないという意味では百鬼丸と一緒で無縁の人。

で、こんな百鬼丸なのですが、原作では赤ひげみたいな医者に拾われて、教育を受け、自分の失われた身体を取り戻す旅に出るのですが、

新作になると、ちょっとこのシチュエーションが違うのかな。

原作の百鬼丸は、ちゃんと自分の意志を持った精神的に成熟し、思慮分別のある大人なんだけど、新作の百鬼丸はもっと無自覚なんだなぁ。

新作の百鬼丸は、五感が失われた代わりに、超感覚でもって世界を見ている(ゲームによくあるXレイーバイザーみたいな感覚を持っている)だけなので、閉じられた世界にいるんです。聞こえないし、見えないし、触感もないわけだから、教育のしようがないのよね。

ですから、なんというかな、百鬼丸は非常にイノセントです。素直だけど、善悪もわきまえないから、非常に残酷でもあるよね。ある意味、ずうっと赤ん坊のまま生きていた人とも言える。

妖怪退治していくうちに、ひとつひとつ、手足や本来人間として備わっているはずの感覚を取り戻していくのね。味覚とか、触覚とか、また聴覚とか。

そうなると、百鬼丸は素直に「心地よい」とか「おいしい」とか「きれい」なものに感動して、少しでも早く、完全な人間になりたいと思うんですよ。

どろろが「兄貴、空がきれいだよ」とか「もみじが真っ赤に染まっているよ」っていうんです。

でも、視覚がないのだから、想像もできない。だけど、どろろがこんなに感動しているのだから、いいものなのだろうなぁって想像はする。ああ、俺も早く見えるようになりたいなって。

なんかそういう純真さが、たまらなく哀れで愛おしい。



~~~~~~~~~~

もうひとつ、完全に原作を覆す設定がありますね。

それは、醍醐景光の野望というのは、なにも己ひとりのものではなかったということです。

息子ひとりを鬼神どもにくれてやったおかげで、醍醐の領地はしばらくは、戦もなく、飢饉もなく、国は栄え、領内に住む民たちは安寧でいられるんですよね。

ところが、百鬼丸が鬼神をひとり、またひとりと倒していくうちに、醍醐の領地は流行り病に侵されたり、イナゴの被害にあったりして、民は疲弊していくのです。

こうなるともう、なんていうのかな、もともと被害者だった百鬼丸は、醍醐側にとっては厄災以外のなにものでもなく、逆に民に被害をもたらす祟り神にほかならなくなるのですよ。

ここでね、価値の反転というか役割が入れ替わっているわけよ、原作はもっとシンプルに人間賛歌を謳ってるし、醍醐景光と弟の多宝丸は完全な悪役だったのね。

でも、新作は全くの悪者だった景光は、結構思慮深い領主と描かれているし、弟の多宝丸なんかも非常に聡明で、人に好かれる少年と描かれている。また多宝丸、百鬼丸共に容貌が酷似していて、しかも美女の誉れが高い奥方様の血が濃ゆいんですよ。

奥方は弟の多宝丸が聡明で美しくあればあるほど、まだ見ぬ失われた子のことを思い出してしまって、素直に息子を愛せないのです。

それに多宝丸もひそかに気づいており、母親の十全な愛を受け取れず、傷ついているのですね。

醍醐家は完全な機能不全に陥っている家庭なんです。



~~~~~~~

「民の安寧のため」犠牲にならなければならない存在である、とスパッと切り捨てられた百鬼丸なのですが、「生きたい」という強い意志に動かされ、結局は醍醐勢と対峙することとなります。

そうだなぁ、だから昔のように、勧善懲悪って話ではないです。

また物語は中世の農民たちの自治組織である惣村にまでふれておりまして、なかなか興味深い設定でした。

どろろの父親が残してくれた莫大な遺産は、戦乱で農村を追われた同じような浮浪児たちとともに、誰にも介入されない自分たちの自治組織である惣村を作るようにも思われました。



この世の中は光の中にも影が潜んでいるし、暗闇の中にもわずかな光が感じられる。

生きていくということは、完全に清らかなままではいられない。だから醍醐景光が悪い、百鬼丸が悪いと安直に決められない。

だけどそういう混沌とした世の中を必死で生きている命が非常に愛おしい、そんな話になっておりました。

狂言回し的な琵琶法師が言いますね。

仏と修羅の間を生きるのが人間だと。

~~~

余談ですが、どろろって本当は女の子なんですよね。

こんな戦乱の世の中ですから、両親は男の子としてどろろを育てたのかもしれません。

新作アニメのどろろは、幼いながらも自分の性をはっきり把握していたし、男女のことも知っていました。

どろろっていくつぐらいなんだろう?

ものの道理っていうのは、はっきりわかっていたから8つぐらいかなぁと思うんですよね。百鬼丸はそのとき16歳。

ってことは8つしかちがわないじゃないですか(源氏と紫の上と一緒)

七・八年経てば、どろろが15、百鬼丸は23。

おお、立派に夫婦としてやっていけそうじゃないですか。

無縁のふたりは孤独であるゆえに、すでに深く魂はつながっているように感じました。
nice!(4)  コメント(3) 

境界の旅人 11 [境界の旅人]

第三章 異変



 いつもはおとなしい由利が、人が変わったように、いきなり激昂したのを見て、常磐井を含め、まわりの人間は虚をつかれ、ぽかんとしていた。
 由利はとっさに立ち上がって、口を押えながら一目散に洗面所のほうへと走って行った。急に吐き気がしてトイレでゲーゲーと戻した。お昼食べたものはほとんど消化されていたので、ほとんど胃液しか出て来なかった。
 真っ青な顔をして女子トイレから出て来ると、出口付近で美月が心配そうな顔をして待っていた。

「由利・・・。大丈夫なの?」
「うん・・・。どうしちゃったのかな、あたし」
「もしかして、アレじゃないよね?」
「まさか! 違うよ、美月。そんなはずないでしょ。変な冗談言わないでよ!」

 美月の見当はずれな質問に、由利は少なからず気を悪くした。

「由利、今ね、うちのお母さんに車出してもらうように頼んだから」
「えっ、そんな悪いよ。わざわざ車で迎えに来てもらうだなんて・・・」
「いいよ。こんなときは、素直に人の好意に甘えるもんだよ」

 人の親切に慣れていない由利を、美月は叱った。だがそうやって親身に案じてくれることばが今の由利にはうれしく感じられる。

「うん、そう言ってくれるなら。ありがと、美月」

 

 四月の日も落ちて、辺りがうっすらと夕闇に染まるころ、ふたりは美月の母親の車を待った。しばらくするとマスタード色のゴルフが校門近くに止まった。そこからセミロングの髪にベージュのワンピースを着た女性が下りて来た。誰かを捜すように辺りをキョロキョロと顔を巡らせている。

「お母さん! こっちこっち!」
 美月が手招きすると、その女性は小走りになって駆けてきた。

「お友だちの具合が悪くなったんだって?」
「そうなのよ。ありがと、お母さん」
「申し訳ありません、お忙しい時間にわざわざ車まで出していただいて・・・」

 うつむいていた由利は、さらにぺこりと頭を下げた。

「いえ、いいのよ。遠慮しないで。ちっとも構わないわ。それよりどうお、具合は?」
「はい、だいぶ良くなりました」
「そう? 病院へ行ってみる?」
「いえ、一旦、家に帰ります・・・。ちょっと横になりたくて」
「それなら家に行きましょうか」

 美月の母親は、そう言いながら再びキーホルダーを手にすると、車のほうへ向かおうとした。

「お母さん、彼女があたしの新しいクラスメートで、名前が小野ゆ・・・」

 紹介しようと名前を言いかけた途端、顔を上げた由利を見た美月の母親の顔色が変わった。

「れ、玲子!?」



「まぁ、それにしてもびっくりしちゃったわぁ。一瞬目の前に玲子が立っているんじゃないかと思ったのよ。さすが親子ね、よく似てるわ。まさか美月が入学した高校のクラスメイトが、玲子のひとり娘だったなんて・・・。何という偶然かしら!」

 美月の母親は笑いながらハンドルを切った。美人の母親と似ていると言われて、由利は複雑な気分だった。

「うちの母をご存じだったんですね?」
「ふふ、ご存じも何も。小学校から高校まで一緒よ。親友だったわ」
「ええっ? 本当なの? お母さん、そんな大事なこと、どうして教えてくれなかったのよ!」

 美月が母親に向かってブツブツ文句を言った。

「だって、小野さんってだけじゃ、玲子の子ってわかりこっないでしょう? だってこっちは東京の学校へ行っていると信じているんですもの」
「そうですよね。小野なんて名前はありふれていますから」

 由利は美月の母親に助け船を出した。

「そうそう、そういうところなんて玲子にそっくりよ。玲子もよくそんな感じで私を助けてくれたわ」

 美月の母親は昔を懐かしむように言った。

「えっ? うちの母がですか? 信じられない。いつもあたしには小言ばっかりで。うっとしい母親です」
「まぁ、玲子も親となって自分の子を育てるとなったら、いつもいつも優しいばっかりではいられないでしょ。わが子なら、叱るのも親の務めよ。うちの美月なんかは、そりゃもう・・・」

 自分にお鉢が回って来て、美月はどきりとした顔をした。

「もう~、やめてよ、お母さん。今はあたしのことなんかいいから!」
「あ~、はいはい」

 この人は小さい頃から母のことを知っている。もしかしたら、辰造の知らない玲子のことも知っているかもしれない。もちろん由利には決して打ち明けることのない玲子の秘密も。この偶然と出会って、由利の胸は不安と期待で早鐘のように高鳴った。
 しばらく沈黙が続いてから、美月の母が口を切った。

「ああ、自己紹介がまだだったわね、由利ちゃん。私は加藤芙蓉子(ふゆこ)です。私のことはこれから美月のお母さんじゃなくて、芙蓉子と呼んでね」

 芙蓉子は美月と同じように、可愛らしい外見ながらも、しゃきしゃきとものを言う人間のようだった。

「それにしても月日が経つのは早いものね・・・。大きいお腹を抱えてきた玲子に会ったのは、ついこの間のことのように思えるのにね・・・」

 ワンテンポ遅れて、芙蓉子はハッと自分が不用意に口を滑らせたことに気付た。だがつとめて何事もなかったかのようにふるまった。改めて由利は芙蓉子が母の秘密の共犯者なのを知った。
 ほどなく車は由利の家の前で止まった。玄関先で連絡を受けたのか、辰造が心配そうに立っていた。

「ありゃりゃ、これはこれは! 誰やと思うたら、帯正さんとこの芙蓉ちゃんやったんか! わざわざ由利のために車を出してもろうたそうで、ほんま、すまんことでしたわ」
「まあ、小野のおじさん。何をおっしゃいますやら。小さい時は本当にご厄介になってばっかりでしたのに、最近はご無沙汰ばかりしてしまって」

 芙蓉子は辰造に向かって深々と礼をした。

「いやいや、そんなことちっとも構へんよ。忙しゅうしておられるんやさかい」

 口下手で実直な辰造は照れくさそうな顔をしながら、手を横にふった。

「それにしても由利のクラスメイトっちゅうんは、芙蓉ちゃんのお嬢さんやったんか。ちっとも気が付かんと失礼なことをしました」
「いいえ、私もさっき、由利ちゃんが玲子のお嬢さんだと知ったところなんです。ほら、今は個人情報保護法とかで昔のようにクラスメイトの名簿も配らないし、連絡するのも本人同士がスマホで連絡とるでしょう? 親もなかなか自分の子供がどんな友達と付き合っているのかは把握できないものなんですわ」
「まぁ、わしらには因果なご時世やねぇ」



 一通りあいさつが済むと芙蓉子は車の後ろの扉を開き、ぐったりと座っていた由利を身体を包み込むようにして道路に立たせた。

「あら、由利ちゃん。やっぱり顔色があんまりよくないわね」
「大丈夫か、由利」

 辰造も心配そうに尋ねた。

「由利ちゃんのように背の高い子は、循環器が身体の成長に追いつけないから、よくこんなふうに倒れたりするものなのよね。だけど吐いたっていうのがちょっと気になるわ。おじさん、差し出がましいとは思いますが、今夜一晩由利ちゃんをわたくしどものところでお預かりしても構いませんでしょうか? 年ごろのお嬢さんだから、実のおじいさまといえど、頼みにくいこともあるでしょうし・・・」
「どうする、由利? おまえさえそれでよければ、芙蓉ちゃんに甘えさせてもらってもいいんやで? わしに気兼ねすることなんかあらへん」
「はい、お気遣いありがとうございます。でもたぶん大丈夫だと思います」

 由利は小さな声で芙蓉子に礼を言った。

「そう? でも万が一のことを考えて、明日は府立医大の病院に検査に行きましょう。私が病院まで付き添うから。保険証を持って、八時二十分になったら出かけられるように支度をしておいてね」

 芙蓉子はおそらく東京で気を揉んでいるに違いない玲子に代わって、母親のように甲斐甲斐しく由利の面倒をみるつもりのようだった。



「由利、おかいさんでも作るか?」

 に二階で蒲団を敷いて寝ている由利の枕元に、心配げに辰造が来て尋ねた。

「ううん、さっきちょっと気持ち悪くなって吐いちゃったから、今はいいかな」
「そうか、それじゃほうじ茶でも淹れて持って来てやるわ。何か水分をとらんとな」

 祖父はそう言い残して、階下へ降りて行こうとした。

「おじいちゃん。心配かけてごめんね。あたしったら、部活動の勧誘活動が楽しすぎて、ついはしゃぎすぎたのね。うん、たぶんそれだけだから」
「そうか、でもまぁ、大事を取って静かに寝とき。具合悪うなったら、我慢しんと言うんやで」
「うん。ありがとね、おじいちゃん」

 トントンと祖父が階段を下りていく音が響いた。由利は弓道場でほんの一二分意識が途切れた時に見たビジョンを天井を見つめながら、思い返していた。

「あれは単なる夢だったの?」
 この間の妙に生々しいセンシュアルな夢といい、今日の突然の過去へのトリップといい、京都に来てからの由利は、かなり変だった。

「あたしはいつの時代かはわからないけど、十二単みたいな装束を着ていて、女御と呼ばれていた。その段で行くとたぶん、横に座っていた人は帝ね。だってあたしが中に入っていた女の人は『主上』と呼び掛けていたし」

 由利は自分の見たビジョンをひとつひとつ口に出して、整理しようとしていた。

「でもあのカップルは仲がよさそうでいて、実はそうでもなかったような気がする。帝の口調がどことなくとげを含んでいて、あの女御と臣下の男の間を疑って嫉妬しているような感じだった・・・」

 いかにも武官らしく巻纓冠(けんえいのかん)を被り、顔面の左右を緌(おいかけ)でおおい、帖紙(たとう)にくるまれた矢を背に抱いた、凛々しい男の姿を見て、女御が心の底から喜んでいたのを由利は知っている。でも巧妙に扇で顔を隠し、傍らの帝や周囲の人間に自分の気持ちを悟られぬよう細心の注意を払いながらだったのだが。
 たしかに女御とあの武官とは、ただならぬ関係のように由利には思えた。

「これって三郎と関係あるのかしら?」

 ふと唯は、妖怪たちから三郎に助けてもらったことを思い出した。
 それに常磐井のことも・・・。
 御簾の内から見た公卿の顔。彼の容貌こそまったく見知らぬ男のものだったが、女御である由利を見上げたあの目の色は―。

「あれは常磐井君の・・・? いや、まさか。そんな・・・」

 まるで姿かたちは似ていないのだが、あの男の切迫した目の表情は、常磐井をどことなく彷彿とさせた。
 最近由利は、常磐井のことを考えるとドキドキする。

 ―なぜだろう―

 ピンチを助けられて彼を意識しているうちに、感謝が好意に代わりいつしか恋情になるパターンが存在することは、知識として知っていた。ありえないことではない。今の自分もその恋愛パターンに陥っているのかもしれない。だが常磐井は親切心で助け起こそうとしただけなのに、由利はそんな彼を満身の力を込めて突き飛ばしてしまった・・・。

「どうしてあんなことしてしまったんだろう」

 由利は蒲団の端をぎゅっと握りしめながら、ため息をついた。


nice!(4)  コメント(8) 

境界の旅人 10 [境界の旅人]

第三章 異変



「じゃあ、オレたちは稽古があるから。これで」

 男子弓道部員は、弓道場の入口まで由利と美月を連れてくると、そこに待機していた女子弓道部員に引き渡した。
 ふたりは女子弓道部員に誘導されて、二回にある見学席へと向かった。

「えっと、入部希望ですか?」

 二階の階段を一緒に昇りながら、女子部員が少し怪訝な顔をして尋ねた。

「え、は、はい。少し興味があったので」

 本当は違う、と答えても良かった。だがそれでは、弓道部そのものを貶めているような気がしたので、一応ふたりはこの場では気のあるそぶりをした。

「あらぁ、変ねぇ。どうして男子ったらこんなに気が利かないのかしら?」

 女子部員はボソッとぼやいた。

「どうかされたんですか?」

 美月はすかさず訊いた。

「ええ。もう女子の練習は終わってしまったんですよ。これからは男子の練習が始まるんです。どうせ来てもらうんだったら明日でもよかったのにねぇ・・・」

だがそう言ったあとで、せっかくここまで足を運んでくれた由利たちに申し訳ないとでも思ったのか、こう付け加えた。

「でも男子が弓を打つのは、女子とは違って、矢の通る道は真っ直ぐだし、何といっても速いです。やはり迫力のあるものですから是非見て行ってくださいね」

 由利たちが案内された見学席から下の方を見下ろすと、二十人足らずの男子部員が射場の奥のほうに固まってきちんと正座していた。そこへ遅れて常磐井が入って来ると、皆のほうへ一礼してから末席ので正座した。するとそれまで静かだった会場のあちこちが少しざわついた気がした。

「今日は、練習というより、新入部員勧誘のための一種のデモンストレーションなんです」

 女子部員はふたりに説明した。

「あの、男子部員の方たちが右手に付けている手袋みたいなものは何ですか?」

 由利がふと気になって女子部員に訊ねた。

「ああ、あれは『かけ』って言います。弓を引くときは親指を弦に引っかけて、他の指で親指を押さえるようにするんです。で、かけには親指のところには木型が入っていて、弦を引っ張ったとき、指に食い込まないようにできてるんですよ。やはり弓を引くときは相当な力が一点に集中しますからね、かけなしではすぐに親指を痛めてしまうんです。ですからかけは、弓を引くときにはなくてはならない大事なものです」
「へぇ~」

 由利と美月が感心すると、女子部員は少し気をよくしたらしい。

「ほら今でもものすごく大事なものを『かけがえのない』っていうでしょう? あれは『かけ』から来ているんです。「かけ」の替えがない。つまり今使っている「かけ」しかないってことです。つまりそれこそがかけがえのない大事なものじゃないですか」
「そうなんですか!」

 由利と美月は異口同音に叫んだ。

「日常でも、私たちは知らず知らずのうちに弓と関連したことばって案外たくさん使ってるんですよ」
「たとえば、他には? 是非この機会に教えてください。知りたいです」

 ワクワクしたように美月が女子部員をせっついた。女子部員はそれを見て少しほほを緩めた。

「ふふ、そうですねぇ、私たち、普段『やばい』ってよく言いますよね?」
「はい、やばい。ええ、普通に使いますね」
「当たり前のことを言うようですが、弓は今でも歴とした武器なんですよ。もともとは人を殺傷するために使ったんですから。弓を放つ場所というのは『射場』と今は言うんですけど、昔は『矢場』と言ったんです。で、的から矢を抜くときは、一旦矢場から人を退かせるんですよ。そうしないと万が一、矢を放ってしまう人がいたりしますからね。そうなることを防ぐんですよ」
「はぁあ、そうなんですね」

 美月が相づちを打った。

「だから、矢場に人がいる、すなわち『矢場居』とは的場に入る人にとっては非常に危険な状態にある、ってことなんです」
「へぇ~」
「もうね、『手の内を見せる』とか『ズバリ』とか。そういった感じで日常生活に浸透していることばって結構あるんですよ」

 女子部員は笑いながらそう説明した。

「うわぁ、今のを教えていただいただけでもここに来てよかったって思います。本当に勉強になります。ありがとうございます!」

 美月は知的好奇心が満たされ、またキラキラした目で礼を言った。

「いえいえ、とんでもない。弓道って武道の中では一番女子に人気があるんですよ。もし今日の男子の演武を見て興味がわいたのであれば、ご足労ですけど明日、もう一度ここに足を運んでもらって女子の練習を見てもらうのが一番なんですけど」

 女子部員はやはり武道をたしなんでいるせいか非常に礼儀正しく、隙なくぴしりとした印象が残る。

「それにね、うちの部の流派は競技に勝つことより、儀礼とか精神性を重んじるんですよね。もともと神事から派生した流派なんです」
「神事から派生したって、どういうことですか?」

 美月は質問した。

「例えば、神社よく神社などで弓を射ることがあるでしょう? あれは神さまに捧げるものなんですよ。だからとても形には厳しいです。でもこれから見ていてもらうとわかると思うのですが、とても端正なものですよ」



 射場には本座と呼ばれる位置に、七つの白木白布の胡床(きしょう)が一列に等間隔に並べられていた。
 奥の控えで正座して待機していた男子部員のうち七人が立ち上がり、射場のほうへと向かって行った。
 よく見れば皆、弓道着におろしたての真っ白な足袋をつけている。そして左手に長い弓の先端である、上弭(うわはず)と言われる部分を地に向け、右手には二本の矢を手に携えていた。彼らは射場に足を踏み入れる前にまず一礼し、しずしずと摺り足で胡床の後ろを進んで所定の本座の位置につくと、皆同時に胡床に腰を下ろした。
 やがて「起立」の声と共に一斉に立ち上がり、「礼」という声にまた一糸乱れぬことなく頭を下げた。
 それから射手たちは一旦座って、また立ち上がり、また座るという動作を繰り返した。

「どうして立ったり座ったりを繰り返しているのかしら?」

 それを聞いて横の女子部員が苦笑しながら言った。

「これは座射(ざしゃ)一手っていう弓を射る形式です。射位といって、射場内の弓を射る位置のところで一度座って、矢をつがえ、その後立って矢を射るんです」

 それから射手たちは座りながらそれまで携えて来たふたつの矢を互い違いに持つと、再び立ち上がった。そして複雑な作法で後で矢を射るためのもう一本の矢を右手で持ちながら、矢を放った。

「うわぁ、難しそう。ただでさえ的に矢を当てるのに集中しなければならないのに」

 美月が遠慮なく思ったことを言う。

「すみません、勝手なことを言っちゃって。美月、そんなふうに茶化しちゃ失礼じゃない」

 由利が珍しく美月たしなめた。だが女子部員は笑ってとりなした。

「いいえ、構いませんよ。実際、あなたが言う通りなんです。弓道は礼儀を重んじますから、一般の大会、審査はこの坐射で行われるのが基本です。勝つために的に当てることばかりにかまけてこの練習を日頃怠っていると、いざ本番ってときに複雑な作法の手順に気を取られ、本来の目的である弓を引くことに集中できなくなるんですよ。だけどそうなってしまったら、それこそ本末転倒もいいところでしょう? だから試合で平常心を保つためにも、普段から常にこの作法を練習して、体にその手順を染み込ませることが大事なんですよね」



「中り(あたり)!」
「外れ!」

 審判員の声が辺りに響いた。

「ねぇ、弓道って『あたり』と『はずれ』しかないの?」

 美月がこそっと由利に訊いた。

「うーん、さあねぇ。まぁ、武道だからねぇ。アーチェリーみたいなゲーム感覚ではないのかもね。○か×かの二択しかないんじゃない?」
「そっか、生きるか死ぬか、それだけなんだね、たぶん」

 それを横で聞いていた女子部員がまた美月に解説した。

「弓道はね、競技として大きく分けると、近的(きんてき)と遠的(えんてき)のふたつに分かれます。今、おふたりに見てもらっているのは近的です。最近は競技と言えば近的がほとんどです。近的は射位から二十八メートル先の直径三十六センチの的を射ます。射る矢の数は大会によって異なるんですけど、だいたい二本から多くて十二本程度かしら。今おふたりがおっしゃったように、的に中ればどこに刺さろうとも○、外れれば×です。真ん中が何点といった得点的(まと)使われません。的に矢が数多く中った人が勝ちです」
「へぇ、そうなんですね」

 

 選手が二回交代したあと、常磐井が他の部員と共に射場に入って来た。とたんに女子生徒の黄色い声援が弓道場に響き渡った。

「あらぁ。常磐井君ったら新入部員のくせにもう女生徒にこんなに人気があるんですね」

 女子部員がやれやれといったように首を振った。

「常磐井君って新入部員なんでしょ? それなのになんでもう迎える側になってデモンストレーションなんかしてるんだろ?」

 美月はまた、ぼそっとつぶやいた。

「彼はね、すでに中学のときに弓道大会の中学生の部で個人優勝もしてるし、上位入賞を何度もしているんですよ。うちの上級生の部員にはそんな華々しい戦果を挙げた人っていませんしね。彼は特別です」

 常磐井は射場に入る前に一礼した後、定められた位置につくと、やはり他の男子部員と同様に複雑な作法で、矢を二本つがえた。
 大きく足を扇のように広げて床をぐっと踏みしめると、今度はゆっくりと視線を矢筋に沿って的の中心に移し、顔を的の正面へと向けた。それから両手で弓を頭の少し上あたりまで捧げ持った。矢と両肩の水平な線がきれいに並行の線を描きながら、両腕が大きく均等に左右に開かれギリギリと矢が引き絞られる。
 由利は常磐井から遠く離れた見学席にいるはずなのに、彼のすぐ傍らで見ているような錯覚にとらわれた。
 今、矢をまさに放たんとしている姿は、この上もなく静かだ。決して猛々しく叫んだり、大袈裟な身振りや動作で表現しなくても、緊張した全身の筋肉は力強く膨張し、内に秘められた闘志は青い炎となって全身を包んでいるようだった。
 満身の力を込めながら集中して狙いを定めると、矢は放たれた。

バァーン!

 放つと同時に右手が勢いよく後方へと放たれ、両腕が横に一直線に伸び、身体が大の字になった。
 矢を放ったそのままの姿勢が数秒続いた。
「中(あた)り!」

 どっとその場が湧いた。

「!・・・」

 気が付けば由利は両の眼はうっすらと涙の膜におおわれていた。だがなぜか急に額から、冷や汗がしたたり落ちた。

「すごい! ど真ん中に命中だ!」

 だが人々の喝采がくぐもって遠くから聞こえる・・・。
 それを聞きながらふっと由利は意識が薄れていくような気がした。



「皆中(かいちゅう)! 各々方、**さまが放たれた矢、二十本すべて皆中でござりまする!」

 やはり弓道場と同じく、人々の驚きどよめく声が聞こえる。

「なんと、また!」
「さすがじゃ! やはり天下に名のとどろいた豪傑にござりまするなぁ!」

 気が付けば由利はまったく別の場所に座っていた。



ーえっ? あ、あたしは・・・?ー



 由利は御簾が降ろされた大床に金や紅が鮮やかな繧繝縁(うんげんへり)の厚畳の上に座っていた。五色の飾り紐が付いた桧扇で顔の半ばまでかざし、身体が埋まってしまうほど幾重にも重なった襲(かさね)の色目も麗しいたもとの大きい着物を着ていた。

ー重たい・・・ー

 つぶやこうとしたのだが、口が自分の思うように開いてくれない。
 大床の前の庭には、弓を持ち片肌を脱いだ男が遠くに立っていた。どうもあの男が今、矢を放って的に当たったらしい。由利はそう推測した。
 だが肝心の皆中にした当人の名前だけが、どういうわけだが聞き取れない。

「ほう、女御、そこもとのひいきの**がまた、的中であるぞ」 

 由利は隣の男の声にハッとなった。横にゆっくりと顔を巡らすと、やはり同じような厚畳の上に座り、冠を付け直衣を着用していた。「女御」とこの男は自分を呼んだ。するとこの男は帝で、自分はその妃ということになる。

 天下に並ぶべくもない男にどう応えるべきかと考えていたのだが、今度は口から勝手にことばがすらすらと出て来る。

「まあ、主上(おかみ)。酷い言われようでございます。わたくしは主上の妃なれば、すでに身も心も主上だけに捧げて参りましたのに」

「はは、まあまあ。よいではないか。やつはそなたを自分の命を呈して、窮地から救い出してくれた男ぞ。もそっとうれしそうな顔をしてもよいと思うがの」
「そんな・・・。主上。もちろんそれは、うれしいともありがたいとも思うておりますとも」
「さようか」

 帝は女御の完璧すぎる返答にぽつりと返したきり、しばらく沈黙していた。が、持っていた扇でどこか苛立たし気にぴしゃりと膝を打った。

「しかしそれにしても一度も外さぬとは、ソツがなさ過ぎて小癪な奴じゃ。それでは今しばらく続けさせようかの。あと何回放てば、的を逸らすであろうのかの? のう、女御」

 女御は帝のことばの端々に弓を放った男に対する嫉妬がにじみ出ていることに気が付いた。そしてやんわりと取り成した。

「主上・・・。さりながらもうよいではありませぬか。ご自分の大事な臣下を、それ、そのように試すような真似をなさらずとも」
「ほれ、そこもとは何かと、あやつをかばい立てする。そこがどうも気に入らぬ」
「ほほ、お戯れもそこまでになさいまし。どうぞ、主上からも褒めてやってくださりませ。すべては主上の栄えのためでございますよ。今日の宴に花を添えてくれたのです。ほかの殿ばらではこうはいかなかったでしょうから」

 女は努めて声を抑えてはいるが、誇らしげな気持ちでいっぱいだった。女の身体の中にいる由利にはそれがわかった。

「おお、そうよ。**は朕にとってたしかに大事な男。そうじゃの。女御の言うとおり、朕からもねぎらってやるとするか」
「それでこそ、わが君さまでござります」

 女御は頭を下げた。

 それから女はそばに控えている女房にそっとささやいた。 

「さあ、**を御前に連れて参れ。主上からお褒めのおことばがあるゆえ。妾(わらわ)からも褒美を取らせよう」
「かしこまりました」 

 しばらくすると件の男は大床の前に現れ膝をついた。

「主上、参上いたしました」

 帝はそれを聞いて機嫌よく声を掛けた。

「**よ、ようやった。さすがじゃ。それ、褒美を取らそう」

 帝は自分が今着ている着物を脱いで、それをそばの女房に渡した。

「主上から御衣(おんぞ)を賜りました」

 取次の女房が帝から手渡された衣をまた捧げ持ち、その男に手渡した。

「これは身に余る光栄!」

 拝領された御衣を押し頂きながら、男は深々とこうべを垂れた。

「ほれ、女御、なにかことばをかけてやれ。女御が口を閉じていては、**も皆中にした甲斐がなというものじゃ」

 由利もこの女が胸を高鳴らせながら何を言うのだろうかと、じっと耳をそばだてた。

「このたびそなたは、類なき弓の技でもって畏(かしこ)くも尊い主上を寿いだ。まことにめでたくも天晴なこと・・・。九重(宮中のこと)も二重(矢が二十本皆中したこと)の歓びに包まれておりましょうぞ」

 静かに女はそう言った。

「ありがたきおことば、身に沁みましてでございます」

 またしても男は深々と頭を下げたが、ふいに御簾ごしに顔をこちらに向けた。当然のことだが、初めて見る顔だ。やはり武勇の誉が高いとはいえ、典型的な貴人の容貌だと由利は思った。
 だがその男の目を見た瞬間、由利は心の中で思わず声を上げた。

「あっ!」





「由利! 由利!」

 身体を揺さぶられて、由利はうっすらと目を開けた。

「美月・・・?」

 由利はまたもとの世界に戻ったのだとわかった。

「由利、気分はどう?」

 美月が心配そうに尋ねた。

「あ、あれ? どうしちゃったのかな、あたし」
「うん、急に様子がおかしいなと思ってたら、ふら~と椅子から倒れて失神してた」
「失神? どのくらい?」
「うん、失神って言ってもほんの一、二分のことだけどね」

ーたったそれだけの間にあれだけの夢を見ていたんだー

 由利は身震いした。

「大丈夫ですか?」

 さきほどの女子弓道部員もそばに駆け寄って、心配そうに見ていた。

「あ、大丈夫・・・だと思います」

 由利は後ろに両手をついて、上半身をそろりと起こした。

「今日はいろんなところに見学に行っていて、皆さんの活動が素晴らしいので感激しすぎちゃって・・・」
「そうだよ、由利は感受性が強すぎるんだよ。何でもかんでも感動しちゃってたからさぁ、テンション高くなりすぎて、身体がそれについていけなかったんじゃない?」

 しばらくすると常磐井が血相を変えて由利たちのほうへ駆けつけて来た。

「倒れたんだって? おい、大丈夫か?」

 そういいながら常磐井は床に倒れていた由利を抱き起こそうとしてかがんだ。だが再び、肩に常磐井の掌が置かれた瞬間、由利は一瞬だったが、体が青白く光る雷で貫かれたように感じ身ぶるいした。そして思わずその手を乱暴に振り払った。

「やめて! あたしに触らないで!」


nice!(3)  コメント(2) 

境界の旅人 9 [境界の旅人]

第二章 疑問



 ほかにも、地学部、生物部と理科系もあり、ブラスバンド部、そして京都ならではの箏曲部もあった。ふたりはさすがに食傷気味になってぐったりしていた。

「ほんとにこの学校、よくもっていうほど、いっぱいクラブがあるね」
「ほかにもダンス部やアフレコ部もあるのよ」
「クッキング部もある。ワンダーフォーゲル部も!」
「いやぁ。もうこれ以上はムリっ! 目が見ることを拒絶してるよ~。もう感動する心の喫水線を超えたよ、完全に!」
「たしかにね・・・。なんかアクション映画を続けて五本ぐらい見ましたってカンジ・・・」

 ふたりが校庭に面したベンチに座りながら、それでも上級生にもらったチラシにチェックを入れていると、向こうから鎧兜の衣裳をつけた一軍に出くわした。

「美月、あれ、何? なにかのお祭り?」
「シッ! 違うわよ!」

 美月は黙れといったふうに、くちびるに指をあてて素早くたしなめた。

「うわぁ、彼女、タッパあるねぇ。いいねぇ。ウチに入らない?」

 戦国武将は由利を見るなり大声で叫んだ。

「あら、こっちの子もカワイイね。お姫さまなんかぴったりだね」

 普通の時代衣装の装束とは違い、いかにもゲームから飛び出てきましたといった恰好をした部員が口を開いた。

「えっ、え? 何をする部なんですか?」
「あ、うちのはね、まだ部には昇格してないの。コスプレ同好会なんだ~」
「・・・コスプレ・・・」
「楽しいよ。やってみない? 衣裳は自分たちで作るから洋裁の腕は向上するよ。ビジュアル的な美しさが求められるからね、化粧もするから当然、化粧技術も向上するよ。それからかなり難しいポーズもとらなきゃなんないんだ。だから体幹を鍛えるために運動も必要だよ。なんたってコスプレは自分の身体で表現しなければならないからね。もちろん演技力も必要」

 青いカラコンをいれた戦国武将は、立て板に水としゃべり出した。

「自分の写真も撮ってもらう代わりに他の人の写真も撮るわけだから、カメラの専門的な知識も身に着けられるし、ひとつの作品が出来上がるまでには総合的な知識や能力が求められるし、柔軟な思考力もつくから、ここで培った能力は社会に出ても還元できるよ、どうお?」

 たしかにそう思ってみれば、コスプレといえど、一口では言えないほど時間と力と努力とがかかっているように思える。そして燃えるような情熱も。

「へぇ~。すごいです・・・」
「じゃあ、コスプレ同好会に入ろうよ!」

 かなり押しが強い。

「だけどもうちょっと他の部も回ってから、考えさせてください」
 美月はことばに詰まっている由利に代わって、京都人らしく「考えさせてくれ」と婉曲に断った。
「彼女たちぃ~、いい返事、待ってるからねぇ~」

 コスプレ同好会の上級生は、まったくめげることなくフレンドリーに大きく手を振るという戦国武将にあるまじき姿で見送ってくれた。態度と装束にギャップがありすぎてシュールだ。

「どうするの、由利?」
「ええ? どうするって・・・? もちろん入らないけど・・・?」
「お姉さんたち、あなたにロックオンしてたじゃない?」
「いやいや、たしかにコスプレも面白そうだとは思うよ。だけどコスプレするためにわざわざ東京くんだりから京都へ来たんじゃないもん」
「うふふ、そうなの? 断るの大変そうだね」

 美月はさもおかしそうに笑った。



 向こうから小柄な少年がズボンのポケットに手を突っ込んでこっちへ向かってくる。それを見たとたん、由利の身体は凍りついた。

「あ、あれは・・・三郎・・・」

 隣にいた美月は別段驚きもせず、あたかも普段親しく接しているクラスメイトのように、三郎に声をかけた。

「あら、椥辻(なぎつじ)君」

 美月が三郎のことを、当たり前のようになんの躊躇もなく「椥辻」と呼んだことで由利は驚いた。先日あんなにしつこく名前を聞いても三郎は決して口を割ろうとしなかった。なのにいつの間に美月は三郎とこんなに仲良くなって、しかも苗字まで知っているのだろう? 

「ああ、加藤さん」

 三郎はこれまで見たこともないほど親し気な笑顔を返した。

「椥辻君も部活を見学?」
「まあ、そういうわけでもないんだけどね。じゃあ加藤さんや小野さんたちも?」
「うん。一応茶道部に入ろうってふたりで決めたんだけど、一度、入部しちゃうと他の部がどんな活動をしているかわかんないから。見聞を広げるためにも一応できる範囲で、見学できるものは見学しておこうかなって思って」
「ああ、それはいいよね。いかにも加藤さんらしい」

 三郎はウンウンといった調子で同意した。

「椥辻君はどこの部に入るつもり?」
「う~ん、部活もしたくないわけじゃないんだけど・・・。実はうちはね、ちっさい流派なんだけど能をやっているんだよね」
「あら、すごい。お家元なのね?」

 美月は感心したように言った。

「いやいや、家元なんて。そんな大それたもんじゃないよ。普段オヤジは会社勤めしてるし、お弟子さんといっても二十人ぐらいの細々としたもんなんだけどね。ただ室町時代から続く古い流派なんで、絶やしちゃもったいないっていう理由だけで存続しているようなモンなんだけど。だけどこの間オヤジがぎっくり腰になっちゃってさぁ、舞えないもんだからね。代わりにおれが師範代としてお弟子さんたちを教えなきゃならないんだな。だから放課後はまっすぐ家に帰らなきゃなんないんだよね」
「へえ、大変じゃないの! お父さん、大丈夫?」
「うん、まあまあ。レントゲンを撮ってもらったら、さしたる異常もなさそうだし。日にち薬で良くなっていくんじゃないかな?」

 一体何のこと? 三郎は能の家の跡取り? あの子は天涯孤独の身じゃなかったの? 由利は頭がおかしくなりそうだった。

「うん、まぁ一時的なことだからさ。オヤジの腰がよくなったら、ぼくもどっか入ろかなぁと思ってさ。一応目星ぐらいはつけておこうかなって思ってね。わりと気楽に参加できるものに限られるけど」
「そうね。ワンダーフォーゲル部とかリクリエーション的な部活もあるわよ」
「ああ、なんかよさそうだね」
 しばらく間が開いたあと、美月が改めて感心したように言った。
「それにしてもねぇ。椥辻君が能をねぇ。すでに師範代として教えてるわけなんでしょ? すごいねぇ」
「まぁさ、小さいころからやらされてるからねぇ。でもさ、家の中のことしか知らないのもどうかと思うよ」

 三郎のあまりの豹変ぶりに由利は口も利くこともできず、ただただあっけに取られてそれを見ていた。



 そこへ稽古着に着替え弓を携えた常磐井が、連れと思しき何人かと一緒に男子更衣室から由利たち三人のところへ通りかかった。常磐井は三郎を目にすると、ハッとなって一瞬表情が険しくなった。急に群れからひとり離れて、ずんずんと由利たちのほうへ駆けて寄ってくると声をかけた。

「やあ、加藤さん、小野さん。これから見学?」
「あら、常磐井君。え、ううん。もう帰ろうかなって思っていたとこ。ちょうど椥辻君に会っちゃって。えっとあなたは弓道部?」

 ものおじしない美月が答えた。

「ああ、オレたち今から稽古なんだけど、よかったら見てかない?」
「ううん、わたしたちもう茶道部に決めたところなのよ。せっかく誘ってくれたのに申し訳ないんだけど」

 常磐井はそれでも執拗に引き留めた。

「そんでもいいじゃん、せっかくいい機会なんだからさぁ。弓道って高校生の部活としては思いっきり珍しいんだぜ? 記念にオレが弓をまっすぐに命中させるからさ、オレのシビれるようにカッコいい雄姿を見てってよ」

 いつも無口で、愛想のない常磐井がこんなふうに冗談交じりに茶化しながら誘ってくること自体、尋常ではない。裏に何かあると由利は踏んだ。

「おーい、おまえら、この子たちが見学したいんだとさ! 弓道場の方へ連れて行ってやってくれないか!」

 常磐井は他の部員に声を掛けた。他の部員は分かったといったように「おう」と一声叫んで、大きく手を挙げた。

「あ、悪いけど先に行ってくんないかな? オレもあとですぐに行くからさ」

 そして美月と由利を三郎からさりげなく引き離そうとした。

「さあ、あっちへ」

 常磐井は仲間たちがいる向こうのほうへ送り出すために、由利の背中に手を押し当てた。



「!」

 この感触!


 由利はめまいを感じた。
 あたしはこの手を知っているような気がする・・・。
 なぜ? ついこの間知り合ったばかりなのに?

「あら、常磐井君、どうしたの? 一緒に来ないの?」

 美月が訊いた。

「あ、オレさ、アイツにちょっと用があるから・・・」

 常磐井は名前を言わずに目で三郎を制した。

「ちょっと言い出しっぺが何よ! 常磐井君! すぐに来てよ!」
「おお、解ってるって!」

 由利は気になりながらも三郎に近づいて行った常磐井の傍から離れた。

 常磐井は辺りに三郎の他に誰もいなくなったことを確かめると口を切った。

「おい、おまえ、どんな魂胆があってここにいる?」

 常磐井は小柄で華奢な三郎を見下ろしてすごんだ。

「何のことでしょう? 常磐井さん。ぼくはただ加藤さんたちと話をしていただけだけど?」

 三郎はそんなことはまったく意に介していないというふうに、すました顔で受け流した。

「フン・・・。みんなは騙せても、このオレは騙せないからな。術を掛けただろう?」
「ああ、あんたも術にかかってくれない面倒くさい人間のひとりなんだね」

 フンと三郎は鼻で嗤って、挑むような眼で常磐井を見上げた。
nice!(4)  コメント(2) 

境界の旅人 8 [境界の旅人]



 放課後になると、由利と美月は連れ立って、校内の部活動の勧誘活動を見学しに行った。

部活動の勧誘は新入生が入学した次の日から五日ほど行われる。
 上級生はみんなそれぞれ趣向を凝らしたチラシやパフォーマンスを考えて、新入部員の獲得に懸命だった。

 桃園高校は、部活の種類の多さでは他の学校よりも断然群を抜いていた。一学年につき、八ホームもある。一クラスにつき四十名だから、一学年でも三百二十名。三学年全部を合わせると千人近くもいることになり、部員割れすることはまずない。またOB・OGが地元の老舗の経営者であることが多く、結構な額の寄付を募ってくれるので、資金が潤沢なこともひとつの大きな要因だった。

 由利たちはまず、入部する心づもりにしていた茶道部へ一番に見学しに行った。

 『茶道部』と張り紙がされている部屋は、他の教室とはかなり雰囲気が違う。引き戸を開けて入ってみると、飛び石がはまっている空間があり、つくばいがある。その奥に大きな和室があった。

びびってしまって入口のところで固まってしまっている由利の手を、美月は軽く引っ張った。

「由利、どうしたの?」
「う、うん・・・。な、なんか・・・入りにくい・・・」

 今の由利のように、おそらく茶道のことにはまったく心得が無い新入生を誘導するためにだろう、入口には茶道部員らしい女子生徒が二三人ほど立っていた。

「見学ですか?」

 優しそうな上級生は由利たちに訊ねた。

「あ、は、はい」
「じゃあ、あちらの和室へ行って座ってください。部長がお茶を点てますので、どうぞ飲んでいってくださいね」

 ふたりは言われたとおり、上靴を脱いで作り付けの式台の上に上がった。

 茶室の床の間はきれいに飾り付けられていた。壁には、まったく読めないがリズミカルな運筆で書かれた草書の掛け軸が下がっており、その下には竹籠に雪柳と黄色いフリージアが投げ入れられてあった。

 炉が切られたところにひとりの生徒がきちんと膝に手を当てて正座している。どうもこの人物が部長のようだ。しかも紋のついた着物に袴を着用しており、まさに正装。

 部長はなんと男子だった。

 だが結婚式やお祭りなどで着用している真っ黒な紋付き袴でなく、緑がかったグレイのお召しにこげ茶の袴が、今のお茶事という場にふさわしい、洗練された装いだった。

「あ、キミたち、ようこそ。さあさあ、どうぞ。遠慮しなくていいですよ。そこに座ってねー」

 男子生徒にしては柔らかすぎることば遣いに由利は少し違和感を持った。だがとにかく言われるままにふたりは、青畳の香りも清々しい茶室に足を踏み入れた。新入生は由利たち以外には、まだ誰もいなかった。

「ああ、足は楽にしてね。経験のない人がいきなり正座するのは辛いから」

 美月はきちんと正座をしたが、由利は無理をして後で足が痺れて立てなくなることを恐れ、男子生徒のことばに甘えて横座りをさせてもらった。

「ボクが今、お茶を点てますので、それを飲んでいってくださいね。それにもちろん、おいしいお菓子もありますよ。そのあと入部するかどうかを決めてくださって構わないし。もちろんお菓子目当ての冷やかしでも大歓迎。ふふ・・・。どんな出会いでも一期一会(いちごいちえ)という貴重な機会なんです」

 それから袴男子はことばを続けた。
「えっと・・・申し遅れましたね。初めまして。ボクがここの部長を務めます、小山薫です。それで・・・え~っと、あなたは・・・」

 小山はこれから点てる茶碗に柄杓でお湯を入れながら尋ねた。しゃべりながらでも、動作は流れるように淀みがない。あたかも宙に見えない動線の軌道があるようだった。由利は我を忘れて小山の動作を見入った。横に座っていた美月が、陶然としている由利をそっと肘でつついた。

「由利、由利! 部長がお名前は何ですかって訊いてらっしゃるわよ・・・」

 ひそひそと声を潜めて返事を促す。

「え、えっと小野です」

 人見知りの強い由利は、ちょっとはにかみながら答えた。

「あ、小野サンね。初めまして」
「で、お隣のあなたは?」
「あ、加藤美月と申します、はじめまして」

 美月はきちんと手をそろえて頭を下げた。

「加藤サンね。はじめまして。あなたはどうもお茶の心得があるみたいですね・・・違うかな?」

 さすがに小山は部長を務めるだけあって、一発で美月が初心者ではないことを見抜いた。

「あ、はい。お恥ずかしいんですけど、中学のときも茶道部に入っていました」
「ああ、そう。道理でね。おじぎがきれいだと思いました」

 袴男子はにっこりわらうと、そばで控えている女子部員のひとりにお菓子を持ってくるよう指図した。

「じゃ、田中サン、この方たちにお菓子を差し上げてね」

 由利と美月の前に菓子器がうやうやしく置かれた。

「茶道ではね、お茶を飲む前にお菓子をいただきます。これからお渡しする白い紙、あ、これ懐紙っていうんですけどね、それにお菓子を置いて、黒いようじみたいなので、切って食べてください」

 再び別の女子部員が、懐紙と黒文字をふたりの新入生のところに持って来てくれた。

「どうぞ」
「あ、ありがとうございますっ」

 薄灰色の釉薬が掛けられた菓子器の中には薄い紫と緑に色付けされたきんとんがバランスよく収まっていた。

「なんて・・・きれい」

 由利は思わず、菓子器と主菓子の完璧な色調をうっとりと眺めた。

「おや、ずいぶんと気に入ってくれたみたいですね。ハハハ・・・。うれしいです。これは今日の日のために、ボクが特別にあつらえたお菓子なんですよ。そんなに感激してもらえたんだったら、苦労した甲斐もあったというわけです。このお菓子はね、『藤浪』といいます。桜の次は藤の花・・・。お茶はね、季節感が大事なんです。さぁ、どうぞ召し上がってください」

 一口食べるときんとんの優しい甘さがふわっと口の中に広がって喉を通って行った。由利たちがお菓子を食べたころを見計らって部長が口を開いた。

「お稽古は週に三回。月・水・金です。割り稽古から始めます。そして週に一度、先生がいらっしゃいます。あとの二回は部員たちで各自練習。月に一度は部内だけで茶会形式の練習があります」

 小山部長はまた流れるような手つきで棗(なつめ)から茶杓で緑色の抹茶を取り出し、茶碗の中に落とした。

「この部は季節、季節にお茶会をします・・・。まずは五月には新入生歓迎のための茶会、八月には浴衣を着て茶会をします。九月は文化祭があるので、当然お茶会を開きます。そして炉切りの茶会、新年になると初釜・・・。三月はひな祭りと卒業生をお見送りするためのお茶会。要するに一年中お茶会をしていることになりますね」

 由利は渡されたお茶碗からお茶を一口飲んだ。茶碗は貫入が入っており、金色と薄いトルコ・ブルーが器全体に細かく吹き付けられていた。だが寒色系の色使いなのに、どこか温かい印象だった。由利がじいっと茶碗を見つめているのに小山は気が付いた。

「小野さん、このお茶碗、気に入ったのかな?」
「はい、とてもきれいで・・・」
「そう、よかった・・・。このお茶碗はね、布引焼っていいます。高校の部活で使う茶碗だから、そんなに高いものではありません。だけど春らしくていい感じでしょう?」

 部長は、今度は美月の分のお茶を茶筅で点てながらそう説明した。由利はすっかり小山に魅了されてしまった。茶室という非日常的空間に身を置いた小山の緩急自在な動き、絶妙な間合い。これはひとつの芸術だと由利は思った。

 もう自分にはこれしかない。

 由利は今自分がいる空間に酔いしれてしまった。

ここは一杯のお茶を飲むためだけの空間のはずだ。だがただそれだけなのに、どうしてもこうも心が満たされて幸せな気持ちになれるのだろう。今飲んでいるものは、たしかにお茶の粉を湯で解いた液体にしかすぎない。だが実はその中にはぎゅっと凝縮した美の精神が詰められている。

 由利は飲みながら、魂の栄養のためには必要不可欠な緑色の宝石を液体にして、身体に溶かし入れているような気がした。





 茶道部を辞したあとふたりは、講堂でしばらく放心したように合唱を聞いた。それまで聞いたことのない曲だったが、男声と女声は、音程が乱れることなくきれいに交じり合ってハーモナイズされているのを聞くのは心地よかった。

 あとはオーソドックスなところで新聞部、文芸部、演劇部、ESS部、美術部だ。

 由利が美術室の壁に展示されているデッサンをまたしげしげと食い入るように見ているので、美月が声をかけた。

「どうしたの、由利」
「うん、デッサンもいいなぁと思う。こんなふうにさらりと一本の線を描くのに、この人はどれだけの修練を積んだのかなって思って」
「由利ったら。さっきは茶道部であんなに感動してたのに。今度は絵なの?」

 美月は、由利が意外と感激屋なのに驚いたようだった。

「うん・・・世の中にはすてきなものいっぱいあるね。何で今まで気が付かなかったんだろうね」
「もう由利ったら、小山部長にクラクラだったもんね」
「ちーがーう! 何言ってんの、美月!」

 由利は顔を真っ赤にして、美月の背中をバンっと叩いた。美月はおやっという顔をして由利を見た。

「小山部長はそりゃあ、ルックスの上でも素敵な人だったよ。だけどそのことばっかに魅せられたんじゃない! あたしが一番感動して、絶対にお茶をやろうと決めたのは、あのお点前のすばらしさよ!」

 それには美月も反対しなかった。

「そうよねぇ。小山部長は、たしかになんかすごかったよ」


nice!(5)  コメント(2) 

『谷間のゆり』こぼれ話 [読書・映画感想]

わたくし、作品をめぐる秘話っていうの、結構好きで、本編を読むより、解説を読むのが好きだったりもします。

で、あるとき『谷間のゆり」の解説を読んでいると、

ナニナニ?

(谷間のヒロインのモデルである)ルイズ・アントワネット・ロール・ド・ベルニー夫人(1777-1836)はルイ十六世の宮廷付きハーピスト、フィリップ・ヨゼフ・ヒンネルと王妃マリー・アントワネットのそば仕えの侍女との間に生まれた娘である。

父は王妃のためにわざわざドイツから呼び寄せらえた楽人であり、母も王妃の寵愛が深く、ロールの洗礼式には王と王妃が代父母となって、ルイズ・アントワネットの洗礼名を賜った。

一七八四年(ルイズ7歳)父が早世し、母は再婚して、陸軍少佐レニエ・ド・ジャルジェイに嫁した。

王妃の側近の侍女と結婚したジャルジェイはやがて王妃の腹心の臣となり、大革命の勃発から恐怖政治の時代にかけて、王党派のもっとも献身的な闘士として活躍した。

彼は幽閉中の王と王妃を救い出すためにあらゆる手段を尽くし、その試みがついに失敗に終わった後は、ひそかに王の最後の命を奉じて、国外にあったルイ十八世に国王の印鑑と王室一家の遺髪を伝え、彼の妻は王妃の死に際して、その遺髪と耳飾りを贈られた。

フムフム。

「谷間のゆり」のヒロインのモデルはルイ十六世にゆかりの深い人であったのだなぁ~と読んでいて思ったのです。

それにしても、洗礼式に王と王妃に代父母になってもらう、ってすごいことだなァ。

ルイとアントワネットの名前をひとつずつもらって、名前は「ルイズ・アントワネット」!すごいなぁ。

で、そのルイズ・アントワネットはドイツ楽人の父親を亡くして、その後、未亡人になった母親は、王妃が取り結んだ縁でジャルジェイ少佐のところへ後妻へいくと。

・・・フーン。

ここまで読んで、何かピンときた・・・。

レニエ・ド・ジャルジェイ少佐?

ん?どっかで聞いたことあるような?んんん?

あ、これはもしかして「ベルばら」のオスカルのとーちゃんのことじゃあ・・・・。
ということは、オスカルと谷間のヒロインのモデルは義理の姉妹ということに・・・。
でもま、オスカルってたしか1755年生まれだったような?

22歳も離れているから、親子ほど離れているわね、当時の感覚じゃ。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

わたくしの中ではなんていうのかな、ロココの時代というとものすごく昔、ナポレオンの時代というと、あんまり昔じゃない、っていう気がするのだけど、

それは単なる感覚の違いであって、その二つの時代を生き抜いてきた人っていうのも、明らかにいるわけです。

たった10~20年の間のことなのに、一方の時代はえらく大時代がかってみえる、のはやっぱり意識の違いなんですかねぇ~


nice!(4)  コメント(26) 

境界の旅人 7 [境界の旅人]



 由利は二階にある自分の部屋となった和室で蒲団を敷き、身をその上に横たえていた。もう日付はとっくに変わっていた。
    眠ろうとしても日中のことが頭に残り目が冴えて、なかなか眠りに入れない。寝がえりを打とうとして止めた。隣の部屋では辰造が寝ている。バタバタ寝返りを打ってしまえば、いっぺんで眠れてないことがバレてしまう。ただでさえいろいろと気を遣わせているのに、これ以上心配をかけては可哀そうだ。
 堀川の川岸で三郎は夕日を逆光に浴びながら、何か物思いにふけっていた。
「あの子の正体は一体何なんだろ?」
 由利は納得が行かないと言ったふうにつぶやいた。
「御所へ桜見に行ったら、いきなり妖怪みたいなのに襲われた。そのとき、あの子は妖怪たちの間で舞を舞っていた・・・。じゃああの子は化け物の仲間ってことなの? ううん、違う。三郎は他の化け物みたいに変身もせず、襲われそうになったあたしを助けてくれた・・・。あれは何らかの理由があって、化け物たちをコントールしていたのかもしれない」
 由利は天井を睨みながら、さまざまなことを頭に巡らせた。
「夕方あたしはあそこで三郎にいろんなことを訊こうとした。だけどどれもこれも三郎は、のらりくらりとかわして、まともに答えてくれなかった。でもあの子、名前は不必要なものだって言ってた。あれはどういう意味? もう呼ばれることもないから、名前なんか要らないってことなのかな」
 自分の名前を呼ばれることもない環境とはどういうものだろう。どんな人間にも肉親であれ、育ての親であれ、親はいる。なぜなら生まれてすぐに立って歩ける他の動物と違い、人間は二足歩行をするようになって、未熟児として生まれることを余儀なくされたからだ。だから何もできない赤ん坊はそのまま放置されては生きていけない。親の庇護下に置かれていた赤ん坊は育つにつれ少しずつ親元を離れ、そこからじょじょに友だちを作り、長じるに従って自分の世界を拡げ、各々の人間関係を構築していくものだろう。だが三郎にはおそらく通常の人間のように帰属するなにものをも持たない。三郎のひどく孤独な横顔を由利は思い出した。
 
 ずいぶんと遠くまで来てしまったような気がしてな。

「あれってどういう意味だったんだろう。そういえば昔を偲んでいたって言ってた」
   まだ十五や十六で昔を偲ぶという感覚が由利には全くわからない。すると突然ハッと脳裏にひらめくものがあった。
「もしかして・・・実はあの子は見かけだけが少年なのだとしたら?」
 これまで由利は三郎を何らかのサイキッカーなのだと考えていた。普通の人間が見ることもないものを見ることができ、操ることができるような。だがそのような超能力者でなく遠い昔から連綿と続く時の中をひとりで生きてきたのだとすれば・・・?
   由利はその先を考えるのが怖くなって、無理やり目を閉じた。

   すっぽりと包まれるように知らない誰かに強く抱きしめられていた。
 気が付けば身に着けていた帯はすでに解かれ、はだけられた衿の中からやわらかな稜線で縁取られたほの白い胸がのぞいて見えた。片側の胸乳は大きく指を広げられた手に掬い上げられていた。すっぽりと相手の掌に中に収まっている乳房の先端は、感応して固く収斂されていく。ゾクゾクとした感覚が背中を伝って腰にまで及んだ。
「ああ・・・」
 思わず吐息と共に声が漏れ出てしまう。
「お慕いしているのです。誰にもあなたを渡さない」
 自分を抱きしめている男がそう耳元でささやいた。

 由利は目を覚ますと同時にガバっと飛び起き、被っていた蒲団をはねのけた。
「え? 何だったの、今のは?」
 由利は蒲団の端を冷や汗を掻いた手で握りしめていた。由利は一旦、深呼吸をしてから努めて冷静になろうとして、今自分が見たなまめかし過ぎる夢の分析をしようとした。
 認めたくはなかったが、これまでわれ知らず甘くうずくような夢を見ることはたしかに何度かあった。だがそれは、自分も性欲という本能を持った人間という動物であれば致し方ないことだと納得できる。しかしこんなふうに、生々しい夢を見るのは初めてだった。今でも身体に夢の男の手の触感が残っている。
「こんなことってあるのかな?」
 当然のことだが、ついこの間まで内向的な性格の中学生だった由利はこれまで好きになった異性もいなかったのはもちろんのこと、ましてや異性と深い関係になるはずもない。つまりその手のことはまったく経験がないのだ。それなのにこれは妄想の範疇を超えている。だがただの夢とも思えない。
   これは記憶だ、と由利は直観した。
   だがそれは、いつの記憶?
   それによくよく考えてみると夢の中の自分は、今の時代の人間ではなかった。
  
「入学したと思ったら、いきなり次の日は実力テストって、結構厳しくない?」
 お昼の弁当を食べながら由利が言った。
「まぁ、今のご時世、高校ってどこでもそうなんじゃないかな」
 美月は諦めたように言った。
「入学試験を突破したんだからさ、ある程度の実力なんてわかっているはずじゃないよねぇ」
 由利は四時間目の終わり間際に配られたプリントを開いた。
「これって成績上位者のプリントなの? こんなの配られるんだぁ。あたしこの中に入っているかなぁ」
「どうしたの、由利。妙に怖がっちゃって」
「だってあたし、かなり暴れてここに来たからさぁ。あんまりひどい成績だと親に申し訳が立たないっていうか・・・」
 由利はおそるおそる下の方から探していった。
「あー、あった。良かったぁ。かろうじて二十八位か。まぁまぁかな。んで・・・一位は誰かな?」
 由利は一番初めの欄を読み上げた。
「一位。国語、八十八点、数学、満点、英語満点、理科、九十九点、社会満点! すごいなぁ~。誰だろ、この加藤美月さんって・・・。え? え? もしかして美月なの?」
 美月は大してうれしくもなさそうな顔で答えた。
「たぶんこの学校に加藤美月って名前の人間は、あたししかいないと思うよ」
「すごいねぇ、美月って。一位だよ、一位」
「そんなの毎日毎日、わたしこそはって自己顕示欲の塊のガリ勉女子たちに囲まれて、しごかれていたら、こんなふうにもなるよ」
「美月の中学ってそんな進学校だったの?」
「まぁねぇ」
 由利は美月のおしゃべりを聞きながら、成績表を見ていたが、美月の次席にあたる人物の名前を見てハッとなった。
「ね、見て、見て。美月。この常磐井悠季ってこの間、あたしを助けてくれたあの背の高い人のことかな」
 美月はどれどれと由利の渡してくれたプリントをのぞき込んだ。
「うん、一年三ホームって書いてあるから間違いないんじゃない?」
「へぇ、常磐井君って結構ぞんざいな口を利いていたし、不良っぽい人なのかと思ったら、案外勉強もできるんだ」
 由利は意外といったふうな顔をした。
「うん。由利は東京から来たから知らないだろうけど常磐井君ってさ、結構レベルの高い中高一貫の男子校からここにきたみたいよ」
「へぇ~。中高一貫校から何でまた?」
「まぁさ、あの子も反逆児っぽいからさ。親や先生の言われるままに唯々諾々と従うのが嫌だったんじゃない? そりゃあね、頭が柔らかい若いうちにできるだけ勉強しておいたほうが、その後の人生においては有益だと思うけどね、だけどそれも程度問題なのよ。あたしたちの親世代って、何ていうのかな、権威主義的というのか、学歴信仰が半端ないっていうか」
 美月は弁当箱に納まっていた卵焼きを食べながらぼやいた。
「そりゃあね、お勉強ができることはさ、嫌なことでも我慢して努力できますってアピールできる材料になるとは思うけどね。ま、就職には学歴は必要かもしれないけどさ、おそらくそんときだけだよね。あとは本当の実力というか、人間力だよ。学ぶってことは、ただ教科書を丸暗記することじゃないよ。だから成長する過程で身に着けなきゃならないこと全てを犠牲にしてまで、受験勉強だけに打ち込む方が、むしろ社会生活を営む上で弊害を招くと恐れがあるよね。知らないことがありゃ、とりあえずはググればいいわけだし。今の時代、何も稗田阿礼みたいに何から何まで暗記してる必要なんかないんだよ」
「うん、あたしもそう思うな」
「でしょ、由利。マニュアル通りの硬直した考え方しかできない人って不幸だよ。世の中に出たら、それこそ柔軟な思考が求められるのに」
 とは言え、美月も由利も結局のところ、まぎれもなく受験秀才だった。

「ね、由利。立ち入ったこと、訊いてもいい?」
「いいよ」
「あたしの質問が不愉快だったら、答えないで」
「ううん、大丈夫。遠慮しないで訊いて」
 だが由利の顔は、緊張でこわばっていた。
「ひとりで東京からわざわざ京都に来たんだよね、由利は。なんで?」
「ああ、そのことか。うん、話せば長くなるんだけど・・・。うちは母子家庭なんだよね」
「ご両親は離婚されたの?」
「ううん。うちの母親は最初っからシングル・マザー」
「へぇ。なんか悪いこと訊いちゃったのかな、あたし」
「ううん。別にいいよ。ママ・・・いや、あたしのお母さんはね、もともとここの高校のOGなんだけど、なんかめちゃめちゃ頭がよかったんだよね。お母さんってさ、遅くにできたひとり娘だったんだって。それでおじいちゃんとおばあちゃんは、お母さんをずっと手元に置いておきたかったみたい。それで女はどっか地元の女子大の家政学部にでも行って花嫁修業でもしたらいいみたいな考えだったらしいんだ。だから東京の大学進学については大反対でおじいちゃんたちと相当もめたらしいんだよね」
「まぁ、昔はさ、今なんかと違って、どんな場合でも親の立場のほうが強かったんだよ。女は学問なんかせずに早く嫁に行って夫を立てろみたいな風潮だったらしいしさ、ま、時代もあるよ」
「でも、そこからがうちのお母さんのすごいとこでさ。普通はさ、やっぱり学習塾ぐらい行くじゃない? だけどお母さんの両親は東京に進学することに反対しているじゃない? だからお母さんは、自宅で受験勉強しただけで帝都大の工学部を一発合格したんだよ」
「帝都大の工学部? すっげー。賢い!」
 秀才の美月も大きく目を見開いた。
「そうなの。あたしもすごいと思うよ、わが母ながら」
「それでさ、なんの支障もなく院まで行って、それからフランスの研究機関で働いていたんだよ。そこまではもう順風満帆を絵にかいたような感じなんだよねぇ」
「うん、それで?」
 美月は目を輝かせて訊いた。
「だけどさ、そこからお母さんは人生に大きくつまずいたんだよね。しかもそのつまずきの元がこのあたし」
「そんなの、由利にはどうしようもないことでしょう?」
 美月はちょっと怒ったように言った。
「あたしさ、みんなの前でフランス人のハーフだって言ったけどね。あれって半分本当で半分は嘘」
「え、どういうこと」
「お母さんはあたしがどんなにお父さんはどんな人なのって訊いても絶対に教えてくれないんだよ。で、一夜限りの相手と致したら、あたしができたっていうんだよね。なんでも相手はムスリムの男だったって」
「まぁ、それでも・・・フランス国籍だったらフランス人ではあるよね。嘘じゃないじゃん」
「でもみんなが頭に思い浮かべるような金髪碧眼のシャルルとかピエールみたいな名前の父親じゃなかったわけよ。それでね、あるとき自分の父親の名前ぐらい知る権利があるってしつこく訊いたらさ、ファルーク・バルサラだとかしれっとした顔で言うんだよね、うちのお母さん」
「やぁだ、なぁに? それってクィーンのフレディの本名じゃない? マジウケるんですけど」
「そうだよ。あたしそれ知らなくて、中学の友だちにそれを言ったら大笑いされちゃってさ。すごい恥をかいちゃったよ」
「うはっ。なんか気の毒~」 
 美月はもはや笑って済ませられない由利の状況にもあえて、ハハっと声をあげて笑ってくれた。
「でもさ、お母さんって本来生真面目で潔癖な性格だからさ。そんな一夜限りとか、行きずりの恋とかそういう軽はずみなことする人にはどうしても思えないんだよね」
由利はちょっと憂鬱そうに答えた。
「ふうん。まぁ、でも男と女の仲には、理屈では説明できないこともあるだろうしなぁ」
 美月は解ったようなことを言って由利を慰めた。
「うん、少なくともお母さんにとっては、あたしの父親のことは娘のあたしにさえも教えたくないほど、苦い思い出だってことだけは分かったよ」
 由利は、はぁとため息をついた。
「でもさぁ、由利。娘だからこそ言えないこともあるんじゃないかな」
 美月は励ますように由利の手をぎゅっと握って、ささやくように言った。
「まぁ、それでもよ、たとえあたしが、苦い思い出になった男との間にできた娘だったとしてもよ、お母さんは一生懸命あたしを愛して育ててくれた、そこは紛れもなく本当。だけどさ、お母さんは頭良すぎて、こう、どう言ったらいいの、できない人間の気持ちがわからないっていうか、あたしだってさ、一生懸命自分の気持ちを説明しようとはしたんだけど・・・。なんてか、次元の違う永遠に交わることのない二直線って感じで、分かり合えないって言うかぁ。そもそも感性が違うんだよね。最終的にはいっつも命令する側と従う側の関係しか構築できないっていうかなぁ。だからお母さんもあたしに命令するのにほとほとうんざりしたみたいで、そのうち年下の恋人を作っちゃってね。週末になると出かけるようになって」
「へぇ、由利のお母さんって大胆」
「まあね、でもお母さんって、娘のあたしが言うのもナンなんだけど、四二歳とは思えないほどキレイだしね。一種の美魔女なんだよねえ。はたから見ていても周りにはお母さんのこと、好きなんだろうなぁって男の人はホント多くて。それはいいんだけど、お母さんを見てると本気で今の相手に惚れているようには、とてもじゃないけど思えなくて・・・。生きる情熱を掻き立てるために、あえて自分をそういう状況に追い込んでいるとでもいうか・・・。そんなふうに懸命に自分を奮い立たせているのを見てるのが、たまんなく辛くなってきちゃって」
「そうかぁ、いろいろあったんだね、由利」
「うん。ごめんね、美月。なんか暗い話になっちゃって。でも美月に話せてよかった。気持ちがだいぶ軽くなった」
「ううん、いいよ。教えてっていったのは、あたしのほうなんだもん。辛い気持ちをひとりで抱えていたんだね。あたしはそんな目に遭ったことはないけど、でも想像することはできるよ」
「ありがとう。ちょっと怖かった。軽蔑されるんじゃないかと思ってたから」
「まさか・・・。由利はちっとも悪くない。誰だって間違いのひとつやふたつあるでしょ? それに由利のお母さんって立派じゃない? なんだかんだ言っても、誰にも頼らずちゃんとひとりでも責任をもって由利をこの世に産み出してくれたんだし。もっと利己的で自分ばっかり可愛い人間なら、何のためらいもなく中絶すると思うけど」
「まあね。そうかもしれないね」
 美月はしばらくしたあと、話を変えた。
「ね、由利。今日、学校の放課後、新入生への部活の勧誘があるよ。どう? 一緒に行ってみない?」
「部活か。いいね」
「由利は中学のとき、部活してたの?」
「うん」
 ちょっと由利は気の乗らない返事をした。
「なになに、部活のキーワードは、また由利の黒歴史に抵触するわけ?」
「んもぅ、美月ったら! そんなんじゃないの」
 由利は茶化す美月を軽くいなした。
「うーん。お母さんがね、人生を成功させようと思うなら基礎体力が必要だからスポーツにしろってうるさかったのよね。それで陸上してた」
「へぇ~。陸上部!」
「うん。あたし、球技とか全然ダメなの。センスなくて。だから消極的選択なんだ。それにやっててもさほど楽しいとも思えなかったし。そのせいかどうかは知らないけど、バカみたいに背も伸びちゃったし」
「じゃあ、どんな部に入りたいの?」
「うん、あたしさ、こんなこと言うと嗤われちゃうかもしれないけど、京都に来れば、もしかしてあたしが探しているまだ見ぬステキなものに出会えるんじゃないかって思ったんだよね」
「へえ~。由利って意外とロマンティスト」
「母親が理詰めで生きていると、娘は反発して違う道に行きたくなるもんなのかもね」
「じゃあ、美術部とかのぞいてみる?」
「うん。それもいいかも。だけど、あたしはどっちかって言うと伝統とか様式美みたいなのに憧れているんだよね。そういうの、やってみたい」
「へぇ、それじゃあたしと一緒に茶道部っていうのはどう?」
 美月は由利を誘った。
「それ、いいよね。誘ってくれるの、実は待ってた」
 そういうとふたりはまた顔を見合わせて微笑んだ。
「まぁ、最終的にはそれでもいいけど、とりあえずはいろいろ見たいよね」
nice!(2)  コメント(2) 

境界の旅人 6 [境界の旅人]

第二章 疑問
 


「ただいまー」
 由利は玄関の戸をガラガラと開けて家の中へ入ると、靴を脱がずにそのまま玄関と居間の間にかけられている目隠しののれんをくぐり、真っすぐ家の中へ一直線に引かれた土間の奥へと進んだ。祖父は台所へ入って来た由利を見て、安心したように声をかけた。
「おお、由利。帰って来たんか。何や、えろう遅かったやないか、なんぞあったんかと思うて、心配しとったところやで」
 辰造は味噌汁に入れるための大根を千六本に刻み終えたところだった。
「ああ、ゴメン、ゴメン。途中で学校の友だちにばったり会っちゃって。つい話し込んじゃったもんだから」
 由利は祖父の手伝をするために、流しで自分の手を洗いながら謝った。
「ああ、そうかぁ。もう友達もできたんか。それやったらええけどなぁ」
 由利が帰って来たので、辰造はあらかじめ頭とはらわたを取り除いたにぼしと昆布の入った鍋を火にかけた。

 居間でちゃぶ台を挟み、ふたりできちんと正座して晩御飯を食べた。
 献立は塩サバの焼き物、そして大根の千六本とわかめの味噌汁。そして件のお揚げと分葱のぬた。
 そして箸休めとして、昆布の佃煮と柴漬けが食卓に出された。至って質素。しかし家で作った湯気の立った食事は、一人で食べるコンビニご飯と違って格段においしい。
 夕餉を食べながら由利は辰造に訊いた。
「ねぇ、どうしてこの家って、こんなふうに家の一方にドスーンとまっすぐコンクリートで固められた土間があるの? 台所へ行くのにいちいちつっかけに履き替えなきゃならないの、面倒じゃない?」
「ああ、この土間はな、『通り庭』とか『走り庭』とか呼ばれるもんなんやで。昔から京都にある町屋は基本的にはみんなこんなふうな作りやで」
「何でなの?」
 由利は不思議に駆られて祖父に訊ねた。こんなふうに廊下もなくて、縦に長い続き部屋は奥の部屋まで行くには必ず途中の部屋を通らければならないので、プライバシーも保てず、使いづらいと思ったからだ。
「それはな、まぁ、理由もいろいろあんねんけどな。京町屋っちゅうんはたいてい間口が狭うて、奥行きが長い。由利は聞いたことないか? 『京の町屋はうなぎの寝床』ってな」
「ううん、聞いたことない」
「そうか、今の子は何にも知らんのやなぁ」
「うん。だってここに来るまで見たこともなかったんだから仕方ない」
 由利は少し口をとがらせて答えた。
「ま、いいわ。それはおまえたちの責任というより、わしら大人の責任や」
 祖父は機嫌を損じた孫娘をなだめるように言った。
「せやしな、こういう『うなぎの寝床』の京町屋は、奥行きばっかりがめっぽう長いやろ。それなのに京都は盆地やしな、夏はえろう暑い。だから夏はこういうふうに玄関から裏庭まで一直線に道を通して、風がすうっと家の奥まで入るようにしてあるんや。家に暑い空気が籠らんようにするためにな」
「そんなので涼しくなるの?」
「まぁ、昔は冷房みたいなしゃれたもんは無いからなぁ」
「ふうん。でも、そりゃそうだよね」
 由利はサバの身をほぐしながら相づちを打った。
「そんでもって昔は今みたいに台所に換気扇みたいなものもない。それにやな、そもそも京町屋はどこも隣の家とぴったりくっついておるやろ? だから換気扇を付けたとしても、煮炊きした空気を側面に逃がすわけにもいかんのや。それで昔の人も考えたんやろな。こういう作り庭の上は吹き抜けになっておって、『火袋』っちゅう一種の換気口が取付られたんや。まぁ、雨の日もあるよって、そこから雨が入ってきてはたまらんから、屋根の上に『煙出し』って小さい屋根がついている。由利も今度外に出たら、よく辺りを観察してみるといい。つまりかまどによって熱せられた空気は、天井に向かって上昇していく。そこから熱気は火袋を通って外へ出ると。そういうこっちゃ」
「ふうん、そうなんだね。たしかに夏なんかはクーラーもないところで熱気が籠っていたら住めないよ」
「そうやろ? それにたいていの場合、昔はへっつい(かまどのこと)の側には井戸が掘られていたもんやで。うちはだいぶ昔に井戸が枯れてしもうたんで、井戸を埋めてしまって、今はのうなってしもうたんやけどな」
「ふうん。たしかに井戸から水を汲み上げて濡れることも考えたら、やっぱり土間のほうが便利なんかなぁ」
「まあな、しかし京都も家というのは何事も冬よりも、夏のことを考えて作られているもんやから、冬は寒いんや。土間にストーブを置いてもな、ほとんど地面に熱が取られてしまって暖かくなりよらん。一月二月はしんしんと底冷えがするさかい、足先がじんじんと冷えてきよる。まぁ、これまでずっとそうやって過ごして来たけれど、冬場の炊事ってもんも、なかなかにあれは辛いもんがあるわ」
「ああ、だから兼好法師も『家の作りやうは夏をむねとすべし』って言っているんだね」
「おお、由利。『徒然草』か。よう知っとるな」
「うん、中学のとき、国語の時間で習った」
「そうやで。昔からこの日本ちゅうところは、それだけ夏は暑くて、大変やったっちゅうことやな」
「ふうん。他に特徴は?」
「あとは採光の問題や」
「採光?」
「そうや。由利は気が付いているか? 京町屋は側面に窓がない。こういうふうに両端がべったりと隣の家にくっついているとよその土地のように窓をつけるわけにはいかんのや。だから工夫せんと家の中は昼間でも真っ暗や。昔は今みたいに電気が通っているわけやないからな。電灯を点けるっちゅうこともできなかったんや」
「ああ、なるほど。それはそうだね」
「だからさっきの換気の話にもつながるわけやけど、要するに外光を求めるとすれば、それは自分とこの天井をどうするかしかなかったっちゅうことやな。それで天窓や」
「そうか、昔の京都の町屋は光をどうやって取り入れるかが最重要事項だったんだね。でもさ、機能性ってこともあるかもしれないけど、天窓ってきれいだよね」
 由利は初めて祖父の家に来たとき、天窓を通して暗い室内に明るい光が洩れ入るのを見て神秘的で美しいと思った。中学生のとき、訳もわからず読んだ谷崎純一郎の随筆『陰翳礼讃』で述べられている暗闇の中の底に浮かぶ光の美というものが、これで少し解った気がしたのだ。
「そうやねん。だから天窓を付けたり、細長い間取りでも裏庭や中庭を付けたりしてそこから光を取り入れるように設計されているんや。一口に京町屋いうてもいろいろと種類があってな、八百屋や魚屋みたいに店土間あるとこや、勤め人が住む仕舞屋、商家が使う町屋、いろいろあるんや。この家は西陣やさかい、わしのところは昔から機を織るのが生業(なりわい)やったやろ。だからこの家は京町屋の中でも「織屋建」ちゅうて、本来なら奥座敷にするような中庭に面した一番いい場所に重たい機でも耐えられるように土間にしてあるんや。そしてその機の上を明り取りのために吹き抜けにして、天窓を三つも付けてある。つまり機を織る人間のことを一番に考えて、なるべく光を多く取り入れた場所で仕事をしやすうしとるんや」
「そっか~。機織りも大変だね」
「まぁ、最近は、普通の和装用の帯なんかは予算のこともあるさかい、手機なんかでは織らんけどな。ほとんどが機械織や」
 辰造は今年七十九歳になるが、それでも毎日機に向かっている。
「じゃあ、今、おじいちゃんは何を織ってるの」
「まぁ、主に能衣装や歌舞伎のような舞台衣装、あとは婚礼衣装がほとんどやな。もう今はそれぐらいしか需要もあり、かつ採算も取れて、織る価値のあるもんはないっちゅうことなんやろうな」
「ふうん」
 ふと由利は夕方、三郎に説明されたことが頭をよぎった。
「ね、おじいちゃん。夕方にね。友達に会ったって言ったでしょ?」
「うん、そうやな。その友達がどうかしたんか?」
「でね、その人が教えてくれたんだけど、今の堀川通りって戦時中にできたもので、本来の堀川通りって東側のあの細い通りなんだって?」
「せやせや」
 辰造はうんうんと首を振った。
「で、その人が言うにはね、そこに昔はチンチン電車も走っていたって」
「そうやで。昔、わしらが若い頃の交通機関はバスじゃのうて、もっぱら市電やったもんや」
 そう言いながら、辰三はふと、宙に目を向け、箸を持つ手を止めた。
「どうしたの?」
「そうや、そうや。今までとんと思い出すことも無くて忘れておったけどな。わし、実はひょんなことで命拾いしたことがあってな」
「え? おじいちゃん、命拾い? 何それ?」
「あれはな、戦争が終わって、まだ間もない頃やったと思う。そやそや。わしがまだ小学校へ上がったばっかりの冬のことだったんかいなぁ。わしがまだ六、七歳の頃やったと思うんや」
「わしにはたくさん兄弟がおったんやけど、その当時、二番目の兄ちゃんがまだ旧制中学の学生やってんな」
「おじいちゃんてそんなに兄弟がいたの」
「そうや、わしは六人兄弟の五番目や。せやけど昔なんて、どこの家でもそんなもんやで」
 日本は明治から第二次世界大戦が終わるまで、政府の『富国強兵』政策で子だくさんが当たり前だった。
「けど終戦直後やさかい、食糧難でな。三度三度のご飯を食べるのが本当に大変やったんや。ほんで少しでも家族の口が潤うようにと学校が終わったあと兄ちゃんは、知り合いのつてで錦小路の八百屋で働らかせてもらいに行っとったんや。それで店が閉まったあと、給金のかわりに売れ残った野菜をもらって来てくれていた。だがその日兄ちゃんは、どういうわけかお母ちゃんが作ってくれた握り飯を玄関に忘れて行ったんや」
「それで?」
 由利は先を知りたがった。
「仕方がない、それでお母ちゃんが、つまり由利のひいおばあちゃんにあたる人のことやけどな、わしのすぐ上の、二つ違いの小さい兄ちゃんに、大きい兄ちゃんに弁当を持っていってやってくれと遣いを頼んたんや。家には他にもまだ小さい妹がいたし、夕ご飯の支度もあったしな。その当時は今みたいにガスみたいな便利なもんもない。まず火を起こすっちゅうことが大変だったんや。それでお母ちゃんは自分で届けてやることができなかったんやろう」
「だが小学三年生だった小さい兄ちゃんは、ひとりで市電に乗ってそんな遠くまで行ったことがない。そやから小さい兄ちゃんに頼まれて、わしも付き添って行ったんや」
「うん。小学三年生だったら、夕方ひとりで遠くにお遣いに行くのは、ちょっとおっかないかもね」
「まあ、わしら昔の子供は今の子供たちと違うて、おぼこかったからな。だが家から大宮中立売の停留所で電車を来るのを待っていると、どこからともなく見知らぬお姉ちゃんが現れてな。『この電車に乗ったらあかん』とわしら兄弟が電車に乗るのを何度も何度もしつこいぐらいに引き留めるんや。普段ならそんな見ず知らずの他人の言うことなんか、わしらも聞かへん。せやけどそのお姉ちゃんの顔は、こう、言うに言われんような、何かしら切迫した様子が見て取れたんやなぁ。それでわしと兄ちゃんはとうとうそのお姉ちゃんに逆らえなくて、結局電車には乗らなんだ。だがな、その電車はなんと停留所を出てすぐ、堀川を渡るときに転落してしもうたんや」
「ええっ、それでどうなったの?」
 由利はそれを聞いたびっくりした。昔、あの川でそんな大惨事が起きていようとは。
「それがえろう大変な事故でな。大怪我をした人、死んだ人もたくさんいたんや。事故が起こったあと、騒ぎを聞きつけてお母ちゃんが血相を変えて現場に駆けつけて来たんや。だかどこを探しても、わしら兄弟はおらん。お母ちゃんはもしやと思って、大宮中立売の停留所まで探しに来たんや。案の定そこには取り残されたわしらがおったっちゅうわけや。わしらももし、あの電車に乗っていたら、今頃はここにおらんかったかもしれん。思わぬ命拾いをしたもんや」
「へえっ、そんなことがあったの?」
「そうなんや。本当に不思議なことやった。あのお姉ちゃん、子供のわしにはすっかり大人に見えたけど、本当はいくつぐらいやったんかなぁ。何とのう制服みたいなんを着ていたように思うし、まだ女学生ぐらいやったんかなぁ。そうやったら生きていたらもう九十を越しているはずや。ずいぶんと色の白うてほっそりした別嬪さんやった。そうや、由利。おまえにちょっと似ておったかもしれんなぁ」
 アハハと辰造は笑った。
「もう、おじいちゃんたら!」
 そう言って祖父が茶化して来たのをいさめると、改めて由利は祖父に問い直した。
「で、おじいちゃん、その女の人は結局どういう素性の人かわかったの?」
「いや、それがな、皆目判らんかった」
 辰造は口に柴漬けを放り込むとポリポリと美味しそうな音を立てた。そのあと、湯飲みから由利が淹れたお茶をぐいっとひとくち飲んで、再び話を続けた。
「そのお姉ちゃんのことを話したら、お母ちゃんは息子たちの命の恩人にひとことお礼が言いたい言うてなぁ、いろいろと近所の知り合いや親せきにも心当たりを聞いて回ってくれたんや。そやけど誰もそんな女の子は知らんと言うんやな・・・。しかもあのとき、電車は満員で人がぎょうさん乗っていたというのに、その女学生を停留所で見かけたという人もおらん。しかしどういうわけで、あのお姉ちゃんは、わしら兄弟だけを引き留めたのか・・・。不思議なことやが、あの人は未来を見ていたんや。そうとしか考えられん。今思うとあれは神さんかご先祖さんが、ああいう形でわしと兄ちゃんを守ってくれたのかもしれん・・・」

nice!(2)  コメント(2) 

境界の旅人 5 [境界の旅人]



「ありゃりゃ、しもたなぁ。白みそを切らしていたんやったなぁ」 
   通り庭にしつらえてある台所の棚を見て、辰造がひとりごとを言った。
   最近は由利も、辰造のそばで晩御飯の手伝いをするようになった。本当ならば辰造ひとりで作ってしまった方がさっさとできて早いのだが、横で孫娘が手伝いともいえぬような手伝いをしていても、ちっとも嫌な顔もせず丁寧に教えてくれる。その甲斐もあって手伝いを始めた当初は手伝いというよりも邪魔しているのに過ぎなかったのだが、最近は御汁の上に浮かせるネギぐらいならさっさと切れるようになってきた。
 今晩はパリパリに焼いたお揚げと分葱の「ぬた」を作ろうとしていたところだった。
「どうしたの、おじいちゃん?」
「う~ん、しもたなぁ、白みそがないわ」
 祖父と暮らすようになってから、献立に白みそを使ったものが多くなった。辰造が作るものはお揚げや豆腐と季節の野菜といったシンプルな素材のものが多かったけれど、由利にはそれが妙においしく感じられた。
「じゃあ、あたしが今からスーパーまで、ひとっ走りしてくるよ」
「ああ、あかん、あかん。スーパーのはな、なんや知らん、味のうて」
「味のうて?」
   由利はぽかんとして訊き返した。
「味ないってこっちゃ」
 祖父は言い直した。
「味ない?」
「はは、由利は『味ない』は解らんか?『おいしくない』ということや」
「ああ、だから味が無いのか。なるほど、なるほど」 
 由利はようやく祖父の言っている意味が解った。
「じゃあ、どこで買ってきたらいいの? 大丸? それとも錦? まだ五時前だし、時間は十分にあるよ」
「そうやな。ほな、行ってきてもらおうかな。うちら上京に住んでいるもんは、昔から白みそっちゅうたら、本田さんの白みそに決まっているんや」
「へ~ぇ、でもおじいちゃん。それは権高い京都人の一種の京都ブランド信仰ってヤツじゃない?」
 由利は少し意地悪く質問した。
「いやいや、由利。京都人はそんな酔狂な見栄っ張りじゃないわ。みそっちゅうもんは生きているんや。麹を使って昔ながらの製法で作られたもんは、何や知らんが旨い。高いと言ってもな、せいぜいスーパーで売ってるもんとでは何百円ぐらいかの違いやろう?」
「そうなのかな?」
「そうやで。人間、生きてる限りは腹が空く。三度三度の飯を粗末にしていると、人は人生の悦びというものを忘れてしまうんや」
 由利はそれを聞いて東京で一生懸命働いていた母、玲子のことを瞬間的に思い出した。もちろん祖父の言うことも一理ある。きれいに掃き清められた部屋。きちんとたたまれた洗濯物。心を込めて作った料理。それを盛り付けるための吟味された器。だがそんなふうに日常の細々とした些末なことにばかりに比重置いていると、大局的な人生の目的を見失ってしまう。
   マルチビタミン・ゼリーとカロリーメイトを食べながら、仕事で徹夜している母の姿が目に浮かんだ。
   祖父の言い分もわかるが、母がそれに反抗する気持ちも理解できる気がして、由利の胸中は複雑だった。
「場所はな、一条通りを御所に向かって、室町通に面しとるし、すぐや」
「室町通り・・・」
   祖父に教えられた通りに行くと、比較的広い通りの角にひときわ大きな白壁の店が現れた。玄関には柿渋色に、『丸に丹』の字を染め抜いたのれんが下がっている。
「うひゃ~、すごい。高級そう」
 高校生がひとりで入るには気おくれしそうな外観だったが、なにせ祖父に頼まれたお小遣いなので引き返すわけにはいかない。
 店に一歩足を踏み入れた途端、ずらっと大きな樽にさまざまな味噌が盛られており、店の中はふわっと麹のいい香りで満たされていた。
「おいでやす。何にいたしまひょ?」
 三角巾をきりっと被った、それでいて優しい物腰の店員さんに訊ねられた。はんなりした京ことばがよく似合っている。由利はここにいる自分がひどく場違いでいたたまれない気がしたが、勇気を振り絞った。
「えっと料理用の白みそが欲しいんです」
「どないなお料理でひょ?」
「えっとぉ、分葱とお揚げのぬたを作っていたんですけど・・・」
「ああ、かしこまりました。そんなら、これどすやろなぁ」
 店員があらかじめパックに充填されたものを手渡してくれた。

 無事に買い物を終えると緊張から解放されて、帰路はぶらぶらとそこらへんを探索しながら歩いて行った。ここいらはただ歩いているだけでも、ひどく楽しい。さっきのような古い老舗の味噌屋もあれば、ものすごくモダンなパティスリーやお洒落なベーカリーもある。
 由利は縦方向に伸びる室町通を一条通りから、中立売まで下がって行った。それからその角を曲がって西へ行き、途中でスマホを検索してみると『楽美術館』といって茶道で使う楽焼きの茶碗を扱う専門の小さな美術館があることも発見した。
「へぇ、今度行ってみよ」
 由利はスマホのリマインダーに『楽美術館』とタイピングした。

 堀川通りに出ようとした手前あたりで、由利は思いがけず赤レンガでできた古い建物を見つけた。
 その建物は補修工事もこれまで施されることもなかったのか、うらぶれてぼろぼろだがその昔には由緒ある建物だったに違いないある種の風格をにじませていた。
 由利はこの赤レンガの朽ち果てた建物を見て、英国児童文学の傑作と言われているフィリッパ・ピアスの『トムは真夜中の庭で』を思い出した。この目の前の建物からはピアスの作品の中に出て来るような、時代を経て安アパートに成り下がった貴族のマナーハウスの威厳のようなものが漂ってくるのだ。
「ここって何なんだろう?」
 興味に駆られて思わず近寄ってみると、赤いレンガの壁に今はさまざまなエアコンの室外機がぶら下がっている。本来は窓も縦方向に大きく取られていた。だがそれが東側に向いているせいで眩しすぎて朝もゆっくり眠れないためなのか、あるいは断熱材として用いられたのか、内側から改めて別の木の板で小さく囲われていた。それがかえってこの建物をひどく貧乏くさいものにさせていた。建物の後ろは駐車場になっている。よく見ればすべてアスファルトで舗装されておらず、ある部分だけは大きな御影石がいくつもはめ込まれていた。
 表に回って建物の正面を見てみたいと思い、由利は中立売通りを一端出て東堀川通りを下がると、その建物の入口はどこかと探した。だが由利の予想に反して、そこには建物に似つかわしい大きな入口はなく、普段歩いていたなら見逃してしまうほどの、細い細い路地が奥へと続いていた。由利は恐る恐るその奥へと進んで行くと、建物の入口に「白梅寮」と書かれた看板が取り付けてあった。扉もない入口をくぐると玄関先に十個ほどの郵便受けがあった。その中に投函されているダイレクトメールや不動産屋のチラシを見れば、つい最近のものだとわかる。
「あ、ここってたぶんアパートなんだ。少なくとも今でも人が住んでいるみたい」
 もう一度、東堀川通りに戻って建物の全体を見ると、外壁の塗装はボロボロだけれど、入り口の上にアーチ型の窓が設けられており、その上に何かの紋章らしき飾りが剥がれ落ちた形跡がある。アングロサクソン系のプロテスタント教会のような形からして、同支社大学のアーモスト館か、烏丸下立売の角にある聖アグネス教会などと同時代、同傾向の建物と思われる。おそらく作ったのは明治時代に活躍したヴォーリスかガーディナー。あるいはそれに準ずる位置にあった日本人建築家だろう。察するに、それが以前は別の目的で作られた何かだったことだけは解るのだ。

   そうやって頭をひねりながら、その場所から離れようとしたとき、中立売橋を渡って歩道を少し北へあがったところに、やはり桃園高校の制服を着た、御所で妖怪どもから救ってくれた例の少年が佇んでいた。
「あれは・・・三郎?」
 由利は急いで道を横切り、その少年のところへ駆けて行った。三郎は土手に掛かった背の高いガードレールに肘をついて上半身をもたれさせ、物思いにふけっているようだった。群れから一羽だけはぐれた鳥のような横顔に由利の胸はうずいた。
「ねぇ、ちょっと! あなた!」
 びっくりしたように少年が振り返った。
「また、おまえなのか?」
 少年は大きく目を見開いて由利を凝視したきり、絶句した。
「おれともあろう者がおまえの気配だけはどうも察知できないらしい・・・。何でなんだろうな」
 そんな三郎の困惑などものともせず、由利は自分の心の中にあった疑問を集中砲火のように浴びせかけた。
「ねぇ、あなた。桃園高校の生徒だったのね! 入学式の日にあなたを見たわよ!」
「ああ、そうだったな・・・。おまえにはおれのことが見えるようだからな、・・・どういうわけだか」
 三郎は不機嫌そうな低い声でつぶやいた。由利にはそれが聞こえなかったらしい。
「え、今なんて言ったの? あたしがあなたを会うと何か不都合なことでもあるの? ねぇ、この間の御所の近衛邸で出会ったお化けは一体何だったの?」
 三郎は呆れたように言った。
「そういっぺんにたくさんの質問をするなよ、どれから答えたらいいんだ?」
 そう言いながら、三郎は苦笑した。笑うと案外と年相応に可愛かった。
「ねぇ、あなた。うちの学校の生徒なんでしょ?」
「ふふ。うん、まぁ、そういうことにしておこうか」
 三郎はまた曖昧な答えをして、由利を煙に巻いた。
「なあに? 『そういうことにしておこうか』って? じゃあ、違うって言うの? だけど、現にあなた、今うちの学校の制服を着ているじゃない?」
「まぁ、人間の中では、おまえのようにごくごくまれに、おれのことが見えるヤツもいるからな。そんなときは、こういう恰好をしているほうが、今の街になじんで怪しまれなくて済む」
「生きてる人間? じゃあ、あなたって何なの? ユーレイ? 妖怪?」
 その問いには、三郎は終始無言だった。もともと端から答える気が無いらしい。仕方なく由利は話題を変えた。
「あなた三郎って呼ばれていたわよね」
「ん? 何?」
「あたしはね、あなたの名前は三郎なのかって訊いているの!」
「ああ、おれの名前を尋ねているのか? 今のおれには名前なんて不必要なものだ。そうだな、おまえが三郎と呼びたいなら、そう呼べばいい」
 また質問をはぐらかされ、正直由利はイライラしてきて大きくため息をついた。でもここで諦めては真実は聞き出せなくなる。それで思い直し、なるべく冷静さを取り戻そうとした。
「・・・しょうがないわね。じゃあ、本当はどうだか知らないけど、あなたは三郎よ」
「うん、三郎。それでいいんじゃないか?」
「では三郎クン、ここで何をしていたの?」
「ああ、おれか? ここで昔を偲んでいた」
 三郎はまた、由利の予想していた答えとはかなりかけ離れたことを言った。
「昔?」
「そうだ・・・。ずいぶんと遠くまで来てしまったような気がしてな・・・。どんなに懐かしい、そこに留まっていたいと願っていても、時の流れには何人と言えど、逆らえない。それと同時に過去へも決して逆行することはできない」
 三郎が急にいわくありげなことを言うので、由利は何と答えていいかわからなかった。それに三郎はこんな制服を着ていても、どこか俗人離れしたようなところがあった。
「時代が移りゆくにつれ、たとえ地理的には同じ場所に立っていたとしても、目に映る景色はまった違っているものだ。解ってはいるが、ときどきそれが、妙に切なくなってな・・・」
 三郎は由利の気持ちを知ってか知らずか、こんなことを言った。
「もともとこの堀川は鴨川の元流だったんだ。その昔、鴨川は暴れ川でしょっちゅう氾濫を繰り返していた。だが桓武天皇がこの山城の地に平安京を造営される際、市中にこのような大河があるのはよろしくないと仰せになったので、,出町の辺りで高野川と合流させたんだ」
 三郎は由利に中立売より北に上がった堀川を指さした。
「それでもともと鴨川の水路だったここに掘割の運河を作ったんだ。この堀川は、今いる中立売から一条戻り橋にかけて川幅は広く取られているし、しかも川底が深い。運河にしては他には例もないほど、ものすごく深く掘られていて、だいたい長さにして四丈・・・いや、十二メートルぐらいかな。だからまぁ、いわば人為的に作られた渓谷だったんだ。だが今はどこぞの価値もわからない小役人がこういう由緒ある運河を、どういう意図でやったのかは知らんが、大枚をはたいてこんなつまらない公園もどきに作り変えてしまったんだけどな」
「あ、ほんとだ」
 堀川をのぞくと、セメントで塗り固められたせせらぎが流れ、その脇には遊歩道がつけられている。だが掃除を十分されておらず通る人もないその場所は、ひどく猥雑で汚らしく見えた。それをじっと眺め続けている三郎の姿はなぜか容易にことばをかけられない厳しさを漂わせていた。由利は声をかけることもできず、仕方がないのでしばらく辺りを見渡していた。
「すごいね。三郎クン。ここら辺の地理と歴史に詳しいんだね」
 少し間が開いたあと、由利は改めて三郎に話しかけた。
「いや、別に。ここに長く住んでいれば、自然と事情にも詳しくなる」
「長く住んでいたらって・・・。三郎クン、それじゃまるで何百年も生きてた仙人みたいじゃないの」
 それを聞いて三郎はすこしやるせない顔をした。残念なことにわずかな徴に気づかなかった由利は、地元の歴史に詳しそうな三郎に質問した。
「ねぇ、三郎クン。不思議に思っていたんだけど、ここって西側に大きな堀川通りがあるのに、東側には一方通行しかできそうもないこんな細い道があるのはなぜなの?」
 三郎は思いがけない質問をされて、気がそがれたようだった。
「あ、ああ。こっちの大きな通りは戦時中に類焼を防ぐためと、軍用の車を迅速に通すために家を壊してできた道だ。他にも御池通りと五条通りもそうだ。あの通りだって二車線あって広いだろ? だから元来の堀川通りとはそっちの側の細い道のことなのさ」
「え、この道?」
「そうだ。これだけで驚いていてはだめだ。しかもこっちの細い道路はなんと今から六十年も前まではそれこそチンチン電車が走ってたんだぜ?」
「え、そうなの? こんなせまい道なのに?」
「ああ、そうだ」
 三郎は場所を移動して、中立売橋を少し下がった場所を指さした。
「ほら、あれを見てみろ」
「ん? あ、なんか斜めに赤レンガが敷き詰められた跡があるけど? これって橋の跡?」
「そうだ、これが昔の北野線の電車が走っていた橋梁の跡なのさ」
「へぇ~」
 由利は三郎の知識の深さに感心しながら、歩道から今は東堀川通りと呼ばれている、かつての堀川通りをしげしげと眺めた。
「さ、もう帰れよ。家でおじいさんが白みそを買ってくるのを待っているんじゃなかったのか?」
 ぶっきらぼうにしか話さない三郎の声にわずかだが優しさが含まれていた。
「うん! ああ、そうそう。もう帰んなきゃ」
「そうだ、今頃、家でおじいさんが心配しておられるだろう。早く帰ってやれ」
.   家路を一歩踏みかけて、由利はふと心の中で疑問が沸き起こった。なぜ三郎は由利の家のそんな立ち入った事情まで知っているのかと。
「え、三郎クン! どうしてそんなことまで、あなたが知っているの?」
 もう一度後ろを振り返ったときには、三郎は既にそこにはいなかった。








nice!(2)  コメント(0) 

境界の旅人4 [境界の旅人]



 常磐井はそのあと何事もなかったかのように、のっそりと自分の席へと向かっていたが、さっきから固まったように突っ立っている由利のところまで来ると、ふっと足を止めた。
「おい、そこの背の高い彼女」
「え、え? あ、あたしのことですか?」
「決まってんじゃん。ねぇ、あんた以外に背の高い人、他にいないっしょ?」
「あ・・・」
 辛辣な常磐井の口の利き方に由利は再びうつむいた。
「な、あんた。どうしてオレがこうやって話しかけてんのに、人の顔をちゃんと見ようとしないのよ?」
 由利はそう言われると、おずおずと顔を半分だけ上げて相手を見た。
「そりゃあさ、もちろんいじめる側が悪いは悪いに決まっちゃいるけどよぉ。だけどあんたもいけないっていっちゃ、いけないんだぜ。どうしてそんなにウジウジ自信なさげに背を丸めてるの? な、ああいうヤツラに隙を見せちゃいけないんだよ。いじめる奴らってのは、人の弱みを嗅ぎ当てるのが天才的にうまい。実際それがその人にとって本当に長所か短所かは別にしてな」
 そのことばを聞くと由利はハッとなって、相手の顔を見つめた。常磐井も由利の瞳をしばらくの間じっと見つめると、ふっと表情を緩めた。
「あんたさ、見たとこ、スタイルよさげじゃん。もっとすっと背を伸ばして。オレみたいによ。もっと自信をもって堂々としてろや、な?」
 常磐井はそう言い残して、また来た時のように大股で自分の席へと戻っていった。

 激動のホームルームが終わると美月は由利のところへ近づいて来た。
「大丈夫だった? 小野さん」
「うん、ありがとう。でもまぁ、ああいうことって今までにも結構あったし。だけど最後びっくり」
「ああ、常磐井君ね。あたしもびっくりした」
 美月もそれには同意した。
「うん・・・彼のおかげで助かったのはたしかだけど・・・でもなんか・・・見た目もやることも派手な人だったね」
「だけどさぁ、スカッと爽快だったよ。あんな中二病のチビが、ネチネチ言いがかりつけてきてさぁ。みっともないったらないわ。それにしてもすごかったね。常磐井君、机が」
「そう、あれってそうとう固いはずだよ。あんなことってある?」
 信じられないと言った面持ちで由利がつぶやいた。
「だけど割れてた!」
 そういうと、クスクスとふたりとも顔を見合わせて笑った。
「ね、小野さん、これからあたしのこと、美月って呼んで。加藤さんなんて呼ばれるとなんか他人行儀で」
「じゃあ、あたしは由利ね」
 またふたりはにっこり微笑みあった。呼び方を変えただけなのにふたりの距離はぐっと縮まった。

「でも自業自得ね。ハメ外して調子に乗るからああいうことになんのよ」
 美月は当然と言った顔をした。
「でも、ちょっとハメを外したにしては、可哀そうすぎるくらいの制裁だったんじゃないかな?」
「何言ってんの、由利。あなた、いじめられた当事者だよ? 何事もはじめが肝心。ああいう手合いにはあれくらいきびしいので丁度いいのよ」
 美月も可愛らしい見かけによらず、結構手厳しかった。
「ね、由利のおうちはどこ? あたしはね、二条城の近くなんだ」
「へぇ、二条城?」
「行ったことない?」
「うん、まだね」
「じゃあ、今度一緒に行こう。あたしが案内したげる。で、由利のおうちはどこらへんなの?」
「えっと、あたしは堀川を下がって今出川まで行った辺りかな」
「ああ、西陣織会館があるところね! あたしのお母さん、あそこで着付けの先生してんの」
「へぇ~、着付けの先生? 美月のお母さんってすごいね」
「ううん、そうでもないよ。だってあたしんち、着物の会社だからさ、これも販売促進活動の一環かな」
「でも、改めて考えてみればそうだよねぇ、あたしたちが着物着る機会って言ったら、成人式ぐらいしかないもんね」
「でしょ? やっぱり自分で着られないってところに和服の限界があるのよ。やっぱりそういった意味でも和装業界も努力しないとね」
 そういいながら、下足箱にたどり着くと、由利は靴を履き替えた。見れば美月は何やらスニーカーのひもをごそごそいじっている。
「あ、美月。あたし外出たところで待ってるね」
「うん、お願い! ゴメン。何だかスニーカーのひもが緩いのよ。直したらすぐに行くから!」
「いいよ、いいよ。気にしないでゆっくり直してきて。あたしは大丈夫だし」
 由利が外に出て、玄関から校庭を眺めた。すでに桜の季節も過ぎ、あたりの木々は柔らかな黄緑色の新緑に覆われていた。清々しい気持ちでゆっくり腕をのぼしながら、もう一度辺りを見渡すと、校門近くのすずかけの木の下にひとりの小柄な男子生徒が佇んでいるのを見かけた。
 どこかで見たことのある顔のような気がして、じっと彼の顔に目を注いだ。
「!」
 相手も由利が自分のことに気が付いたことを悟って、すぐに視線をこっちのほうに向けて来た。わずかだが、その瞳の中にはいわく言いがたい敵意がにじんでいた。
「なんで・・・?」
 由利の顔がみるみるうちに青ざめて行った。
「あれは・・・三郎?」
 由利は信じられないといった口調でつぶやいた。
「どうしてあの子が? あの子もここの高校の生徒だっていうの?」
 ちょうどそのとき、美月が由利のもとへやって来た。
「お待たせ~。ごめんね、待った?」
「う、ううん」
「どうしたの、由利? 顔が真っ青よ」
「ううん、何でもないの。大丈夫」
 もう一度由利が視点をもとの場所へと戻すと、三郎の姿はかき消されたようにいなくなっていた。





読者のみなさまへ

この小説はフィクションですが、京都案内という意味を兼ねまして、一般の方々がご利用できるお店や場所・地名などは一部実名で書かせていただいております。一方、由利や美月の通う「桃園高校」および、宗教団体等はすべて架空です。そしてこの作品に出てくる宗教的概念もすべてフィクションであることを予めご了承ください。


nice!(3)  コメント(0) 

境界の旅人3 [境界の旅人]



「本当に入学式にはわしが付いて行かなくてもいいんか?」
 朝食を食べながら辰造は由利に訊いた。
「うん、もう高校生だもん。そんないつまでも保護者に付き添われるような歳でもないし。大丈夫」
「まぁ、そうやな」
 辰造は味噌汁をすすりながら答えた。
「学校へは歩いてだって行ける距離だもん。京都って本当に東京と違って楽よね。街がこじんまりとコンパクトにまとまっているもん」
「まぁ、四方が山に囲まれている土地やしな、そりゃ東京みたいに広がりようもないわな」
 由利は居間に掛かっている年代物の柱時計を見た。
「うわ、もうこんな時間? 急がないと」
 由利はバタバタと自分が食べていたご飯茶碗と汁椀を重ねて、隣の土間の流しへと運んだ。
「ああ、由利。急いでやると粗相するからわしがやっとく。おまえはもう学校へ行き」
「うん、おじいちゃん、ごめんね!」
 バタバタとカバンを抱えて由利は玄関へと走った。
「由利、あんまり慌てたらあかんで。事故にあったらどないするんや? 気ぃ付けて行きや!」
「うん、おじいちゃん! 行ってきまーす」

 入学式も済ませ、新しく桃園高校の新一年生となった生徒たちは、クラスごとに担任となる教師に引率されて教室へと向かって行った。他の生徒たちは中学校か塾かで一緒だったらしく、それぞれ見知った顔を見つけてはほっとしたように声を掛け合っていた。由利はまるっきり京都に地縁もないので、黙って歩いていた。そこへ誰かが後ろからタタタと駆け寄ってきてポンと背中を叩いた。びっくりして振り返ると、それはどうも新しくクラスメイトになるはずのひとりの女子生徒だった。小柄でちまっとしている佇まいは、リスのような小動物か、あるいはゆるキャラを彷彿とさせる独特の愛嬌があった。
「こんにちは」
 突然、こんなふうにあいさつをされると、どんなふうに返していいものか、由利には見当もつかない。
「あ、こ、こんにちは」
 仕方なく相手の言ったことばをオウム返しした。
「あたし、加藤美月っていいます。よろしくね」
 にっこり笑って相手が自己紹介した。
「あ、あ。あたしは小野由利」
 由利はドギマギしながら、自分の名前を言った。
「あ、あなた、小野さんっていうんだね。ああ、この列ってあいうえお順に並んでいるんだ。小野さんの苗字が『お』だから、『か』で始まる名前のあたしがその後ろ」
なるほど、と言うように美月はまた由利に向かって、にっこりと微笑んだ。げっ歯目っぽいつぶらな瞳がきらきらと輝いている。
「さっきからすごく気になっていたの。すごく背が高いんだなって」
 たしかに由利は女子としてはずば抜けて身長が高く、百七十二センチある。中学生のとき、百六十五センチを過ぎた辺りから、これ以上伸びませんようにと祈り続けていたにもかかわらず、結局こんなに伸びてしまった。
「え、うん。まぁ」
「いいなぁ、憧れちゃう」
「え? 憧れる?」
「うん、そう。すらっとしていて素敵だなぁって。式の間中、うっとりして見てた! まるでランウェイを歩くファッション・モデルみたいじゃない? あ~、いいなぁ。あたしなんて百五十五センチしかないんだよ。超チビじゃん。うちのお兄ちゃんがね、『おまえは走るより転がったほうが早い』って言うんだよ? ひどくない? もう、いやんなる。小野さんみたいに背が高かったら、世界も違って見えるだろうね」
「え、そんなことないと思うけど」
 たしかに背が高い美女は素敵だろうと思う。だが背が高いだけじゃ、美女にはなれない。
「え~。ご謙遜!」
 美月は由利の肩をポンと叩こうとしたが、背が高すぎてできなかったので、わざわざ伸び上がった。初対面にしては妙に距離感が近いのだが、その遠慮ない無邪気さが由利には心地よく、悪い気はしなかった。
あれこれふたりが話しているうちに教室に到着した。担任は廊下で待っている生徒たちに向かって行った。
「え~、皆さん。静かに! これから君たちは一年間、ぼくが受け持つ一年三ホームの生徒となります。教室に入ると机の左側に各々の名前が書いてあるから、そこにまず座るように。解ったら返事して」
「はーい」
 まるで気のない返事がユニゾンとなって廊下に響いた。
「じゃ、小野さん、またあとでね。このホームルームが終わったら。いいかな?」
「え、うん。いいけど」
「うん、良かった。じゃあね!」
 美月は小さく手を振りながら、自分に割り当てられた席に向かって行った。

「はい、皆さん、それでは改めてぼくから祝いのことばを言わせてもらいます。入学おめでとう! ようこそ、桃園高校へ。わが校は今宮神社や大徳寺も近く、学校も百年以上の歴史があります。ぼくは担任の篠崎雅宏といいます。君たちはこれから一年間、ぼくと一緒にすごすわけです。ぼくが教える教科は社会科領域。ですから君たちとはこの三年の間に地理、日本史、世界史、あるいは公民を教えることになります。これからもよろしく」
 篠崎と名乗る担任はこうあいさつした。篠崎は年の頃、三十代半ば、ベテランの中堅教師といったところだった。
「さてと。ぼくが自己紹介したところで、これからみんなにも自己紹介をしてもらおうかな」
 篠崎が提案した。クラスの中は一気にざわめいた。
「まあ、みんなの中にはお互いにどこかで顔見知りの人間もいるだろうけど、それでも中には全く知らない人もいるだろうからね。じゃあ、まず、自分の名前、そして出身中学。あとはそうだな、自分の好きなものとか、趣味とか、なんでもいいや。一言言ってください」 
クラスの中は再び騒然としたが、担任はそういうとこには慣れっこなのだろう、軽く手を叩いて鎮めた。
「はーい、みんな。静粛に。じゃあ、一番右側の列から行きます」
篠崎は一番前に座っている女子生徒の机に近寄って行って、机のそばに貼られている名前を一瞬じっと見つめ、読み上げようとした。
「じゃあ、あなたね。えっと山下・・・さいかさんと呼ぶのかな?」
「あ、あやかと呼びます」
最近の名前は親の願いがこもった凝った名前が多く、読むのにも苦労する。しかしこの程度では、苦労の内にも入らなかった。
「そうか、どうもありがとう。じゃ、山下さんからね」
 山下と呼ばれた女子生徒は、おずおずと立ち上がって自己紹介した。
「あ、こんにちは。一条中学から来ました、山下彩加といます。中学のときは卓球部に入ってました。あ、あとジャニーズの『嵐』の大野クンと『トワイス』が好きです。よろしくお願いします」
 次は男子生徒が立ち上がった。
「あ~、あざ~っす。あれは鴨東中学から来た斎藤卓也といいます。中学は、えっと、そのサッカー部で、ポジションはセンターバックをやっていました! 引き続き高校でもサッカーやろうと思っています。一年間よろしくっす」
 斎藤と名乗った男子生徒は、ぺこりと恥ずかしそうに頭を下げた。こうやってどんどん自己紹介が進んでいった。
 真ん中ぐらいに来ると、美月が立ち上がった。
「えっと、洛桜女子中学から来ました、加藤美月といいます」
 そう言った途端、クラスからほうっといったため息のような声があちこちから漏れ聞こえた。
「え~っと、あたしは中学のときは茶道部でした。それでいわゆる世間でいうところの歴女ですので、趣味は御朱印集めです」
 篠崎はそれを聞いて嬉しそうに、茶々を入れた。
「御朱印集めかぁ。それは頼もしい。それじゃ、加藤さんはどんな時代が好きなの? やっぱり戦国時代か幕末?」
「いいえ、先生。中世です。鎌倉と室町。現代日本の根底にある精神文化が成立した時代ですから」
「すばらしい! ぼくも君みたいな生徒がいると、授業のやりがいがあるよ。加藤さん、一年間よろしく」
 美月が自分の紹介が終わったので席に着こうとすると、ひとりの男子が手を挙げた。
「あ、質問でーす」
 美月が促した。
「あ、どうぞ」
「加藤さんは中学から大学まである名門女子高の洛女から、なんでまた、ここへ入学してきたんですかぁ」
 美月はああ、といった顔をして、澄まして答えた。
「それはぁ、女ばっかだと息が詰まるからです。それに中学から大学まで一緒に学ぶ人間がずうっと同じっていうのは、コミュニケーションスキルが鍛えられないって意味では残念な環境なのかなって考えたんです。あたしはこの高校に在学する間、なるべくこれまでとは違うタイプの人達と接することで、変化と刺激を自らに課して、人間力を鍛えたいんですよ。こんなあたしですが一年間よろしくお願いします」
 美月がちょこんと頭をさげるとへぇとクラスのあちこちから感嘆したような声が聞こえた。美月は可愛らしい見かけによらず、結構はきはきした頭の切れる子だった。
 こうやってとうとう由利の番になった。由利は少し緊張の面持ちで席から立ち上がった。その途端、男子から声が上がった。
「すげ~っ、背たけーっ!」
 予想していた反応とはいえ、由利の身体はビクッと震えた。 
「えっと・・・小野由利といいます。東京から来ました。まだこちらに来たばかりなので・・・京都のことはまったくわかりません」
 由利はボソボソとほとんど聞き取れないような声であいさつした。
 そこでまた見るからに中二病チックな男子生徒の何人かが挙手した。
「あ、ハイハイ、ハーイ、質問ですっ」
「あんまり変な質問を女子にするなよ、坂本」
 篠崎は何となくこれから発する質問の内容が察しられたと見えて、坂本と呼んだ男子生徒にそれとなく牽制した。
「小野さんは身長何センチあるんですか?」
 実に気分の悪い質問だ。ちらりと横目を走らすと、坂本はそれほど背が高くない。おそらく由利より低いだろう。結局こういう質問というのは、相手を貶めて自分のコンプレックスを正当化しようとする卑劣な手段だ。由利は質問の本当のねらいを理解していた、だから失礼な質問を無視して、あえて答えないでおく選択肢も頭に浮かんだ。だが相手をそれとなく観察するに、クラスのみんなの面前で恥をかかせては禍根を残す面倒なタイプのような気がした。仕方なくここは少し譲って正直に答えた。
「百七十二センチです」
「あはは、やべっ!」
 坂本が笑い出すと、その雰囲気に引きずられて、急にクラスの雰囲気が悪い方向へと向かった。
「いるんだよなぁ、こんなヤツ!」
「そうそ、いるいるっ! クラスには必ずひとりいはいる、バカでかい女!」
 由利を容赦なく揶揄する声が響き渡る。クラス中が由利を嘲笑する声で充満した。
「ちょ、ちょっと君たち、いい加減にしなさい! ほらっ、みんな! そこまでにしないか!」
 だがもはや、篠崎の注意は男子生徒たちの耳には届かない。
「はい、はい。質問、しつもーん」
 別の男子生徒が懲りずにまた手を挙げた。よきにつれ悪きにつれ、この場で一度強い結束が生まれてしまうと、もはや担任といえど生徒たちを抑えることはできなかった。
「小野さんてハーフなんですか?」
「ちょっと、あんたたち! やめなさいよ! これってもう、歴然としたいじめじゃないの!」
 美月は立ち上がって、男子生徒たちに向かって叫んだ。
「うるせーな、このガリ勉チビ! おまえはすっこんでろ!」
 また先ほどの失礼な質問をした坂本が、美月にヤジを浴びせた。
 たしかに母親の玲子ははっきりと教えてくれなかったけれど、由利を身ごもったのはフランスに行った時代と重なる。由利はどう考えても純粋な日本人ではなかった。身長の高いのももちろんそうだったし、顔の彫りも深く、色も抜けるように白かった。それに髪や目の色も真っ黒とはいいがたい。
「あ、そうです・・・」
 由利は消え入るような声で答えた。怒りと恥ずかしさでどうにかなってしまいそうだった。
 自分のクラスメイトの中に異国の血が混じっている人間がいるとわかると、急にクラス中は好奇心に駆られた目をして由利の一挙手一投足を観察していた。
「どこの国なんですかぁ」
「・・・・・・」
「どこの国って訊いているんですけどぉ~」
 男子たちは是が非でも由利に答えさせようと迫った。
「・・・フランス・・・です」
「すっげー、かっけー」
 クラス中がどっと沸いた。
 そのとき、部屋のうしろのほうでひっそりと席についていたひとりの男子生徒が、すっと立ち上がった。
 ものすごく背が高い。どう見ても百八十センチは軽く超えていた。少年は由利を執拗にからかっていた生徒たちの中心だった坂本の許へ、無言では足早に近づいて行った。
それに気が付かずに他の生徒たちと一緒にげらげらと笑い転げていた坂本は、ふいに横を見ると長身の同級生が席の横に立っていたので、その威圧的な態度に驚いてはじかれたように立ち上がった。
「な、何だよ、文句でもあんのか、おまえ」
 坂本は目の前の相手に向かって精一杯の虚勢を張った。
「なぁ、おまえ。坂本って言ったっけ? これもせっかくの機会だしさぁ、是非、オレの身長も訊いてくンないかなぁ」
 ふたりの身長差は二十センチ以上あった。これではまるで大人と子供だ。
「えっ・・・?」
「だからさぁ、オレにもよ、さっきの彼女にやったみたいに訊いてくれっつって頼んでんだよ、ああ?」
 長身の男子生徒は敵意をむき出しにして言った。それから坂本の胸倉をグイっとつかんで自分のほうへ引き寄せた。
「何なら体重のほうも訊いてくれてもいいんだぜ? オレって見かけよりずっと重いの。筋トレ欠かしたことねぇからな。へへっ」
 相手は身体が小さいので、つま先だちにならざるを得ない。
「世の中には、いろんな人間がいんだよ。おまえみたいにコンパクトなチビもいれば、オレのようにバカでかい人間もいんのよ。ほらっ、『みんな違って、みんないい』っつうでしょ? わかってンのか、ええっ?」
 こうやってすごむと十五歳の少年とは思えないほどの迫力がある。突然彼はクラスメイトに向かって自己紹介をし始めた。
「オレは常磐井悠季。身長は百八十八センチ。体重は八十キロ。で、趣味はそうだな・・・。喧嘩?」
 そういうと、狂暴な目をぎらりと件の男子生徒のほうに向けた。
「だがそれをしちゃうと、相手に必ず大けがをさせて病院送りになっちまうんで、シャレになんねぇ。だから今は自主的に止めてます・・・」
 常磐井と名乗った少年は、つかんでいた相手の胸倉をもう一度自分のほうへもう一度ぎゅっと引き寄せてから、座っていた席へと乱暴に放り投げた。
「だが理不尽なこととか、弱いものいじめが大嫌いなんで、今後この部屋で同じようなことが起きたら、誰だろうと絶対に許しません。オレが必ず天誅を下すってことを覚えといてください。ってことでそこンとこ、どうぞよろしくっ」
 そういうと、坂本が座っていた机に、拳を作り満身の力を込めて振り下ろした。

「うおぉおおおおお~ッ!」

 常磐井が発した奇声と同時に部屋中にガーンという破壊音が響き渡った。
「以上です」
 教室は水を打ったように静まり返った。


nice!(4)  コメント(2) 

奈良 元興寺 極楽坊へ [ひとつの考察]

皆さま、こんにちは。

5D66E36A-D19A-4E2D-8CC8-11DFC99CDFD2.jpeg

先日奈良へ行ってきました。
で、世界遺産にも登録されています『元興寺』っていうところへも行ってきたんですよ。

私は、歴史に詳しいと思っていらっしゃる方もいるかと思うけど、
実はそういうことは全くありませんで、

全体的な通史というものに非常に詳しいのは夫のほうです。

で、彼が「奈良へ行ったなら『元興寺』にも行ってみたい」
っていうので、
「『元興寺』? にゃんや、そりゃ?」

ってことで、真の歴史好きの夫からレクチャーを受ける。

なんでも『元興寺』っていうのは、もともと飛鳥にあった飛鳥寺(法興寺)が
奈良に移って『元興寺』となったそうなのであります。
飛鳥寺ができたのは588年のことだから六世紀。
仏教が伝わってすぐにできたお寺なのでしょう。


平城京にあってこの『元興寺』はもんのすごくでっかいお寺だった。
平城の一つの区画を坊条っていうんだっけ?
その一番小さい区画を8個分あったということです。
すごいなぁ、平安京にある京都御苑並みにでかかったということです。

しかし、こういう巨大なお寺って、本当はとてつもなく維持費が大変なんです。
だいたいにしてそこに修行しているお坊さんたちの三度三度の食費をどこから調達することができたかというと、それはバックにやっぱり巨大な荘園というものがあるからこそ、そういうことができたんですよね。

いつの時代も幅を利かせていたのは金の力です。


ところが、平安京へ遷都するとき、お寺は随行することを許されませんでした。
帝の覚えがめでたくない。ここで荒廃が始まるわけですよ。
で、時代が進んでいくと平重衡が南都を焼いたことにより、だんだんとこの壮大な『元興寺』も勢力を縮小していかざるを得なくなってのですね。

みてくだい。もともとあった、南大門も、お寺の心臓部ともいえる、金堂も講堂も、当時はふたつあった塔も焼亡してしまいました。

50DB9CE8-9E31-4FF1-9C3C-C0F231CCE40C.jpeg

それでどうにか奇跡的に残ったのが、今日、極楽坊といわれる部分だけです。
この極楽坊というのは当時は東室南階大房の一部分のことを指しました。

極楽坊ってどういうところかというと、ひらたく言えば、お坊さんたちの宿坊ですね。


ところで、お坊さんっていえば、すぐにお寺の僧侶と結びつきますが、本当はこの宿坊に住んでいるから、「お坊さん」坊の主は「坊主」です。
坊って房だと思うんですよ。「房」って部屋っていう意味もあります。
(ことばの変遷って面白いですね)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

で、まぁ奈良時代は超巨大で勢力を持っていたお寺もだんだんと時代がたつにつれ、極楽坊だけが残されて非常に貧しいお寺となったのです。


本当はこのお寺は「真言律宗」というちゃんとした教派もあるにはあったのですが、
もう後ろ盾になってくれる天皇とか貴族とはいませんので、ともかく「寺」として生き延びていくことに必死になるんですね。

で、それを支えてくれていたのが、民衆です。
で『元興寺』はこの民衆に支えられて生きてきたわけですよ。

だから、なんていうか、曼荼羅もありゃ、阿弥陀さんもあったり、聖徳太子なんかも祭られていたりで、宗教のごった煮の寺と化していきました。

でも、案外とそういったごたまぜ状態が却ってよかったみたいで、元興寺ってお寺の仏像やなんかの修復の技術を身に着けて、全国の仏さんが痛んだところを直していくんですね。

で、今日「元興寺文化財研究所」って機関を持っているんですよねぇ。

実にひょうたんから駒というか、何がきっかけで
生き残れるかってのは思案のほかって感じがしました。

E4BC9626-058F-4BB2-8CDB-DC2201C59FB5.jpeg


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

まぁ、国宝として極楽堂ていうのと禅室(僧坊)っていうのが残っているんですね。これが非常に古い。

入ってみると、軒が非常に低くて、平均的日本人なら鴨居に頭が閊えてしまう。
昔の人って小さかったんだなぁって思います。

この極楽坊の周りはたぶん長い歴史の間に積み重なった、卒塔婆が一か所に集められています。
で、なんというかその姿がですね


手塚治虫の「どろろ」の漫画に出てくる「地獄堂」そっくり。

手塚先生はこれをモデルにされたのではないだろうか?って思いました。
名前も元興寺のほうは「極楽堂」どろろは「地獄堂」だし。

5D66E36A-D19A-4E2D-8CC8-11DFC99CDFD2.jpeg


結構、奈良へ行くと京都の寺とはまた趣の違う面もたくさんあっ非常に興味深いです。


nice!(3)  コメント(2) 

境界の旅人2 [境界の旅人]

京都×青春×ファンタジー×ミステリー。 ページを繰る手が止まらない?





第一章 転機 


「由利、由利」
 リビングで玲子の呼ぶ声が聞こえる。自分のベッドでうとうとしていた由利は、枕元に置いてある目覚まし時計を取り上げた。
「ん・・・? 今何時?」
 時計の針を見ると夕方の五時半を指している。もうすぐ冬至なので部屋の中は真っ暗だ。それにしてもこんな中途半端な時間に玲子が家にいるのは珍しいことだった。
「由利! いないの?」
 玲子は声を荒立てた。由利は母親の機嫌がこれ以上悪くならないうちに、大声を張り上げた。
「はーい! いるよー。ママ!」
 由利は寝起きの顔のまま、母親のいるリビングまで行った。
「由利、いるならいるで、ちゃんと返事しなさい。このまま出かけちゃうところだったでしょ?」
「うん、ゴメン。ママ。気が付いたら寝てた」
「そうなの? うたた寝もいいけど、気を付けないと風邪を引くわよ。それよか、由利。クリーニング屋さんに行ってママのスーツ取って来てくれた?」
「ん・・・。ママの部屋のクローゼットに掛けてある」
「ああ、よかった。ありがと、由利。今度の金曜日には社外クライアントに向けてプレゼンがあるからね。顔映りのいいのにしないとね」
 母親の玲子は大和フィルムズ中央研究所に勤務している。
 難関大学の中でも最高峰といわれる帝都大学の工学部を難なく突破、大学院に進学、学位を取得した後フランス国立研究所に博士研究員として二年間の勤務を経て、現在の研究所で働くようになった。玲子はワーキングマザーと言えど、どこからどう見ても、一点の曇りもない華やかな経歴の持ち主だった。
 今年で四十二歳になるが、生まれついての硬質な美貌にはいささかの翳りもない。場合によっては三十代前半にも見られることがある。必ず週三回は体力づくりも兼ねて早朝にフィットネスジムに通って身体を鍛えているお蔭で、中年にありがちな余分な脂肪も身体についたこともなく、いつもシャキッと背筋も伸びて、七センチヒールも軽々と履きこなす姿はほれぼれとするくらいだ。
 そんな完璧な母親に対して由利はただ従うしかない。少なくとも、これまでは。
「ママ、どうしたの。こんな時間に家にいるなんて珍しいね」
「あら、由利。忘れちゃったの? 今日はあなたの塾で志望校を決めるための懇談だったじゃないの?」
「あ、そっか」
 由利は母親のことばの調子に不穏なものを感じた。
「まあ、そこにちょっと座りなさい」
「はーい」
 玲子はカバンからA4の分厚い封筒を取り出した。
「さっきね、塾の先生に成績表を見せてもらったんだけど、由利、あなたこの間の塾の全国模試、ものすごく番数が落ちているの。自覚ある? もう年末だし、本番は二月でしょ? で、志望校を決めなきゃならないんだけど、この調子だとこれまでの本命が危ないって塾の先生に言われたわよ。由利。でね、ママは思うんだけど・・・」
「うん、ママ。解ってるよ」
 由利は玲子の話を遮った。
「解っているじゃないでしょう? もうっ、あなたって子は本当に暢気なんだから。もうちょっとピリッと気を引き締めて勉強しなさい」
 玲子自身は、いわゆる進学校も塾へも通わず自分だけの実力で帝都大へ行ったにもかかわらず、一人娘の由利の教育に関しては過剰と言ってもいいくらい熱心で、これはもう立派な教育ママと言ってもよかった。
「・・・」
「今から集中して勉強すればまだ間に合うはずよ。滑り止めと日程さえ合えば、これまでの本命だって受けられるはず。今からきちんと日程を調整すれば・・・」
「うん、でも、ママ」
 いつになく由利は態度を硬化させ、自分のことばに従おうとしない。玲子は少しイラっとした。
「何なの? 言いたいことがあるはら、はっきり言いなさい」
「あの、あのね、ママ・・・。実はあたし、京都のおじいちゃんちへ行くつもりにしている」
「はあ・・・? 何ですって? 京都? おじいちゃん?」
 玲子は一瞬あっけにとられたような顔をした。
「うん」 
 消え入りそうな声で由利は答えた。
「由利、何を夢みたいなことを“ もうすぐ年も改まるっていうのに! 願書のことだってあるじゃない」
「うん。だけど九月頃に学校の担任の武田先生に相談したら、それもいいかもって、内申書も書いてくれた。過去問も取り寄せてくれたし、願書もあるよ。あとはママの承諾だけ」
「まっ、一体それはどこの高校なの?」
 由利はテーブルの上にクラスの担任が取り寄せてくれた願書と出願要項を置いた。玲子はそれを取り上げてまじまじと眺めた。
「桃園高等学校?」
 玲子は素っ頓狂な声を上げて、これから由利が行こうとした高校の名前を読んだ。桃園高校は京都にある玲子の母校だった。
「由利っ! これは一体何の悪い冗談なのっ! 誰にそそのかされたのかは知らないけど、ママは反対よ。他に選択肢がないのならともかく、桃園高校なんてそんなの、お話にもならない。第一、今受ける滑り止めよりずっとランクも下じゃないの? この環境より明らかにレベルの低い場所へ行く目的は何? それにいくら成績が下がったからって、何も今、あてつけがましくママから離れて京都へいくことはないじゃないの!」
 玲子は自分の娘をあしざまに罵った。
「ママ。そうじゃないの」
「なぜ? 由利? 私たちこれまでうまくやって来たじゃない? 何が気に入らないっていうの?」
 詰め寄るようにして玲子は由利に迫った。
「うん。ママが一生懸命働いて、育ててくれたのは、あたしだって解っているし、感謝しているよ」
 由利が小さいときは、玲子の職場環境は相当に過酷だった。
 病気になるたび、玲子は自分が看病するために職場を休むわけにもいかず、結局、病気で保育園や小学校へ行けない場合は看護師の資格を持つベビー・シッターさんに来てもらうことも度々だった。
 そのための出費があまりに多すぎて、月給も右から左に消えることも珍しくなかった。一時期はこれでは何のために働いているのかわからないほどだった。何より子供か仕事か、いつも二者択一をさせられていることは精神的にもかなりきつく、毎日が綱渡りだったのだ。
 だからそんな玲子の苦労を知っているだけに、由利はこれまで母親に対して強く出ることができなかった。
「だけどあたしはママみたいにバリバリ勉強して、バリバリ働いてっていうキャリア・ウーマンタイプじゃないもん。たとえママの言う通り勉強しても、帝都大学なんか逆立ちしたって無理だし。それにそこそこの大学へ入ったとしても、あたしはママみたいな理系女子じゃないし。かといって法学部とか経済学部なんかへ進学するのなんか絶対に嫌。興味ないもの」
「由利・・・」
「うん。それにママは最近、平日は仕事を一生懸命して、お休みは信彦さんと過ごようになったじゃない? あたしはひとりで家で過ごすわけだから、結局のところどこにいたって一緒じゃないかな?」
 痛いところを突かれて玲子はくちびるをかんだ。玲子は六歳年下の男と交際しており、そこは娘も納得してくれていると簡単に考えていた。しかしまだ思春期のただ中にいる娘は、そんな母親のあけっぴろげな態度に傷ついていた。
「由利! 信彦のことは謝るわ。前にも言ってあるでしょ? 信彦が嫌なんなら、嫌と言ってちょうだい」
「違うの、ママ。あたしは何もママたちの仲を邪魔したいんじゃないの。だけどもう、こんな生活、正直疲れた」
 たしかに玲子ひとりでは掃除や洗濯など日常のこまごまとした家事までには手が回らず、家政婦を雇っていた。だからといって、それで家にひとり残された由利の孤独が癒せるわけではない。玲子は自分の愚かさ加減にほぞをかみたい気分だった。
 もっと娘と一緒にいるべきだった。だが今更後悔しても仕方がないことは、玲子が一番よく解っていた。
「あたしはもう、これ以上ママを待ちたくない。初めからママに期待さえしなければ、もっと気持ちも楽になれるはず」
 聞き分けのいい娘は、初めて本音を漏らした。
「・・・だからといって何も京都へいくことはないでしょう」
 どうにかして玲子は娘を引き留めようと必死だった。
「お願い、由利。どうか考え直してちょうだいよ。信彦とは絶対に結婚しないし、別れろっていうなら、今すぐにでも別れるわ。ママにとってこの世の中で一番大事なのは、由利以外にはないのよ」
 玲子の懇願を聞いているのは身が刻まれるように辛かった。だがここで負けてはならないと由利は自分に言い聞かせた。
「うん・・・うん。ママ。ありがとう。あたしもママのことが大好きよ。そこは誓って本当。信じて」
 由利は興奮している玲子をなだめるように言った。
「でもね、そんなふうにママに何かを押し付けるのは嫌なの。ママはこれまであたしを育てるのに、ものすごく苦労してきたんだから、信彦さんと結婚するのもちっとも嫌じゃない。ママには幸せになってほしい。でもママのあたしに対する期待っていうのは、正直重い。あたしはママの希望通りの人間にはなれそうもない・・・だから、だから今は少しママから離れて、これから先の自分の将来についてひとりで考えてみたいの。これまでみたいにママにレールを引かれてその上を歩くんじゃなくて、自分の本当にしたいことは何かをじっくり考えてみたいの。ほら、ママはいつも自分の人生に主体性を持てって言ってたじゃん? それにあたし、自分のおじいちゃんにも会ったことないし」
 玲子とその実の父親である辰造は、絶縁状態にあった。
「そう、京都のおじいちゃんだって、あなたに急に来られたんじゃびっくりするわよ。まぁ、あの人にはあの人の都合があるだろうし」
「ん。でも手紙書いてみた」
 由利はひとりでもぬかりなく、着々と計画を立てて実行していた。これはもう引き留めることはできないのかもしれないと話している中で玲子は次第に観念したようだった。
「まぁ。それで、おじいちゃんは何て?」
「いつでも大歓迎だって。遠慮なく来なさいって」
「由利・・・。本当に私から離れて行ってしまうの?」
 いつもきりっと表情を崩さない玲子が、いつになく涙ぐんでいた。
「ママ、いつもありがと。感謝してる」
「感謝だなんて、由利。親子でしょ?」
「でも京都へ行ったって、親子であることは変わりがないんだし、あたしだって十五歳で半分大人でしょ? 自分のこれからは自分で決める権利があると思う」
 玲子は椅子から立ち上がって由利の傍まで行き、今では自分よりも背が高くなった娘の身体をぎゅっと抱きしめた。
「もう何でもできる大人ね。由利、わたしの可愛いユリちゃん。いつまでも小さい子供だと思っていたら、いつの間にかもうこんなに大きくなってしまって。でも誤解しないで。ママは確かにいい母親じゃなかったけど、由利を心から愛していることだけは本当よ。学費や京都での生活費はママがきちんと払うからね。それにお小遣いだって必要でしょ? お金が必要になったら、遠慮なく連絡してね」
nice!(2)  コメント(7) 

境界の旅人1 [境界の旅人]



予兆




 暗くて少し湿っぽい匂いのする古い玄関。それでも下駄箱の上には、祖父が自己流で活けた花が飾ってある。それは春の到来を控えめに由利に教えてくれていた。
 まだ馴染んだとは到底いいがたい式台に腰を下ろして、由利は三和土にきちんと揃えてあるスニーカーを履こうとした。初めてここへ訪れたとき、無造作に脱ぎ散らしたスニーカーを、祖父がなにも言わずにきれいに並べ直してくれたのだ。これまで全く気にもかけてこなかったが、祖父の生活ぶりを見て、改めて自分の行儀の悪さを自覚せずにはいられなかった。
 スニーカーに足を突っ込んだとき、ふとこれまでのように野放図に暮らしてはいけないことに気づいた。もはやひとりきりではないのだから。家の奥の方からカターン、カターンとリズミカルに響く手機の音がする。
「そうだ・・・。おじいちゃんに出かけるって言ってなかった・・・」
 由利はひとりごとを言うと、上がり框に腰を押し付けながら身体をひねり、奥に向かって叫んだ。
「おじいちゃん! おじいちゃん!」
「あいよー」
 孫娘の声に気づいたらしく、祖父の辰造は仕事の手を止めて返事をした。
「おじいちゃん? ねぇ、今からあたし、ちょっと散歩してくるから!」
「ほう、散歩か・・・」
「うん」
「どこへ行くんや?」
「えっ? とりたててどことは決めてないけど・・・」
 祖父はしばらく手を止めて考えごとをしていたらしく、会話に間が空いた。
「そんなら、御所のほうへ行ったらどうや? 児童公園の桜も、きっときれいに咲いてる頃やろ」
「御所? 児童公園ってどこ?」
「御所はな、京都御苑のことやで。児童公園ちゅうんは、昔、近衛さんの屋敷があったところや。そこの桜がな、糸桜ちゅうて昔から有名なんや。あすこは咲くのが早いから、そろそろ見ごろやないかな」
 由利はポケットに入っていたスマホで場所を検索した。
「ああ、おじいちゃん。児童公園って京都御苑の一番北の場所だね」
「そうや。今出川通りを挟んで道の反対側には、同志社大学と相国寺があるんやで。すぐにわかる。けど、あんまり遅うならんようにな、由利。晩ご飯までには帰って来るんやで」
 晩ご飯。
 由利は昨日、祖父が台所に立って手料理を作っているのを見た。これまでの由利にとって食事というものは晩ご飯に限らず、コンビニやスーパーで弁当を買い、ひとりで食べる行為だった。
「夕ご飯作るの、おじいちゃん? それじゃ、あたしもご飯作るの、手伝わなくても大丈夫?」
「ええ、ええ、かまへん。今日は豆腐屋がこっちへ回って来よったからな。晩は湯豆腐やし、簡単や。そんなん、気にしんと行ってきよし」
 この辺りは驚いたことに、昭和の時代さながらに、パープーとラッパを鳴らして豆腐屋が豆腐や油揚げの入った台車を押しながら売りに来る。それに辰造がそれとなく自分に気を配ってくれるのが、今の由利にはうれしかった。
「うん。じゃあ行ってくる!」
「気ぃ付けてな」

 由利はグーグル・マップを見て御所への道順を確認した。御所は由利の家から見て東にある。
「ン・・・と。ここが堀川通り、そして烏丸通りか・・・」
 京都は知っての通り、東西が碁盤の目のように区画がなされている。由利が住んでいるところは西陣といわれ、いわゆる織物の街である。昭和三十年代の西陣は、都市銀行がずらりと並んだ活気ある街だったらしいが、現在はかつての賑わいを想像することさえ難しい。
 家から東のほうへ向かうと、すぐに大きな通りに出る。そこが堀川通りだ。
 信号を待ちながら由利は手元にあるスマホの画面を見て場所を確認していたが、ふと顔を上げるとなんだか周りの空気が変わったように思えた。
「あれ・・・。ここってこんな感じだっけ?」
 由利は今自分が見ている風景に、どこか違和感を覚えた。
「ここってずいぶんとクラシックな街だったんだなぁ・・・」
 堀川通りに掛かった横断歩道を渡り、京都御苑のほうへ向かうにつれ、街はどんどん鍾馗の魔除けが付いた黒瓦に格子の桟の純然たる日本家屋ばかりになってきた。これがずっと京都に住んでいる人間だったら、今自分が歩いている空間がいかに異様であるかを一発で気づけただろうが、あいにく由利は、昨日、東京からこの京都に来たばかりだった。

 さらに烏丸通りを越えて、京都御苑の入り口のひとつである、乾(いぬい)御門をくぐると、鬱蒼とした木立の中に見事としかいいようのない桜の木がいくつもいくつも植えられている。この御苑の桜は日ごろよく見かけるソメイヨシノとは違い、そのほとんどが色の濃い枝垂れ桜だった。それぞれに微妙に色調が違い、中には紫に近いものもあった。しかしどれもこれも小さな花弁が上から下へと滝のように流れている。
「うわぁ、キレイ・・・」
 由利は思わず感嘆の声を上げた。
 だがこれほど壮麗な桜の苑なのにもかかわらず、由利の他にも人の影ひとつ見られない。普段なら家の外へ一歩でようものなら、観光客があふれているものなのに。
「うーん、なんか変だなぁ。ここって観光客も知らない穴場なのかな・・・」
 由利は思わず首を傾げた。
 それに先ほどスマホで確認した、児童公園らしきものも見当たらない。不審に思いながら先を急ぐと、急に視界が開けた。
 ここはどうも公家の邸の敷地内のようだった。よく見れば、庭に向かって開け放されている屋敷の大床に、この邸の当主と思しき男が奥方らしき女と一緒に座っていた。
 広く手入れ行き届いた庭には、大の男が両手で抱えてもなお届かぬほどの太い幹を持つ桜が幾本もあった。それらのいずれもが長い花房をつけた枝を幾本も垂らしていた。その傍には朱に塗られ内側を五色の糸でかがられている野点傘が、花の木ごとにいくつも掲げられていた。
 そして鮮やかな緋毛氈の上には、絢爛豪華な打掛の衣裳の女性や、直衣に烏帽子を付けた男性が座っていた。そして三々五々と酒を酌み交わしながら、この壮麗な花見の宴を楽しんでいる。
「なに、これ? コスプレ大会?」
 コスプレと一口にいっても随分とお金がかかっていそうだ。衣裳も見るからに高そうな金襴が使ってあるようだし、鬘もそんじょそこらの安物には見えない。それに紅毛氈に広げられている杯やお重は、黒い漆に金の蒔絵が施されていた。由利は関心しながら邪魔にならぬよう、花見を楽しむ人々の周囲を遠巻きにして歩いて行った。
「へぇ~、本格的! みんな役になり切っているじゃない」
 人々を観察していると、単に衣裳が本格的というだけでなく、所作も板についていた。箸やお皿の扱い方、そしてたもとに手をやるさりげない動きはまるで時代劇を見ているようだ。これは一朝一夕にできるものではないことぐらい、素人の由利の目からみても明らかだった。
「すごい・・・! これってもしかしたら、コスプレじゃなくて何かのドラマのロケなのかな」
 だがドラマのロケにはつきものの照明やカメラを操る人々の姿もない。
少し遠くのほうへ目をやると池があった。そのすぐ脇には一段高く作られた場所があり、そこには三味線、琴、尺八と和楽器を前にした奏者が三人座っていた。三味線を手にした女がおもむろに歌い出した。

 九重に咲けども花の八重桜
 幾代の春を重ぬらむ
 然るに花の名高きは
 まず初花を急ぐなる近衛殿の糸桜
 見渡せば柳桜をこき交ぜて
 都は春の錦燦爛(さんらん)たり

 曲に合わせて目にも綾な衣裳を身にまとったひとりの男が、扇を手にして舞い始めた。歌われている詞(ことば)は文語体なので、高校にもまだ入学していない由利にはよく理解できなかった。だが『近衛殿の糸桜』というのは、かろうじて聞き取れた。
「へぇ、ここって歌にも謳われるような有名なところなんだ・・・」
由利は非日常的空間が突如として現れたことにあっけにとられながらも、半ば陶然としてその光景に見入った。
 だが日ごろ慎重な由利は、そこでいつもの彼女にあるまじき決定的な誤りを犯してしまった。
 もっと舞をそばで見たくなり、つい太秦の撮影所の中にでもいるような気になって、大胆にも座っている人の中へ足を踏み入れてしまったのだ。すぐにいきり立った侍の恰好をした男に咎められた。
「女! おのれは一体誰の許しを得て、この場に入った?」
「えっ? 京都御苑って入るのに許可が要ったんですか? ごめんなさい、知らなくて・・・」
 男の度外れに高圧的な態度に気圧されながらも、もしやこれは主催者側のその場の雰囲気を壊さぬためのパフォーマンスなのであって、近年流行りだしたコスプレ必須で高額な有料制の花見の宴に紛れ込んでしまったのかもと、由利はとっさに思った。
「下﨟が! なんと心得る? ここは近衛さまのお屋敷じゃぞ? しかもそんな珍妙な恰好をして・・・」
 男は由利の無礼をなじっていたが、一瞬ことばに詰まると、ハッとして由利の顔へ目を走らせた。
「おい、おまえ。もしかして人間なのか?」
 気が付くと、周りの人間がしゃべるのをやめて、一斉にじっと自分に目を注いでいる。由利はそこになにか異常なものを感じ取り戦慄を覚えた。
「おい! 各々方、聞し召されい、こいつは生身の人間じゃ!」
 男は叫んだ。すると周囲は急に色めき立った。
「なんじゃと? 生身の人間? とすると生きの良い肝を食らうことができるのか?」
「おお、おお。生き胆など、久方ぶりじゃのう。思わず生唾が湧いてくるわ」
 そこに集った者たちが一様にさざめきあったかと思うと、優雅な花見の客から一転して、気味の悪い物の怪に変わった。
「きゃ~っ! 」
 あまりのことに、由利は思わず悲鳴を上げていた。
「な、な、何なの、これ?」
 その場から逃れようとしたが、むんずと足首を物の怪のひとりに掴まれて転んでしまった。物の怪の一群はじわじわと由利に近づいてくる。
「た、た、助けてえっ! だれか!」
 頭を手で覆い、ぎゅっと目をつむっていた由利の傍で声が聞こえた。
「おい、立て!」
 恐る恐る目を開けると、先ほどまで地唄に合わせて舞を踊っていた男が、自分に声をかけているのだとわかった。よく見れば、それは自分とさして年も違わないような少年だった。
「おまえ・・・なんだってこんなところに来たんだ・・・?」
 少年は呆れたように尋ねた。
 この人はあたしを助けてくれるんだろうか、由利は微かな希望の光をその声に見出そうとした。だがそれにしては、少年の顔はいやに冴え冴えと冷たい。
「なんだってって、言われても・・・。あたしだってこんなとこ、来たくて来たんでは・・・」
「まぁ、そりゃ、そうだろうな・・・」
「お、おまえ・・・」
 少年は自分のほうへ向けた由利の顔を見ると、一瞬驚いたように目を見張った。だが次の瞬間には、表情はもとの冷ややかなものに戻り、そして決心したように言った。
「参ったな・・・普段は決して助けたりしないんだが・・・今回だけは例外だ」 
「何をぐずぐずしておる、三郎! その娘をよこせ!」
 少年は倒れたまま由利の前にさっと立ち、物の怪たちを相手にした。
「これは、わたくしめが自分のために用立てて、召し使っている者にございます。今回は何卒ご容赦を」
「いや、人間の生き胆を食らうと二十は若返るというでな。三郎、黙ってそれをわしらによこせ!」
 物の怪たちは狂ったように叫んだが、三郎と呼ばれた少年は、胸元から扇を取り出すと、片手でぱっと広げて謡を謡った。

 花見にと群れつつ人の来るのみぞ あたら桜の咎(とが ※)にはありける
     ※ 他人が非難するのももっともな、欠点・過ち、けしからぬ行い

 たもとを広げて静かに舞う三郎のもとへ、まるで引き寄せられたかのようにさらさらと、桜のはなびらが宙に風に舞い上がった。由利は恐怖に凍り付きながらも、金砂が蒔かれた色鮮やかな絵巻物のような光景に目を奪われていた。
 そしてそのあと、少年は誰に聞かせるでもなくつぶやいた。
「たとえ生身の人間が、花に引き寄せられてここに参ったとしても、それはそれであわれなこと。引き寄せた桜にも咎はなかろうが、引き寄せられた者とて咎はないはず。見逃してやれるほどの度量を持たなければ・・・。それがたとえ人外のものと成り果てたとしてもな」
 だが物の怪たちはそんなことには構っていられない。我も我もと由利をめがけて襲い掛かってこようとする。
「消えよ!」
 少年が一喝して扇をかざすと、物の怪たちは強い光に吹き飛ばされて、急に視界から消滅した。
「えっ? これは一体どういうこと? あなた、何をしたの?」
「結界を張って、違う次元に逃げ出したのさ。だがそれもほんの一時のこと。あまり時間がない。さあっ、立てっ! おれと一緒に走るんだ!」
 少年は疾風のように駆けていく。手を引かれながら由利も必死になってその後ろを走った。やがて通りに面した今出川門のところまで来た。
「今からおれの言うことをよく聞けよ。まずここから急いで鴨川まで走っていくんだ。いったん川を渡ってしまえば、あいつらは追って来られない。本当は幸神社(さいのかみのやしろ)に寄ってから、鴨川へ出て欲しいところなんだが」
「え、さいのかみのやしろ? そんなとこ、あたし知らない!」
 息を切らせ、由利は泣きそうになりながら答えた。少年はそれをちらりと横目で見た。
「ふ・・・。じゃあ、とりあえず東に向かって走るんだ、そしたら大きな川に出る。そこからタクシーを拾え!」
「えっ、だってお金持ってきてないよ」
「そんなの、後から家の人に払ってもらえ。いいな」
「うん」
 由利は黙って首を縦に振った。
「まず、車で北大路まで北上して、そこから西に向かって西大路まで行ってもらうんだ。そして一条通りまで下がったなら、そこから改めておまえの家へ向かってもらうように運転手に頼め」
「なんでそんなに大回りしなきゃいけないのよ?」
「さっきみたいな魑魅魍魎に、また襲われたいのか?」
 三郎はまたちらりと冷たい一瞥をくれた。
「い、いやよ!」
 由利は即答した。
「じゃあ、黙っておれの言うことを聞くんだな」
「あ、は、はい」
 そういわれてしまって由利は、三郎のことばに従うしかない。
 別れ際に少年は、由利の額に手を当てて不思議なことを言った。
「今のこと、そしてわれのことは忘れよ」
 気が付けば件(くだん)の少年の姿はかき消されたようになくなっていた。気が緩んだせいか涙が後から後からこぼれてくる。それでもとりあえず由利は言われた通り、鴨川にまで走ることにした。
「なに、今の? ただ『忘れよ』って言ったって、あんなこと、記憶喪失にでもならない限り、忘れられるわけないでしょ? 妖怪に襲われたんだよ、あたし」
 

nice!(2)  コメント(6) 

ある意味『乙な店』 [雑文]

みなさま、こんにちは~。

今日はちょっと面白い話をしようと思います。

実はわたしのかわいい婿が4月にイギリスから帰国いたしまして、
ささやかですが、家族で歓迎パーティらしきものをどこか、おいしい店で
しようということにしていました。

で、場所は娘が友達と一回一緒に行ったらとてもおいしかった、ということで
そのお店にいたしました。

なんでも、ベトナム料理にタイ料理にフランス料理をするところで、
予約のお客のみ受け付けるとのことでした。
何度娘からきいても、店のコンセプトがわかりませんでした。

「タイ料理とベトナム料理っていうのは、なんとなく近いからって意味でわかるけど
どうして急にフランス料理に飛躍すんねん?」

あ~、娘にそんなことを聞くほうが間違っていました。

当日
4月にしてはとてもとても寒い日でした。

娘からラインがきて
「〇〇のところで待ち合わせね」

私はそれをみて
「直接店に入って待ってりゃいいのに」
と思ったのですが、実際出向いて娘の意図したことがやっとわかりました。

その店は一種の「隠れ家」的存在の店でして、
看板も表札も何も上がっていないので、
外からは絶対にわからないのです。

予約した時間より五分ほど早めに行くと
なぜか店主の友人という人が店を開けてくれました。
その人曰く、
「あ~、すみません。今店主は、タマゴを買いに外出しておりまして…」

その時、私の目は点になりました。
こういった仕込みみたいなものは、午前中にするか、
あるいはランチが過ぎたもっと早い時間にするものではないのかなぁと。

ま、わたしも古い人間になりつつあるので、
最近の人はこういうもんなのかなと一応納得して店内に。

部屋に通されたので、部屋にかかっているフックに来ていたコートをかけ、
テーブルの空いていた椅子に持っていたバッグを置きました。

すると店主が帰ってきたらしく、わたしたちのほうにくると
「いらっしゃいませ」とか「お待たせしてもうしわけございません」
でもなく、
「あ~っ!! このフックは、〇〇するためのものであって、
服をかけるためのものじゃないんですよっ! 廊下に出たところにある
フックに掛けなおしてくださいっ!」
「かばんは椅子に置くんじゃなくて、こことあそこに入れる箱があるんで
そこに入れてください」

ってアンタがやるんじゃないくてセルフかよって、そこでまずびっくり。
しかもニコリともしない。口調はめんどくさそうに言うんですよ。

そして、店主がメニューを持ってきたのですが、
今はやりのタブレット。

なんで、タブレットなんだ?

それでもって非常に見づらいんだよね。

店主にしかわからないメニューのマイ・ルールを説明されても
ちんぷんかんぷんです。
言っとくけど、わたしは理解力はその辺の人間より、ずっと優れているんだからね。
わからないのは、あたしのせいじゃないです。
しかも
「四人なら四人用の一括メニューがありますんで、それを
参照してください」

このオヤジそうとう来てんなと思いながらも、
なんとか四人で和気あいあい(!)と選び、
待つこと一時間。

ちょっと! サラダごときになんで一時間以上もかかるのだろうと
思いながら、それでもせっかくみんなで集まったんだしと
お互い、自分のイライラをなだめながら、雑談しておりました。

でもね、たのんだのは単なるニースサラダなんだよね。
タマゴがなくて生卵から茹でたのにしろ、これはちょっと時間がかかりすぎじゃないかなぁ。

で、ひとつひとつの料理は、ひとつひとつ、急ブレーキをかけたように、
ガッタン、ガッタンと大揺れしてやっと出てくるって感じなんだよねぇ。

で、この店に来てわかったことなんだけど、
この店のフランス料理というのは、本当のフランス料理じゃなくて
北アフリカ料理なわけよ。
クスクスとかさ、クミンとかちょっとアラビアっぽいわけ。

そこでやっと「ああ、なるほど。この店はフランスの植民地料理をサービスする店なのか」って。

ほかにもいろいろと、牛肉のビール煮とか、
肉の塩漬けにシュークルート添えとか、
アンディーブのハム巻きのグラタンとか
カスレとか
タジン料理とか出てきましたが、

はっきり言って、全部アチキが作れる料理じゃんよ!


しかもアチキのほうが、この店主より味付けうまいぞ。
それに、手際も早いし。




だいたい二週間前に予約してるんだから、
どうして四人来ていて、あんなふうに尊大に「オラオラ、タブレットめくらんかい!」って
言っていたくせに、
どの料理も四人前なかったのはなぜなのか?

それならさ、電話で予約したときに、「仕入れの関係上、メニューを今、お決めくださいますか?」
って言わないんだろう?解せぬわw


何でも予約したのは、娘なんだけど、そのとき
普通なら「ハイ、〇〇でございます。ご予約でございますか?」って
普通なら聞くのに、「もしもし」だけであとは無言なんだってよ。
仕方なく娘が「あのぉ、予約したいんですけど」
っていうと普通なら
「ありがとうございます。それではお日にちとお時間、そしてお名前をお聞かせできますか?」っ
て誘導するじゃん?
全くフォローなし。
仕方なく、娘が「あの、すみません、〇〇日、の〇時に四人、予約お願いします」
って言ったんだって。そしたら
「名前は?」
「えっと、〇〇です。(〇〇は山田とか鈴木とか、よくある一般的な名前)」
「名前を言うときは、もっと大きな声でゆっくり言ってください!」

わたしの血が濃い娘は、かなりムカついていたらしいんだけど、
根が優しいので
「〇〇〇です」
「漢字は?」
なんなんだ、この傍若無人さは?
なんなんだ、このサービス業に似合わぬ尊大さは?

帰りのタクシーでは
心優しい夫を除いて、私、娘、婿で悪口大会でした。
「ちょっとありえない対応じゃないかった?」
「いや、ネタとしては面白かった」
「あれは一種のコミュニケーション障害じゃないの?」


京都は味もサービスもみなしのぎを削って
切磋琢磨しないと生き残れないところ。


一年後も店が存続していたら、ある意味すごいですが、
まぁ、客のことを一切忖度しないオヤジがやっている
こわい店というコンセプトで押し切れば、
続くかもしれない…?


神のみぞ知る。













nice!(2)  コメント(0) 

ハンガリーのクルチザンヌ 『薔薇は死んだ』 [読書・映画感想]

274333_1449772373_5962 (1).jpg



昨日、アマゾンプライムにて映画を視聴しておりました。

見ていたのは、コレです。
『薔薇は死んだ』って映画です。

制作はなんと珍しいことにハンガリーなのですね。
私はハンガリーの映画って初めて見るかもしれない。
結構雰囲気のある、素敵な映画でした。

このお話は第一次世界大戦前のハンガリーの話ですね。
だからまぁ、年代的に言えば、1915年ぐらいの話かな。
ハンガリーはその当時、ハプスブルグ帝国の一部に属していたのですね。


まぁ、出てくるのはクルチザンヌ(高級娼婦)、つまりヨーロッパにおいては
必要不可欠な人種、半世界のヒロインです。


ゾラの『ナナ』なんかを読んでみるとわかるんだけど、
たいていこの手の女って「女優」を名乗っているよね。
で、パトロンが大金持ちの旦那です。


映画を見ているうちに、いくつかのことと対比させていました。

これを見ていると、どうしてもジェレミー・アイアンズとオムネラ・ムーティが主演した
『スワンの恋』を思い出さずにはいられなかった。

これも同じ、高級娼婦とパトロンの話です。

どっちもおんなじ立場ながら、パリってところはやっぱり垢ぬけていて
ドレスにしろ、宝石にしろ、このハンガリーの娼婦のものより
どれも桁がひとつほど違うな、って感じがした。

『スワンの恋』をみたときは、私自身が二十歳ぐらいだったけど、
「うわぁ、素敵だなぁ」って素直に憧れました。


パリのほうでは、カルティエかショーメあたりであつらえた
ダイアモンドのネックレスをさらっと旦那がクルチザンヌプレゼントするのに対し、
ハンガリーの旦那のほうはなんとな~く暴君で、
それなりに高いんだろうけど、スワンがくれるようなデラックスなものはくれない。

パリの高級娼婦が住んでいる館は、小ぶりながらも
すんごくハイセンスなおうちで、オスマンのパリの大改革が終えたばかりのせいか
家具にしろ、床板にしろ、壁紙にしろ、きれいなのよ。新調されていてね。

でも、ハンガリーの館は贅沢なのかもしれないけど、
古いものをそのまま使っているような感じで、
なんとなぁく、全体的にぼろっちい感じがした。

なんとなくこれが当時の国力の差なのかなって
そういうことにずいぶんと感心しながら見ていました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ふたつめは、高級娼婦の館で下働きをすることになった少女のことね。
たぶん18歳ぐらいかなって思うんだけど、
そりゃあまあ、別嬪さんなの。
お肌がつるつるでピカピカで真っ白で、
こう匂い立つような清冽な美しさっていうのかな、
若さだけが持ち得る魅力というのかな、
そういうのがものすごく強調されていてよかったです。


でも、こういう「若さ」に付随した美しさって他の女優さんだってあるわけで
小川洋子原作の『薬指の標本』に主演していた、オリガ・キュリレンコや
『真珠の耳飾りの少女』に出演していたときのスカヨハも同等美しさがあったです。

でね、このカトゥちゃん、ものすごく目が大きくてかわいい顔をしているんだけど、
見ているうちに「あ、この顔、どこかで見たような顔だなぁ」って思っていて
それはね、ルーベンスの最初の妻、イザベラ・ブラントにそっくりなんですよ。


images.jpg
peter-paul-rubens-isabella-brant-rubens-first-wife-1621_u-L-P13UQX0.jpg


C2nhrwLUQAY5itM.jpg

この女の子、カトゥっていうんだけど、(ドリフターズのカトちゃん?)
おそらく、カトリーヌかキャサリンという名前をハンガリー風につづめたものだと思います。
この子は粗末な身なりで、編み上げブーツを履いているんだけど、
一瞬、その華奢で細い足首が写るんですよね。(ブーツ越しにですけど)
それがなんともいえないほど、魅力的なの。
脚で殿方を悩殺できるわってかんじかな。



まぁ、こういうたぐいの話はほかにもコレットの『シェリ』だとか
ほかにも探せば似たような話はあります。

たいていものすごい美少女だけど、貧しい娘が
こういうふうに貴族かブルジョアの男の妾になって
贅沢三昧するんだけど、

どうしたって、その美貌は歳とともに衰えていく。
この映画のヒロインである、クルチザンヌのエルザも35歳なのよね。
憂いを帯びた美人なんだけど、
もうすぐその賞味期限も切れそうだなって感じの美貌なんですよ。
崩壊一歩手前っていうかさ。

だからこういう終わり方、よくあるだろうなって感じでした。

そういう意味でも『スワンの恋』のオデットは、あの手この手で
スワンを惑わして、めでたく奥方の地位をゲットするんだから
やっぱりどえらい女だなって思ったの。
nice!(1)  コメント(0) 

オーストラリア [読書・映画感想]

ダウンロード (3).jpg




昨日、以前から「いいよ」と言われていた「グレイテスト・ショーマン」を見ようと
アマゾン・プライムに行ってみると
残念なことにもう終了していました。

本当はドラマを見てもよかったのですが、
でもドラマって見るまでがなんとなくおっくうになりがちです。



というわけで、HULUでもうすぐ終了になる『オーストラリア』を見ました。

主演はニコール・キッドマン。
わたしの大好きな女優さんです。

結構男勝りの女傑、みたいな役どころをさせるとうまい。

彼女は長身で、おそらく180センチと世間的には公表されているけれど、
おそらく逆サバを読んで本当のところは182センチくらいだろうというのが
世間で通っている噂らしいです。

それにただ美しくて勇ましいというだけじゃなくて、
こう包み込むような母性溢れた演技力、
そして、持ち前の何とも言えないかわいらしさっていうのが
この女優さんにはありますね。

しかもやはり主役を張れるだけの、
華ってものを持ち合わせているように思いますし、
途中でダンス・パーティのシーンがあるのですが、
スタイルのよい彼女が素敵なドレスを着ていると映えます。

そして見るまでは知らなかったのですが、
ニコール・キッドマンの恋人役には
まさかのヒュー・ジャックマンでした。
ニコール・キッドマンのお相手をする男性って
ほとんど190センチ近い超高身長の男性がほとんどですw

~~~~~~~~~~~~

さて、ですね。

この『オーストラリア』という映画ですが
タイトルの通り、第二次世界大戦中のオーストラリアを舞台に、
話は進んでいきます。

この映画はレディ・アシュレイことニコールキッドマンと
ドローヴァー(牛追い)こと、ヒュー・ジャックマンの恋を縦軸にして
いろんな話が重層的に織りなされているのです。
大きく言えば、この映画のテーマは『差別』でしょうか?


ふたりの素敵な恋の話は、実際映画を見て楽しんでいただくとして
ここでは差別について少し、語っていきたいと思います。

hyujakkumann.jpg


いろいろとこの映画には差別が出てきます。
女への差別、人種差別、階層的な差別 。などなどなど。

差別というのは「差別する側」が「差別してやろう」とか「悪いことをしてやろう」という
意識が全くない、というのが一番罪深いっことなのですね。


「やって当然」とか「そうするしか自分たちの安寧は守られない」
あるいは「こうするのが相手側にとっても幸せはなず」
「社会的な秩序が守られるためには仕方がなかったんだ」

ってことを言いがちです。
ですがこういう意識が行きつくところまで行くと
戦争になる、ってことをよく覚えていてほしいのです。

戦争とはどちらの側にも「大儀」があり、どちらの側にとっても「聖戦」です。
どちらも自分たちのほうが「正しい」と信じて戦っているのですよ。

~~~~~~~~~~~~~~~
で、このオーストラリアで取り上げている大きな差別とは何なのか?
それを少し説明したいと思います。



オーストラリアは『白豪主義』っていうのを 貫いていました。

『白豪主義』って聞きなれない方のために、一応説明いたしますと、
「オーストラリアにおける白人最優先主義とそれに基づく非白人への排除政策」とのことです。
つまり、白人が入植するまでオーストラリアには先住民族であるアポリジニの土地でした。
ですが、白人が様々な手段でアポリジニを駆逐していこうとしていたのですね。




で、この映画の大きな骨子になるのですが、
『盗まれた世代』と呼ばれた人々がいます。
どういう人たちかというと、アポリジニと白人の間にハーフの人たちのことです。

国はこういう混血の子供をアポリジニの親元から引き離して
一か所にまとめ、
白人と同じ価値観の教育を受けさせようとします。


でも一見、無知蒙昧なアポリジニにから文明の開けた環境で育ててやるんだから
結果的にいいじゃないかと思われるかもしれませんが、 本当はそうではありませんね。

だいたいにしてアポリジニの人々を「無知蒙昧」とか「文明を持たない」と思っているのは
上から目線の白人たちなのであって、
アポリジニの人たちは自分たちの伝統や文化に沿って 生きているのです。

文化の多様性というのを全くもって認めようとしない きわめて視野の狭いものの見方でしたが、
当時はそれが当たりまえでした。


そしてまたこれには裏の側面がありまして、
白人はこういう中途半端な人間をそばに置いておきたくなくて、
「教化する」という体のいい名目を使って
アウシュビッツのように収容していただけなのですね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

レディ・アシュレイの牧場には
ひとりのアポリジニと白人のハーフの子供がいるのです。
名前は『ナラ』といいました。

どうやって生まれたかというと、白人男性がアポリジニの女性を強姦した結果、
生まれた子供なのです。

レディ・アシュレイはこのナラを非常に愛しく思い、
わが子同様に育てます。
でも当局の手が伸びて、
執拗にナラとレディ・アシュレイを引き離そうとするのですね。



レディ・アシュレイが「正式に縁組してこの子は、私の子供として
責任をもって育てる」と言っているのに、
「女のたわごと」として世間は非常に身分が高いレディ・アシュレイといえど、
本気で取り合おうとしないのです。

それがまぁ、女への差別ですよね。


レディ・アシュレイで『伝道の島(世間から隔離された一種の収容所)』に連れていかれそうになっているナラに取りすがって、話されまいと懸命になっているのに、それを見守っている人々の目は冷ややかです。
「貴族のくせにみっともない。みんなの前で愁嘆場をやらかして」
こういう場合、女性のほうがさらに差別に追い打ちをかけますね。



ですが、反対に言えば、
白人で男性でさえあれば、こういった力の頂点に立つことができるので、
結構悪辣なことをしても、世間が容認しているってことが
非常に恐ろしいなと思いましたね。

ちょっと前の世の中というのは、そういうことが当たり前の世の中だったんですよ。

今じゃ生まれたときから参政権はあるし、財産の相続も認められる、
男と同等な教育も受けることができる。
(とはいえ、まだまだ差別というものは、この世からなくなってはいませんが)

ですが、これは過去にレディ・アシュレイのような女性たちが
孤独に耐えながらもひとつひとつ、勝ち取ってきた尊い権利なのです。




そして一度はアポリジニの女性と結婚していた
世間的に見れば脱落者であるドローヴァー(ヒュー・ジャックマン)
とナラを取り返しに行くという話でもあるのです。

この三人は全く血のつながりはありませんが、心情においては
レディ・アシュレイは母親だし、ドローヴァーは父親なんですよ。

331364_009.jpg


~~~~~~~~~~~~~~

そしてもうひとつ、大事なことがあります。
アポリジニとしてのアイデンティティということでしょうか。

実はナラのお祖父さんは、なんというのかなぁ、
一種の賢人というか、魔法使いというか、
そういう神聖な人なのですね。

裸にふんどし一丁という姿ですが、
荒れ果てた大地にフラミンゴのように片足だけで立っている姿は
威厳に満ち溢れています。


この人は神の声が聞ける人なのですね。
ま、一種の預言者なのです。




アポリジニの子供はある年齢に達すると
旅に出なければならないのです。

それはアポリジニとして生まれた男の子なら
どんな子でも体験しなければならない
通過儀礼でもあるし、
またそれを潜り抜けたことで、
一人前の男になっていくのですね。

レディ・アシュレイは母性の人ですから
自分の息子から引き離されるのを拒みます。

ですが、ドローヴァーは男ですから
そういう通過儀礼の大切さを身をもってよく理解しています。

「行かせなければならない」って
レディ・アシュレイを諭すんですね。

やはり男と女の役割ってそれぞれあるんだなぁって
見ていて決壊していました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ニコール・キッドマンは『ライオン』っていう映画でも
インド人の孤児を引き取るオーストラリアの女性の役をしていました。

また実生活においても、養子をふたり育て上げています。

血がたとえつながらなくても、親子の絆はつなぐことができる、
そしてまた、実際の血縁というものよりもずっと、
そういう精神的なつながりのほうが大事なんだと
映画を見る人に訴えかけているようにも思えるのですね。


nice!(3)  コメント(0) 

つれづれなるままに、最近のいろんなこと [雑文]

去年の夏からパソコンの調子が悪かったので、
買ってはあったのですが、とにかくセットアップするのが
超面倒臭くて、ずうっと放りぱなしにしておいたんですね。

小説書いてるときも、ワードで文章が吹っ飛んだってことも
何回もあったし、懲りてさっさとセットアップすればいいものを
それでも使い慣れたパソコンっていうのはありがたいもんなんですよねぇ。

しかし、そうやってだましだまし使っていたのだけれど、とうとう昨日、ご臨終になり
今日、いやいやセットアップしました。
ま、それでも夫が休日だったのでよかった~。
たいていやってもらっちゃったんだもん。
リージョンを探しているとき、なかなか日本が見つからなくて焦っていましたが、
南極、日本、米国の順に並んでいたので笑っていました。


noteについて少し書こうかなぁって思います。
たしかにね、noteってブログなんかよりもずば抜けて閲覧数が多いの。
だから、これまで「日々是好日」なんかで書き溜めておいた
読書感想文なんかはせっせとnoteのほうへ移しておくべきかなぁとも思い、
今、それを中心にやっているかなぁ。

だけど、noteはnoteならではの良さもあるけど、欠点みたいなものもあるんだよね。
なんかさ、下手すると自分のトリセツみたいなのを延々を書いている人がいたりして
そんなの全く興味ないから!って思うよね。
というか、ブログ的な日記として使うところじゃない、って思うのよ。

いやさ、そういうのも別に悪かないけど、そういう自分のぐちぐちした心情を語るには
なんていうのかな、かなりの文章力がいるんですよね。
たとえば太宰治みたいなね。
あの人の作品はみんな女々しい。だけど文章に品格があるから、
そういう女々しさを「いやだな」とは感じさせないんだよね。

文章にするには、自分の赤裸々な心境を一度第三者の目になって
フィルターにかける必要があるんだね。
いわば、それが世阿弥のいうところの「離見の見」ってやつじゃないかな。


私もこう、本当は自分のどろどろしたものをもっとここで語ってみたい
とは思うんだけど、どうもね、書いていると嫌な気持ちになってくるんだよねぇ。

だから、読む人はもっと嫌なものを感じるだろうと思うし、
やはり筆力がいることかなぁって思う。

まぁ、そうだね、noteって課金することもできて、
自分が一生懸命書いたというプライドがあるものをよそさまに披露するには
すごくいい場所なんだろうけど、

日々のタルい所感、つまり、いま書いているようなものだけど、
こういうのは自分のホームであるここで書くのがいいのかもって思う。

そうね、ブログはホーム、noteはアウェイって気がする。

でもね、noteってさすがにいろんなプロが集まっているだけあって、
課金するだけのことはある、っていう情報満載の記事って多い。
私も結構、買いました。


小説もまぁまぁ売れてます。
皆様も応援よろしくですわ。

ベルのほうも婿にドレス姿のOさまのイラスト描かせて、新作書いて、課金すべえかと
考えたりするこもありますけど(実行するかどうかはわかりません)


まぁ、好きなことを好きなままにやっていられるのがアマチュアの楽しさなんで、
これがプロだったら、本当に大変。
画家の娘を見ていると、つくづくプロって大変だなぁ、
芸術をお金にすることは、企画力、そして営業力、行動力、体力、などなどなど
人間力が本当に必要だなぁと思います。


nice!(3)  コメント(0) 

天正少年遣欧使節『MAGI』 ファンタジックに語られる四人の少年の物語 [読書・映画感想]

wJH9Y9ukZqQhMDXDXjN2FFIUb714uDQkkRpuneWlf8rZOCutXsMJhz8NYOzp742j.jpg


こんにちは~。今年は桜の花のモチが異様に長くて本当にいい春でした。
私は三月の下旬ごろに、『錦帯橋』の絵をかいて欲しいという、オーダーが入った
娘について行って岩国まで行ってきました。岩国の春も本当に美しかったです。
今年はいつも行っている吉野はやめにして、三井寺に行ってきたのですが、
三井寺ってこんなに桜が美しい所だったのですね、三井寺の山全体が桜色に染まって本当に
きれいでしたし、さすがに昔から名刹として名高いお寺だけに
伽藍も非常に立派でした。

ちょっとお茶目なのは「るろうに剣心」の看板が立っていて、
「ここで撮影されましたよ」って書いてあったの。
私は映画を見ていて「ここって高野山?」と思っていたので、
疑問が解けてスッキリしました。

京都は昔から何度も何度も火事で街が焼けてしまって、
意外とふるーいものって残ってなかったりしますが、
比叡山を越した、坂本あたりは、室町時代以来の古い以降とか
庭園などが残されていて結構面白いところです。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて!
1月からずうっとずうっとパソコンに張り付いて、
来る日も来る日も小説を書いていたのですが、
三か月も書いていると、頭の中にあるものはすっかり出尽くした感じがします。
やはり気候がよいこれからの季節は
しっかりと外へ出かけたり、本を読んだり、ドラマや映画を見て、
内面を肥やすことに時間を費やしたいと思います。

さて、そういうわけで脱稿したあと、さっそくドラマを見ました。
それはじゃ~ん『MAGI』です。

これは私がAmazonプライムに入会しているので
見られる特典なのですが、
このドラマはAmazonが作ったもののようです?
(よくわからないのですが)

2019年1月から世界に向けて同時公開と書いてありましたので
比較的新しい作品でしょうか。

このドラマの主人公は戦国時代にイエズス会によって西洋に派遣された
四人の少年です。
「天正遣欧使節」ですね。

伊東マンショ、原マルティノ、中浦ジュリアン、千々和ミゲルという四人の少年です。
これって、歴史の教科書にもちらりと書かれていると思うからみんな一応名前だけは
聞いたことがあるわって思う人が多いと思うんですよ。

あたしもそれと全く同じで、
へぇーそういうのがあったんだ。ってぐらいしか知りませんでした。

で、今から10年ほど前かなぁ、
この四人の少年たちについて書かれた本があって
それで初めて、この少年たちがどうしていたのか全貌をつかむことができました。




クアトロ・ラガッツィ 上 天正少年使節と世界帝国 (集英社文庫)

クアトロ・ラガッツィ 上 天正少年使節と世界帝国 (集英社文庫)

  • 作者: 若桑 みどり
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2008/03/19
  • メディア: 文庫



クアトロ・ラガッツィ 下 天正少年使節と世界帝国 (集英社文庫)

クアトロ・ラガッツィ 下 天正少年使節と世界帝国 (集英社文庫)

  • 作者: 若桑 みどり
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2008/03/19
  • メディア: 文庫




作者は若桑みどりさんという方で、この方は学者さんなのですね。美術史の。
だから、非常に詳しいのだけど、ちょっと文章が難しくてなかなか読むのに骨が折れた本です。
それでも、この本は学術論文ではなく、一般向けに書かれた教養書だったから
読めたような(他のは挫折しています 汗)


ドラマでは「マギ」というタイトルをついていますが、これって
バックグランドを全く知らない人がみて「なんでマギ?」ってことになると思うんですよね。

で、マギとはそもそも何かっていうと、
キリスト教ではイエスが生まれたとき、星が大きく輝いて、
それを見た東宝の三賢者が「救い主になるような偉大な人物が生まれた」ってことを知るんですね。
それで、わざわざ東からえっちらおっちらとイエスのところに来るのです。
名前が、バルタザール、ガスパール、メリキオールといいます。


当時、イエズス会の東洋の巡察師であったバリニャーノという人は
極東の日本人の少年を「東方三賢者に見立ててローマに派遣してはどうか?」という
壮大な夢を思いつくんですよ。

で、だけど四人の少年とこの東方三賢者となんのつながりがあるの?って思いますよね。
私も思っていました。
当時は船に乗って、日本からヨーロッパへ行くのはものすごい大旅行でした。
途中で死ぬことも多かったみたいです。
ですから、本当は三人でもよかったのですが、ひとりはなんと、「スペア」だったんです。

スペア!


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

まぁ、外枠のハナシはこれくらいにしておきまして、
ドラマの中身を言いますね。

なんの前知識もなくても、このドラマって非常に楽しくて
ファンタジックでかわいらしいドラマだったと思います。

主人公の四人の少年はみんなイケメンでかわいらしい男の子ばっかりだったですし、
容貌が優れているので、日本人には結構恥ずかしい恰好である16世紀のヨーロッパの
エリザベス・カラーにカボチャズボンが非常によく似合っていた。

でも、貴人に拝謁するときは、皆本来の日本人の正装である裃を着るんですね。
それがまぁ、なんていうのかな、金襴で作ってあるのだけど、
みな花柄でピンクとか水色とか、まるで人形浄瑠璃に出てくる「お城の若さま」のような
かわいらしい恰好なんですよ。そこがまたよかったなぁと。

そして、四人の少年がいわゆる「カトリックの信仰に燃える日本人」という切り口ではなく、
「みんなそれぞれ他の目論見があって、カトリックを利用しているにすぎない」
というふうにきわめて現代的な視線で描かれていたのが、素直に共感できる気がしてよかったです。

マルティノは日本のコレジョ(英語のカレッジね)では一番の秀才で、
ポルトガルもラテン語もできました。
彼は広い世界に出て、いろんなことを吸収したいと思って出かけるんですね。

マンショは、戦乱の世で負けたある領主の息子だったようです。
ですが、一族郎党すべてを失った今、自分の生き方がわからず、こういう世を作った
信長に拝謁したいがためにキリシタンに近づいた少年として描かれていました。

信長に拝謁したとき、「イエスの愛とは何か」「自分がまっすぐに立っていられるためにどういう手立てを成すべきなのか」をしかとヨーロッパへ行って学んで参れと送り出されたのですね。


~~~~~~~~~~~~~~
しかし、ヨーロッパへ行っても、そこには日本とは違う文明国家があるだけで、
キリスト教の宣教師たちが説く、イエスの愛を実践している天国はありませんでした。

そりゃそうですよね。キリスト教も仏教も根本的にはそんなに違わないものだと思います。
ただ、日本人が何に惹かれてキリスト教に改宗するかといえば、
宣教師の姿を見て、「キリストの愛の実践している」と思うからでしょうね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
少年たちは長崎からゴアへ行き、そこからアフリカの喜望峰を通り、北上して
ポルトガルのリスボンへいき、スペインのフェリペ二世に会い、
そこから、地中海で船に乗ってイタリアへいき、ボローニャに行き、フィレンツェへ行き、
ローマへ行ってローマ教皇に拝謁して帰るのですね。


史実では中浦ジュリアンは、マギに扮しているので、
教皇に拝謁できなかったとあります。

ですがドラマでは、教皇は「本当は三人ではなく、四人でやって来た」と知るのです。
すると、「なぜ、全員でやってこなかったのか。ぜひ私に会いに来なさい」
といって、中浦ジュリアンだけがひとりで、教皇に会うシーンがあります。

教皇はジュリアンをひしと抱いて「よくやって来た」と歓迎するのですよ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
中浦ジュリアンは、本当は教皇に拝謁していません。
ですが、一番激しくキリシタンとして生きた人です。
たぶんですが、ローマに足を運んでいながら、
バチカンに行けなかったことが、彼の生涯に暗い影を落としていたのじゃないかなって
思うのです。

彼が、一番惨い方法で殉教される直前、こう叫んだといいます。
「われこそは、かつてローマに赴きし中浦ジュリアンぞ」と。

ですから、たとえフィクションでも
中浦ジュリアンが教皇に拝謁したシーンがあるのは、
ジュリアンにとって良かったと思えるのです。

Dx6MKMVXQAAaSt3.jpg



nice!(2)  コメント(0) 

こんにちは。最近あったうれしいこと。 [雑文]

こんにちは。

最近、とんとご無沙汰しております。
ちょこっと虚脱状態にあるっていうかね…。


婿が4月になってイギリスから帰ってきました。
やっぱり顔を見るととてもうれしいです。
彼とは馬が合うんですよね。

まぁ、もともと実力があるので、
すぐに再就職も決まったし。

いろいろとうれしいです。
nice!(3)  コメント(2) 

『反逆』 遠藤周作 [読書・映画感想]

こんにちは!

昨日のお昼の二時ごろですが、めでたく脱稿しました。

ここで誤解なきよう言っておきますが、脱稿というのは、
全部終わりまで書いたよ、ということで、「完成」じゃないです。

小説を書くという仕事は、着想を経て、あらすじをメモ書きにし、
それを小説という形にいたしますが、それを完成させただけでは
全体の6割ぐらいしか、仕事をしていないことになります。

作者は書いている途中、途中で言葉や表現が重ならないように細心の注意をしながら
書き進めるわけですが、それでもどうしてもあとで読み返すと
思いもよらぬバグというものが生じるものです。

ですので、作者のほうも読者と同じ気持ちで読むためには、
いっとき、その作品から離れて忘れてしまう必要があるんですね。

昨日、作った作品はだいたいA4用紙の縦書きで202枚ありました。

原稿用紙にすると、どれぐらいの長さなんかなぁと思いまして、
A4一枚を原稿用紙に換算してみると、およそ4.3枚。
全体を原稿用紙にすると、およそ870枚ぐらいだと思います。
たぶん、文庫本ぐらいにすると上下冊ぐらいになるんかなぁ。

一月7日から初めて、昨日の4月4日で終わったのだから、
まるまる3か月ほどかかった勘定ですかね。

本当に長かったです。

話のよしあしは別にして、ここまで長い話を途中決裂もせずに書けたことに
喜びを感じたいかなぁと思っています。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

長い、長い、前振りですね。

小説を書いている間、遠藤周作先生の『反逆』というのを読んでいました。
遠藤さんは、カトリックの作家ですが、
結構、レパートリーが広く、現代モノから『王妃マリー・アントワネット」みたいなものも
書いておられるし、今、読んだような戦国の時代ものも書いておられる。

で、やっぱ、一流の作家の書いたものって違いますね。
文に品があるもん。

この話は戦国武将の「心の在り方」なんでしょうか?
主人公はさまざまに変遷していくのですが、
最初のひとりは荒木村重。

この人は、巷では戦国武将にあるまじき恥ずかしい奴、ということになるのでしょうか。

この人は、信長に「裏切り者」という嫌疑をかけられて、
最後は自分だけ、息子の城に逃げたので、もともと逃げ出した城に留まった
奥方、子供、家来、城下の人間、ことごとく成敗されてしまったそうなのですね。


しかし、こういう場合、一国一城の主であれば自決して果てることこそ、
美しいといわれる一形態であるというのに、おめおめと生き残るというのはどういうことか
とその村重の心のうちを探っていく話なのです。

ただ、村重の主にあたる、信長というのは本当に怖い人で、
それもただ、怖いんじゃないですよね。

今でいうサイコパスなんだと思うんですよ。
人を殺すということになんの躊躇もない。

比叡山を焼き討ちにしたのは、非常に有名な事件ですが、
それはただ、首謀者だけを殺しただけでなく、まだ幼い小坊主から
下働きの女に至るまで、全員を殺したそうです。


あるいは、古くからの忠臣も、さほどの罪犯していないのに、
むしろ傍目からみてかんばっているのに、
「懈怠」をしているというのが理由でみぐるみはがれて放逐。
しかも頼った高野山には「留まること許さず」という非常に厳しいお達し。

血も涙もないのです。

ここに来て、どうにもこうにも主君の気持ちが読めない、戦国大名らは
苦悩するのですね。

秀吉ですら、心の奥の奥に、「いつかは信長に逆らって自分が天下を取る」という
野心を誰にも知られないように、持っているんですよ。


秀吉って62歳で死んでいるのですが、
あれほど頭が切れて、人たらしの秀吉ですが、
晩年は見るも無残な呆けようだと思いませんか?
老けるのが早すぎるんです。


でも、一説によると、信長に酷使されすぎて、疲弊していしまっているのだそうですね。
もう、過労死寸前まで働いていたってことです。
天下を取ったあとの秀吉はすでにヌケガラだったってことなんでしょうか。


ま、このようにしてですね、みんな信長の仕打ちを恨んでいるのです。
荒木村重を謀反を起こしたとき、秀吉は何とかしてその気持ちを翻そうと
必死になりますが、村重にとっては苦渋の選択であって、もはやもとには引き返すわけには、
いかなったと、まぁ、私の下手な解説を読んでいてもらちがあきませんので、
それは作品を読んでいただくしかないのですが、

とにかく、遠藤周作の描いた信長という人物は怖すぎる。
だから、明智光秀が起こした本能寺の変というのも、
起こるべくして起こった事件だったと言ってよいのでしょう。



遠藤作品ならではの特筆すべき人物がひとり。
それはキリシタン大名、高山右近です。

わたしはこれまで書かれたどの小説であっても高山右近ほどの
傑物はいないと書かれてあったし、最後は信仰のために自分の領土まで捨てた
潔い人間なんだと思っていましたが、

だから、さぞ、遠藤先生は思い入れたっぷりに彼を描くのだろうなと思っていましたが
さにあらず。結構、男のくせに煮え切らぬハムレットのような人物像に仕上がっていました。

なにか「沈黙」に出てくるキチジローに通じるところがあるのですね。

これを読んでしばらく、どういうことなのだろうかと考えていましたが、
人間は多かれ少なかれ、どこか「キチジロー」的、弱さをもっているものなのじゃないか
という考えに至りました。

だから、突き放したように描かれている高山右近も遠藤先生にとっては愛すべき人物だったのでしょう。



反逆(上) (講談社文庫)

反逆(上) (講談社文庫)

  • 作者: 遠藤 周作
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1991/11/05
  • メディア: 文庫



反逆(下) (講談社文庫)

反逆(下) (講談社文庫)

  • 作者: 遠藤 周作
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1991/11/05
  • メディア: 文庫



nice!(3)  コメント(0) 

もうすぐ脱稿することができる!と思う。 [雑文]

こんにちは~。
毎日、ひーこら書いているsadafusaです。

あともう少しで脱稿できると思う!!!!!

はぁ~、実に、実に長く苦しい道のりでした。
話がいろいろと複雑なので、最後きちんとまとめられるかなぁ~と
ものすごく不安でしたが、
どうやら、きれいに収束できそうな予感(笑)

まぁ、とはいえ、脱稿ですから。
出来上がりじゃないのよね。

まぁ、基本的には6割ぐらい推敲しているので、
大幅な書き換え自体はないだろうと思うものの、
細かいところで文字や漢字の見直しはしなければらならぬのう、とは思うんですよ。

たくさんの人に読んでもらうのが一番うれしいんですが、
それでも自分の実力以上にうまく書けることもたまにあるんで、
そういうときは狂喜乱舞してしまいます。


脱稿して一か月ぐらいは、自分の好きな他のことをして
遊びます!

ドラマや映画みたいものもたくさんあるし、
本や漫画も読みたい。

ソーイングも長らくご無沙汰だったし、
編み物も止まったまま、

あ~、早く終わりたい~。

nice!(3)  コメント(2) 

三寒四温 [雑文]

今日の京都はめっちゃ冷えます。
ぶるるっと思わず震えてしまいました。

ここで苦しい、苦しいばっかり言ってますので、
さぞや毎日、小説ばっかり書いているんだろうと思われているかもしれませんが、
結構映画も見ていて、
ちょっと前は『女王陛下のお気に入り』って言うのも見たし、
おとついは『グリーン・ブック』って言うのも観た。

去年のうちに「ボヘミアン・ラプソディ」も見たわけだから、
これでオスカーを取ったのはみんな見たのかも。

映画というのはだいたい見るのに二三に時間しかかからないから
恰好の気分転換装置ですね。

『女王陛下のお気に入り』っていうのは時代的にいつの時代なんだろうって
詳らかな情報って言うのは分からなかったんだけど、
恰好みるとなんとなくわかるんだよね。

メアリ女王っていうと、一番有名なのは「ブラディ・メアリ」こと
メアリ・テューダーだと思うんだよね。
だけどさ、あの時代に特有なバロックの衣装でもなく、
男の頭がバッハみたいになっていたので、
ああ、これは17世紀の終わりか、18世紀がはじまるかどうかってところだよなぁ
とすると? ルイ14世の頃には王様は処刑されているし
ということはスチュアート朝なのか?ってことまで類推できたりして。
ああ、衣装は偉大だと思ったりする。

この映画ってストーリー自身も面白いけど、
全体の色彩トーンが白と紺なんだよね。
白黒じゃなくて白と紺ってあたりがちょっとひねってあって面白い。
昔見た「イギリス庭園殺人事件」っていう映画の雰囲気にも少し似てる。

グリーンブックもとってもお話自体がオシャレで
しかもジーンと来るような非常に美しいお話で、
良かったです。


ところで、最近noteにこうやってブログに昔書いた記事を載せたりしているんだけど、
それを勝手に自分ところで転載している人が多くて困る。

しかも本来、自分が思っていたのとまるっきり違う方向で採用されたりしていると
めっちゃむかつく。

この間、昔あたしが書いた、「ボヘミアン・ラプソディ」のトピをそのまま
転載している人がいて、
その人はあたしと思いを「共用」したとかなんとか言ってるけど、
どこが?やで。

その方と同じことをしているのは、親子でボヘミアン・ラプソディを見たことだけ。

あたしがあの映画を見て、感動したのはまったく別人の人達が
本物を見まごうばかりにフレディ・マーキュリーなり、ブライアン・メイなり、
あるいはロジャーなり、ジョンなりを演じた、その演技力に驚嘆したんです。

あと本当はもっとぐちゃぐちゃとしたフレディとメンバーの話を
真実以上に美しく再構成して、映画にしたっていうこと。

昔はね、もっとエイズに対して、不寛容でした。
フレディがみんなの前で自分がHIVに感染していて
その運命に従容として従うという、涙なしには見られないシーンがあるけど
そんなの今の世の中だから、そういうことができるって思うんです。

フレディはもうギリギリになるまでメンバーに自分がり患していることを
隠し続けていました。
首筋とかにできものができるとレーザーで除去していたんだよね。
ブライアンなんかが「ねぇ、それ、なんのあと?」って訊いても
「うん、ちょっとね」ってフレディは笑ってごまかしていたんです。

だから、もし死んだフレディがこれを見たら、
「こんなふうに正々堂々とみんなの前で自分がゲイだとカミングアウトできる世になったんだな」
って涙を流すと思うんですよ。

それぐらい、LGBTの人は肩身が狭かった。
まあ、いろいろな意味で今の世の中は、差別に気づいて差別が撤廃された世の中です。




だから決して、あのラミさんのパフォーマンスに感動はしたけど、
しびれて泣いたわけじゃないです。

それにあたしも娘のフレディやクィーンのにわかファンじゃないし。


あの映画を見て、あの歌唱力に惚れたのであれば、映画ばっかり見てないで
是非、本物のライブエイドをみてほしい。
映画では巧妙に隠しているけど、ラミさんよりもフレディのほうが圧倒的に
手足が細くて長いんですよ。
ラミさんは鍛えまくって、筋肉モリモリだったけど、
本物のフレディはもっと筋肉が長くて細く、
もっとしなやかなんだよね。


あの人は、クラシックのバレエダンサーといっても通用するほど、
身体の線がキレイな人です。
細身だけど、肩幅なんかあるし、鞭のようにしなるような
そういうすごく魅力的なプロポーションなんです。
だから当時、細身でぴちぴちのブリティッシュロックファッションが
超似合っていたんだろうと思うし。

ま、そこらへんに違和感があるかな、
だけどだれでもそういう風になれるわけでもないし。


また、ようつべなんかのうっすい音でクィーンの曲を聞くんじゃなくて、
是非是非、CDを買って、いい音楽環境で聞いてほしいなって思うよ。
だいたい、MP3なんかに圧縮された音なんて、スカスカだったりするんで、
それはまぁ、いわば劣化した不鮮明な写真を見るようなものだから。

ぜひぜひ、本物の『ボヘミアン・ラプソディ』をいいスピーカーを通して
聞いていただきたいものだと切望するものでございます。

はい、私とあなたとは何の接点もございません。


人の書いたものをタイトルそのまま使うんだったら、
きちんとよくよく人の書いた内容を吟味して使ってほしい。

まぁ、今のは愚痴です。

あとですね。
『月蝕』も良かれと思って、ツィッターに引用している人がいましたが、
中には「強姦事件」について研究している人がいて
犯人の心理としてあたしの小説も文言を持って来ている人もいましたが
それもやめて欲しい。

なんでかって、あたしは小説を書いているんであって、それはみんなあたしの頭が
作り上げたことなのよ。別に誰かを取材したわけでも、そういう強姦事件を参考にして
書いたわけでもないです。

それにこの小説のテーマは強姦じゃないし。(怒)

ツィッターにRTすれば、PV数が増えていいだろ?って思ってるのかもしれないけど、
そういう間違った使い方はやめてほしい。


まぁ、長いことSNS生活をしていて
昔は昔でそれなりに困ったことが起きていたけど、
今も今なりに、やっぱり間違った使い方をしている人が多いように思えます。

まぁ、そういうのも、その人の考え方なんでやめろとは言わないし、
また言える立場でもないけど、

あたしのところには近づいてこんといて、っていうのが偽らざる本音かな。


スミマセン。今日のブログは愚痴だらけでした。

nice!(4)  コメント(4) 

立つな、座るな [雑文]

こんにちは!

気が付けば、もう2019年の春も残すところわずかですねぇ。
それにもうすぐ平成も終わる。
平成の次はどんな年号なんでしょう。

皆さま、きちんと年号を使っておられますか?

私は平成が始まったあたりで、年号で計算することはやめまして、
すべて西暦で考えております。まぁさ、会社勤めだと、
そんなわけにはいかないんでしょうが、
自分から積極的にかかわって行かない限り、世間サマと隔絶されていたりする
専業主婦は、あんまり年号使わないんだよねぇ。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、わたくし、1月7日ぐらいから小説を書き始めて、
今、何と、A4用紙にして134枚目に突入しているところでございます。

起承転結でいえば、転なんだよねぇ。
おそらく200枚ぐらい行くと思うんですよ。

あああ、書いているときは辛い、だけど書かないでいても辛い。

書いているときは、何にもないところを書くときが一番辛い。
面白いっていうか、一番好きなのは添削しているとき。
自分がノッているな、って感じるときは、
直しても直しても「いやいや、あたしがいいたいのはこういうことじゃないんだて」
っていつまでも直していられるとき。

気分がサイアクのときは「あああ、直したくない」と思って原稿も見たくないとき。

今まで、一応どんな時でも最初から書き上げるまでは三か月を越すことはなかったような気がする。
これまでで一番長い「時間の記憶」を書いているときも、トンネルに光が見えてこなくて
「うわ~、書けるのかなぁ」って気持ちは真っ暗だった覚えがあるけど、
これはそれより、もっともっと長い。

でも、「いや、あれを書いたんだし、きっともっと長いもんも書けるさ」って
思えるから、経験って大事だよね!

でも小説を書いているときは、なにか昼間から常に自分の世界にトリップしているというか
白日夢を見ているような、憑りつかれたような状態だし、
気分転換して、他に楽しいことをすると、
小説書く気が全くうせてしまうような気がするので、
あまり刺激的なことはしないでおこうという自制がかかってしまいます。

ドラマとか小説などはあまり見ないようにしてます、自分の世界が壊れるような気がするから。

それに出かけたくないし、人にも会いたくないんだねぇ。
だからっていって、一日に書く文章の量なんてたかが知れてるんだけど、

だいたい、調子のよい日で4000から6000書ければ上々。
書けない時は書けないもんなぁ。

で、うんうんうなっている間に季節はさっさと過ぎて行ってしまうんですよ。
それが非常に切なくて。
時間がもったいないっていうか。

かといって、何もしていないと、
「自分、今、頑張ってるって言えるの?
 何のために生きているの?
 努力しない人生なんて人生って言えないでしょ?」
てこれまたすごーく嫌な気持ちになるんだよね。

どっちにしろ、嫌な気持ちになることには間違いはない。

ああ、人生ってなんなんだろうと、自問自答する、最近の日々。

nice!(3)  コメント(4) 

否定から入らない [雑文]

こんちは~。
少し間が空いてしまいましたね。スミマセン。

実はね、書けなくて悶絶していたの。
よくよく考えてみたら、これは趣味なのだし、
「ま、今日は調子悪いしやめとくか」で済む話なのですが、
でも、結局自分をキープしているのは、自分自身なんで
そうやって自分を甘やかしていると
何事も成すことはできなくなってしまうんですよ。

1月7日から書き始めたからかれこれ2か月ぐらい、せっせと
書いていたことになります。

でも、ここにきて、登場人物の細かい気持ちのヒダを書こうとして
なんかこう、ことばがこんがらがった糸をほどくように
とてつもなくめんどくさいものに思えてしまって

ああ、疲れているんだなって思いました。
それに、編み物教室の課題も迫ってきている。
そっちを放り出すことも潔しとしない自分がいるんだねぇ。

まず、編み物のほうをやっておくかと決心したところで、
今日はものすごい頭痛がするわwで実はこれを書いているんですが…


今日のテーマは…「否定から入らない」ということです。

人とおしゃべりをするときに、なるべく「それ、あたし好きじゃない」
とか嫌いとか、そういうことばを使わないほうがいい、と個人的には思うんですよ。

あたしは、フィギュアのザギちゃんがすごく好きなんだけど、
あるとき、初対面に近い人が
「ザギトワのあのコスチューム、田舎臭くて、よくないよね。嫌いだった」
って言ったんですよ。

あたしとしては、さすがロシアはバレエ大国。
音楽はバレエ「ドン・キホーテ」を使用していたので、
「ああ、キトリ(バレエの『ドン・キホーテ』はドン・キホーテが主人公ではなく、キトリとバジルという恋人たちが主人公)のコスチュームなんだね!」
と思ったのですが、そういうふうに「あたし嫌い」って言われると
会話が続かない。


だから、本心では好きじゃないことでも、「キライ!」って話さないほうがいいと思う。

世の中にはそれがいいと思っている人もたくさんいるんだからサ。



まさに、『十人十色』『蓼食う虫も好き好き』『亭主の好きな赤烏帽子』なわけです、世の中は。





人に自分の考えを発信するときは、まず自分が好きだなって思うことを言ったらいいと思うんですよ。

そして、相手が自分が好きじゃないものを好きだ、といったとしても
「アタシは嫌い」っていうと話が続かなくなるんで
そういうときはやんわりと「そうなんですねぇ」ってスルーしときゃいいんです。

あたしももともと、コミュニケーション・スキルが高い人間じゃないけどさ、
そのアタシでさえ、「?」って思うこと、最近、多いと思うんだわ。

別にこびへつらってまで無理に人に好かれなくてもいいとは思うんだけど、
かといって、ムダに敵を作らなくてもいいとは、思う。
nice!(4)  コメント(4) 

こんにちは~。お知らせです。 [雑文]

こんにちは。しばらく考えていて
引上げておりました『ベルばら』の二次小説ですが、
やはり、これはどう考えてもお金を取って売れる類のものではないし、
また、noteでわたしの文章を読んでくださる新たな読者が
これを読みたいとも全く思えないし、

ここに残すことにしました。

なんだか、読みに来てくださる方も多いのでね。


自分としても、オリジナルだろうが二次だろうが
書いた苦労は一緒なので、やはりたくさんの人に読んでもらえると
嬉しかったりもするので…。


まぁ、結構長い間悶々と悩んでいましたが、
一応、すみわけをするということで
自分の中では決着をつけることにしました。


ので、今後ともよろしくお願いしますね!
nice!(5)  コメント(6) 

フーガ(遁走曲)Ⅰ   [フーガ(遁走曲)]

永遠の名作『ベルサイユのばら』の中の、まだオスカル・アンドレのジュヴナイルだったときの
お話しです。

続きを読む


前の30件 | -