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はちみつ三昧 [雑文]

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ノロかロタか自家中毒かは知りませんが、
上から下からで大変だった夫にはちみつれもんを飲ませたら、
劇的に症状が良くなって、最近はちみつに凝っています(笑)

今まで、「どんなはちみつだろーと、大して変わりはないだろー」と
スーパーで廉価で売っているものしか買っていませんでしたが、
こうやって本物に凝りだすと、その違いをはっきりと意識するようになりました。

つまり、本物の「純粋」とされるはちみつは非加熱で、加糖も一切なく、精製もされていない。

ので、ハチが蜜を集めるその花の違いによってかなりお味も変わって来ると。

最初買った、メディジャラはオーストリアのジャラという森でとれる
はちみつだそうで、説明によれば今はやりのマヌカハニーに匹敵するほどの
薬効があるのだそうな。



たしかに喉荒れなんかは一発で効いた。
味はもう、これはホント、独特で朝スプーンですくって口に入れるしか方法がないって感じ。
パンに塗るには不適当でした。

今度は、デザインにすごく惹かれて買ったキルギスの白いはちみつ。

これもまぁ、お値段高めだけど、ジャラハニーが130グラムなのに対して
同じような値段で250グラムだから半分の値段ってところかな。

また食してみて、どういう味だったのか、ご報告します。

しかし、キルギスにしても、毎日気軽に食べられるほど安くないので
イタリアのミエリツィアはちみつをこの次にトライしてみたいと思います(笑)
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信長ごっこ [雑文]

突然、夫と日がら一日ず~っと一緒にいる日々が続くと
お互いちょっとうんざりします。


まぁ、夫はだいたい本を読んでいるし、わたしは編み物してるか、
寝てるかなので、どうってことないのですが…。

最近、夫はわたしの家来の役割をしています。

でも、仲の良い主従じゃなくて、悪い主従ね。

私が信長で夫が明智光秀(笑)

今日、娘が遊びにきてお茶を淹れてくれたのだけど、沸騰しすぎたお湯を使ったのでまずかった。

私「先ほど、お濃が淹れた茶はまずかったわ」
夫「さようで」
私「さようで、ではないわ、光秀」
夫「はあ」
私「はあ、ではないわ、光秀よ。わしの心が読めぬか、さても鈍い奴じゃ、憎い奴じゃ」
夫「ああ、殿、分かり申した。わたくしめにお茶を淹れよと所望なされたのでございまするな」
私「そうよ、じれったい奴。かほどに言わねばわからぬとはな、このキンカン頭めが。
  やはり饗応役はお主ではのうて、サルめにやらせようかの」
夫「殿、そればかりは。平に、平にお赦しくださりませ」
私「ううむ、どうしようかのう、チョコを持ってくれば、今一度赦してやろう」
夫「ははっ、ありがたきしあわせ」
私「なにごとにつけ暑苦しい奴じゃの。まあ、よいわ」

明日も光秀をいぢめる予定。結構いぢめられるの、好きみたいだしw



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こころの中の境界 [雑文]

京都には「洛中洛外」っていうことばがあります。

洛中っていうのは、その昔、「きょう」と呼ばれていたところ、くらいの意味だけど、
時代が下がるにしたがって、その昔「平安京」と呼ばれた真四角の人工的な都とは
違ってくるものなのです。

今の「京都御苑」と呼ばれるものは、一条より上にあるので、平安京でいえば、
都の北辺を越えているんですよね。


平安時代はうちの近所の「一条戻り橋」あたりが都のはずれだったらしいです。
一説によれば、死んだ人の野辺送りには必ずこの橋を渡ったのだとか。

死んだ人が墓所へ行くために通る道だから、「二度と再び戻ることのない」という
意味なんでしょうね。たぶん。


鴨川の近くにある「出町」も、江戸時代あたりにはそこが京都のはずれだったから、
「出る町」という意味なんでしょうねぇ。

よく考えてみると川というのは、人間というか、日本人にとって
大きな隔たりになるような気がする。
よく、「彼岸、此岸」とかいいますもんね。
彼岸というのは、文字通りに解釈すれば「向こう側の岸部」と言う意味だけど、
今では「あの世」という意味だし。


わたしね、小さいときの夢をよく見るのね、
本当に小さい時に、ある県の護国神社の近くに住んでいました。
神社の後ろには大きな川が走っていて、
神社の脇には人家に続く入口があるのだけれど、
夢の中ではそれが「ジブリの映画」のようにいつも、異界へ通じる道へと
変わっているのが面白い。


その道は、今はどうなっているのか解らないけど、
真っすぐ行くと、河原の土手と合流して道がなくなってしまうんですよね。

なにかそれが私の中の心の結界になっているような気がする。

そして、その大きな川ですが、どういうわけか、
結構大きくなっても、ひとりで渡ったことがなかったんです。

中学生になったとき、初めてひとりでその大きな川を渡ったんだけど、
すごく大それたことをしたような気になったのは憶えている。

よく考えてみれば、橋をわたることなんて全然たいしたことじゃないのに、
自分が小さい頃から住んでいて、なんとなく畏れていた橋をわたるのと
大きくなって鴨川の橋を渡るのとじゃ、全然意味が違うのかもしれないです。


人生の岐路に立たされたとき、夢の中に必ずその大きな川と
その側の神社と土手に続く道が出てきて、
わたしに「あんたどうするの?」と
選択を迫ってくるような気がする。

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オリエント急行殺人事件 [読書・映画感想]

先日、『オリエント急行殺人事件』を見に行きました。

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過去にあれだけ偉大な作品があるにもかかわらず、
また、それを作るというのは結構チャレンジ精神にあふれているじゃないのと
思ったものです。

過去のアルバート・フィニ、ローレン・バコール以下ショーン・コネリーとか
イングリット・バーグマンなど、これぞ銀幕のスタァといった人々が揃い踏みした
あの前品などになど、どう考えてみても凌駕できるものか、と実は思っていました。


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ですが…。

予想は軽く破られてしまいました。
過去の作品は当時、本当に潤沢な制作資金を使って作った最高にゴージャスなものだった。
特に列車の内部の装飾など、アール・デコの粋を集めたようなきらびやかさ。
そして劇中に出て来る公爵夫人、伯爵夫人、そして未亡人など
これでもか、これでもかと見る人の心を奪うような、そんな雰囲気でしたが、


今回はね、そういう過去の作品とはちょっと違ったアプローチなんですよね。
現代のように、庶民が「高級である」ってことが見慣れている時代には
もっとこれみよがしのようなものであってはいけないんだと思う。

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列車の内装などは、前作などよりはずっとずっと地味。
だけど、渋いのです。でも一見渋くても本当にお金がかかっているだろうという
ひけらかしをしない、さりげない上品さがあったと思う。
そう、この映画が前作と比べるとわびさびっぽいお金のかけ方をしていた。
食堂車などの席と席と仕切る、仕切り度の中にはめ込まれた面取りガラスの
なんとも上品なこと。
そして、一席、一席の間のゆったりとしたスペースとか。

あるいは、ジョニデ扮するアメリカの大富豪の男が食べるケーキ。
男が食べるケーキだからピンクのような華やかな色どりは滑稽だけど、
そのケーキは周りにクルミがちりばめられていて、地味だけど本当に凝ったケーキだった。
この映画はそういう小道具のひとつに至るまで、ひとつひとつ考えられていた。秀逸。

あと、やはりポアロ扮するケネス・ブラナーのスーツが本当にかっこよくて素敵だった。
冒頭にポアロはグレンチェックのスーツを着て現れるのだけど、
グレンチェックってこんなに粋なものなの?ってため息がでるほどでした。
たぶん、1着100万以上はしそうね。(それも次から次へと着替えてくれるサービスつき)

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あと、やはりデジタル技術が高まったせいというのもあるけど、
今回は列車の外から写すシーンがとても多く、
カットのひとつひとつが非常に詩的で美しかった。

オリエント急行というからには、日本人としてはイメージとして
なんとなく始点のインタンブールあたりのエキゾチックな感じしか
思い受かべることが出来ないんだけど、
バルカン半島のあたりの国になると山の中を通るわけだから、
一瞬にして雪景色になるんだね。

途中の雪崩事故、清水の舞台のような木で作られた橋梁。

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ストーリーから離れたそんな一瞬の景色が本当に秀逸だったし、
見ごたえがありました。
最近はレオ様が悲願のオスカーを取った、『レヴェナント』などもそうだけど
カメラワークが非常に美しい映画が増えたと思います。
やっぱり、カメラそのものの性能が非常によくなったんだろうね、以前とくらべて。
まぁ、それだけにごまかしがきかなくなったともいえると思うけど。

最後に事件が終わり、ポアロが途中で下車して、あとの人を見送るシーンがあるのだけど、
列車の中に留まっている、ついさっきまでの仲間が遠ざかっていくのです。
鋼鉄の箱に乗っているとはいえ、
外からみると彼らは、不安定で脆い非常に貧弱なものに命を託しているように思えて、
車中の人々はどこか守るすべをしらないはかなげな印象を見る人に与え、非常に愛おしく思えて来る。

そんな饒舌でない、情景描写を描いて人々の胸中をドライめに演出するのが
非常に好みでした。


ミッシェル・ファイファーにしても、ローレン・バコールに比べて
線が細すぎるようにも思えたけど、でも人が変われば、同じ役でも
また違うアプローチがあるものだ、という見本のような配役でした。


とても満足しています。
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ちいさな旅 [雑文]

まぁ、結局夫はパワハラの二人組から逃れることはできたのだけのだけれど、
だからといって異動することはまかりならぬ!ということで
結局新年度になるまで、おまえは蟄居しておれ、みたいな感じで
結局、病欠扱いで会社を休職しているんですよ。

腹立ちますね~。

もう、いっそのこと転地療養ってことでフランスへでも行きますか?って
考えたんだけど、やっぱり2月って時期的に最悪だし、
例の闘争にもお金かかってふところ乏しいし、若い時みたいに貧乏旅行できるほど
体力ないのよね~。

あとさ、飛行機に十何時間も乗ってなきゃいけない、っていうのも
今の自分にはハードルが高いもんなんです。
体力なくなったなぁ~って感じるわw


わたし、もともとそんなに恵まれた環境で育っていないから、
自分の頭の中で旅行するのがとても得意で、
あたかもその国へ行った気になって満足してしまうんですよね。


昔、中学生の頃、わたしは森本哲郎さんの旅行記を読むのがとても好きでした。
彼が「アフリカのキリマンジャロの麓でジャガランダの花を空越しに見つめていると…」なんて書いてあると、自分も森本さんと一緒にキリマンジャロの麓の村でデッキチェアに横たわりながら、真っ青な空の下に咲いている紫色の桜のようなジャガランダを見つめているような気分になれてしまう。

…結構、トクな性分だと思っています。

想像の翼って大事よ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今はわたしが小さい頃と違って、本当に海外に行くのが簡単になりました。
フェイスブックで世界中の人と会話できるし、とてもいい時代ですよね。

今、そうだなぁ、ヴェルサイユ宮殿へ行ったとして、それは全く知りもしなかった壮麗な宮殿を見て、びっくりするんじゃなくて「あ、写真で見た通りだな」と確認する作業になるに違いないと思うんですよ。
(まぁ、それでも実際にあるものをしっかりと確認することは大事だと思う)

ということでなんでも便利になるのはいいんだけど、「明らかになる」ということは、ほの暗さが欠け、日の光の元すべてが明々白々とつまびらかになることだから、それはひいては「白ける」「諦める」という言葉にも通じるのですよ。


昔パリの人々が北斎の絵を見てまだ、極東の日本に憧れを抱いたように、
今はどこどこへいってみたい、っていうあこがれが育ちにくいともいえる。

そういう意味ではわたしは、ちょっと怪しい雰囲気の
ちょっと紛い物っぽい民族料理屋で外食するのが好き。

もう、どこからどう見てもオーセンティックなフランス料理や日本料理、
トゥール・ダルジャンでござい、たん熊でござい、っていうのは
本当に興味がない。

そりゃあ、おいしいんだろうけどさ、すごいんだろうけどさ、
器も素材もすごいんだろうけど、そんなのそれだけお金かけてりゃおいしいに決まっている。

そういうんじゃなくて、ちょっとキワモノっぽいものがいいんです。

今日元気になった夫と一緒に(わたしも元気がなかったけど、やっと回復した)、前々から行きたかった、出町にある、ファラフェルサンドのお店へ行ってきました。
このお店は、イスラエルの人がやっているそうで、純正ビーガン料理なのだそうです。

ユダヤの人のお料理って、牛肉を牛乳で煮込んだ、っていうのは厳禁らしいですよ。
要するに親子丼のような素材で料理するのはダメらしい。

そしてコーシャーっていって、わたしもあんまりよくわかんないんだけど、
ユダヤ的に正しい処理をされた素材を使っているらしい。

ムスリムのハラル料理と同じ理屈なのかな。まぁ、どこがどう、っていうのはわからない。

まぁ、そんなわけで、ピタパンの中にひよこ豆で作ったファラフェルとたくさんの野菜をいれた
ファラフェルサンドを食べ、そのあと、カルダモン入りのアラビアコーヒーを飲み、
いかにも中近東のお菓子だなぁっていう、クルミとバターで練ったようなお菓子を食べて
大変満足でした。

こういうのって、家でレシピをみて再現しても、どうしてもこう、お店で食べたような味には
ならないものです。それにひと様に作ってもらったものって非常においしい。

帰りは出町の枡型商店街まで歩いて行きました。
外は本当に木枯らしが吹いていて寒かったけれど、橋の下を流れる鴨川の水は陽光に煌めいていて
それがちょっと春の兆しを感じました。


これまでひっそりしていて精彩を欠いたような町だった出町も、結構、おもしろいお店がたくさんできていました。古い着物やかんざし、塗りの椀などをあつかうアンティークショップもあったし、
それに、アート系の映画を上映する映画館もできていました。それにエシレバターで焼いたパンを置いてあるパン屋さんも新しく開業していた。(京都は意外だろうけど、日本一のパン屋激戦地区なのです)
映画館には本屋さんとカフェも常設されていて、なかなかおしゃれな雰囲気。

街がスマホショップとカラオケ屋と、コンビニばっかりだと本当に歩いていても面白くないけど、
なんとなくジブリ的に魅力のある不思議なお店があると探索してみたくなる、散歩が楽しくなる。

わたしにとって旅とはそういうものでありたい。


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その気持ち、わかるわ! [雑文]

先日もお知らせしましたように、
この一か月のわたしといったら、目も当てられないほど
ボロボロでした。

ですが、どういうんですかねぇ~、私は夫と違って、どこか頭の一点だけは妙に覚めていて
うちの夫ほどシンからマッドにはなれないのですよね~。

うちの夫は家に倒れるように帰って来たなり、わたしの膝で大泣きして
なんだかわけわからなくなったので
「あ、もう、これは寝かせるに限るわ」と思い、
何年も前に処方された「ちょっとおかしくなった時に飲む頓服(実は別の理由で何年も前から精神科にかかっていた)」を「まぁ、死にぁしないだろう」と飲ませ、
それでなんとこんこんこん、と二日ぐらい眠り続けたのであります。

この一か月、夫はひたすら泣き続け、「助けて~、助けて~、Y子さん(わたしの名前)助けて~」
と、もう情けないことこの上もなし。

もうね、とっくの昔にわたしは妻じゃなくて「かあちゃん」の座にスライドしているのよ。
はっきりって傍で見ていて「くぅ~、病気とは言え、なんて情けない!」状態なわけですよ。

とは言え、旦那がこのままダウンしたままだと、わたしたちたち二人は路頭に迷ってしまう。
もうね、好きとか好きじゃないとかそういうことに関わらず、お互い一蓮托生なんですよね。

ここはなんとか旦那には蘇っていただくしかない!!!

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

話は飛びますが、その甲斐あって元気になってん。
それで、以前の同僚だった旦那のお姐さんから激励のお電話があってん。

旦那はまぁ、こういう迂闊な性格だから、編み物しているわたしの側でその姐さんと話しているわけよ。
それがさぁ~、「助けて~、助けてぇ~」から一変して、キリッと非常に男らしく堂々と姐さんの質問に受け答えしているわけ!

それねぇ、聞いていてわたしなんか非常にムカっと来て、
「あ~、なんかアンドレのオスカルに対する気持ちがわかるわ!」って思ったの。
小説を書いているときは、「この人は一体どういう心理状態だったのだろう、と必ず類推しながら
いつも書いているわけだけど、まぁ、今までは推し量ることはできても、五臓六腑で実感してなかったのね。わたしはこの旦那と姐さんの電話を聞いて、そのアンドレの嫉妬の構造が卒爾としてわかってしまった…。

話はちょっと横道に逸れますが、わたしは作家の平野啓一郎さんが大好き。
彼には生涯のテーマとして「分人思想」っていうのがあるの。

「分人思想」ってどういうことかっていうとね、個人というのは英語で individual といいますね。

つまり、割り算のことをデビジョンといい、分けるということをディバイドといいますから、
個人とはこれ以上割ることのできないもの、ぐらいな意味なんですよ。本来は。

普通、人間は仕事しているときの顔、恋人といる時の顔、と自分の本来の顔の上にいろいろな役割の仮面をつけて活動していると考えられているでしょう?

平野さんはそうではなく、仕事をしているときも、恋人とすごしているときも、それはそれで己の個性のひとつの側面であって、その関係性は相手によって微妙に変わっていく。自分のどこかと相手のどこかが呼応してハーモナイズした結果、それはその相手とだけしか創り出しえないひとつの側面が生じると。ちょっと難しいけど、わかってくれたかなぁ。

それでね、その姐さんとの会話でアンドレのオスカルに対する怒りっていうのも喚起したんだけど、平野さんの作品の『ドーン』っていうのも同時に思い出したのね。


ドーン (講談社文庫)

ドーン (講談社文庫)

  • 作者: 平野 啓一郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2012/05/15
  • メディア: 文庫




主人公は極めて優秀な医師で、宇宙飛行士になって火星まで行った人なのよね。
で、巷では「英雄」扱いされているのね。
彼には奥さんがいて、彼がテレビに映ってヒーローインタビューを受けているのを見ているの。
画面の中の彼は非常に理知的で堂々としていてかっこいいわけよ。
だけど、彼は奥さんの前では「あー、お腹すいたなぁ~」とか「ふうん、そうなんだぁ」とかぼんやりとしてつまらない会話しかしなくて、決してこんなテレビの中の彼ではないわけよ。
奥さんはこの分人思想っていうのを以前、夫から聞かされていて、「この考えが本当だとしたら、自分は彼の中で、いちばんつまらない部分と付き合っているわけなんだなぁ」となんとなくそのテレビをみながらユーウツになっていくのです。

で、平野さんの小説の中の奥さんとアンドレがどうつながるかというとね、
この平野さんの「分人思想」の伝でいうと、アンドレもオスカルの一番つまらない部分で繋がっているのよ。たぶん、オスカルはアンドレに対して甘ったれたことをいったり、時には八つ当たりしたりさ、けっこう繕ったりしないで、いいたいことを言っているわけよ。

だけどさ、アンドレってオスカルのこと好きでしょ? 好きだからさ、結構使用人という範疇を越えて、誠心誠意尽くしているのね、

だけどさ、オスカルは決してアンドレのためにはドレスを着ることはないし、フェルゼンの顔を見てにっこり~ってアンドレには笑ったりしないわけよ。

ね、こういう関係性ってなんか不毛だと思わない?
あまつさえですね、オスカルなんてアンドレが自分のことを好きだってわかってるくせに、フェルセンのことを思い出して、切なそうなため息をついてみせたりするの。
アンドレのことが愛せなかったとしても、そういう顔を彼の前でするのって、めっちゃくかデリカシーないわ~ってそのとき思ったのね、わたし!

ゆるせな~~~い。
そう、だからね、一瞬にして頭に血が上って、ブラウス引き裂いたっていうの、
わかるな~って思ったの。(アニメは原作とはまた動機がいささかちがうから、今の場合に該当しません)

わたしはね、曲りなりにもその昔、妻として結婚したんです。
わたしは、断じてあんたのお母さんじゃありません!!

と、わたくしは夫に宣言しました。そしてこの「分人思想」とアンドレの怒りっていうのも説明してあげました。

でも全然わからないの!

それでは、また別な例を挙げて説明して差し上げました。

あなたはハンサムで有能な35歳ぐらいの青年実業家、オーナー社長です。
あなたには妙齢の、アラサーの美人秘書さんがついています。
秘書さんはもともと非常に聡明でよく気がつく人なので、
あなたに公私にわたっていろいろと尽くしてくれました。

あなたも、秘書さんのことを感じのいい女性だと思い、褒めることは惜しみません。
「いや、〇〇さん、今日はリップの色を変えたの?とても似合っているね」
(これはひょっとしたらセクハラ発言になるかもしれません)
「〇〇さん、今日淹れてくれたコーヒー、とてもおいしいよ」
「〇〇さん、この間セッティングしてくれた資料、本当に良かったよ、君は優秀だね、助かっているよ」

などなどなどと、毎日言っててごらんなさい。やっぱり期待してしまいませんか?

でも、そのあなたは、あるパーティーでは、めっちゃゴージャスな恋人を連れて来るんですよね~。
で秘書さんに言う。
「〇〇さん、彼女はね、ぼくの婚約者なんだ。これからもよろしく面倒みてやってくれ」


って言われたら…。
社長さんは別に法律に触れることは何もしてませんが、とても罪深いですよね。私はそう思います。










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みなさま、ありがとうございます。 [雑文]

約一か月ほど悩み続けたトラブルもようやく今日で解決出来たような気がします。

まぁ、すかっと勝ったとはいえないまでも、負けてはいなかった…と思いたい。
去年は年末のバラ騒動から今回のトラブルまで、
なんだかいろいろと盛りだくさんだったのですが、
それでも、わたしにしては不思議とインスピレーションにあふれた年でもありました。

いいこと、悪いこと、半分半分ですかね。

でも、今日の体験はなかなか普段ではできないことでしたので、
是非、このことを生かして、小説を書きたい!と思います。
(転んでもただでは起きないのです)

先日、娘が面白いことを教えてくれました。
「お母さん、推理作家の横溝正史は、編み物が趣味だったんだって」
とのこと。

横溝先生のご家族がおっしゃるには、
「編み物をしているときは、アイディアを詰めているときだったんじゃないでしょうか」

う~ん、それ、わかるわぁ。
編んでいるうちに、次の展開とか、ふっと思いつくものだものね。






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なんとか頑張っています。 [雑文]

ちょっと間があいてしまいました。

それでも、リピーターの方なのか、
新たに読んでくださっているのか、
たくさんの方が小説を読んでくださっています。

本当にありがとうございます。

今、本当に辛いので、ここニ三日は活字も言葉として
脳にインプットされることもなく、

どんなときにも編み棒を話さなかった手も
だら~んと所在なげにぶらさがったまま、
放心していて、そう、本当に気がついたら朝が来て、
次の瞬間に日が落ちていた、みたいな感じでした。

わたしは本当のうつ病になったことはないけれど、
うつ病ってたぶん、こんな感じなんだろうなぁと
一人寂しく思っていました。

でも、ご安心ください、なんとか生きています。

そして、前向きに進むことを止めたりしないでおこう、と思っています。



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閑話休題

暗い話ばっかりしていると、暗くなるので
ちょっと明るい話をしてみましょう。


わたし、ここのところ獅子奮迅の働きをしていたんです、
昔、田中麗奈が主演していた「派遣のオスカル」ってドラマをふと思い出しました。

田中麗奈はしがない派遣の女の子で、大会社で働いているのですが、
派遣であるため、どんなに頑張っても評価されないんですよね~。

で、彼女はベルばらが三度の飯より好きな人なんですよ。

で、派遣社員をフランスの革命時代の平民になぞらえ、自分をオスカルになぞらえて、
この理不尽な世の中と戦っていこう!みたいなそんな健気な話でした。

わたしは、麗奈ちゃんみたいに可愛くもなんともないただのおばさんですが、
やはりオスカルさまみたいに凛々しくありたい、と思っていました。(いや、います)
ちょっと自分偉いなと思って、夫の前で自慢しました。(笑)

私「わたしってオスカルさまみたいやろ~?」
夫「オスカル? オスカルさまってどういうタイプ?」
私「女傑タイプ」
夫「オスカルって女傑タイプかぁ~?違うんじゃないの?」
私「じゃあ、女傑タイプってあんたが思うのはどんな人よ?」
夫「西太后」
私「ちょ、ちょっと!そんな~! 悪人じゃん! 自分の息子まで殺しちゃうんだよ!」
夫「ん~、じゃあ、北条政子とか、日野富子とか?」
私「なに言ってんの! それもみんな悪人じゃん!」
夫「そうか~、日本で女傑っていうと悪人しか思い出さんわ」
私「たとえばさ、女傑って言ったらさ、私の中ではエリザベス一世とかさ…」
夫「あ~、なんかわかった。じゃあ、マリア・テレジアとか?」
私「そうそう。あとはエカテリーナとかさ。あれは本当にすごい人だよ」
夫「ふうん、でも、そういう意味でも、やっぱりオスカルって範疇外じゃないの?」
私「じゃあ、オスカルさまって何よ?」
夫「う~ん、白薔薇の人?」

…チッ、許しておいてやらあ。

チャンチャン!
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あけましておめでとうございます。 [雑文]

年末に東京から長男が帰って来まして、
男やもめなものですから、
とにかく自分だけのメシってものを作って食べることをしないらしい。

わたしとしては、息子と言えどアレコレ世話を焼くのは嫌いなので
こんなときにしか、息子にメシを宛がってはやりませんが、
これがまためんどくさい男で、おせちが嫌いなんですわw

29日からこっち
毎日、牛しゃぶだ、ビーフストロガノフだ、ステーキだ、で大変でした。

先ほど、「家に帰ってプラモ作らにゃ」というので
「はいはい、」とお帰り願いました。

息子は来てもらって嬉しいけれど、帰ってもらうのもそれはそれで
ホッとするものです。

「息子は来て良し、帰って良し」なのでありました。

あ、新年そうそう愚痴ブログでしたが
今年もよろしくお願いします。
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また新しいセーター [雑文]

実は今、ごく身近なところで大変なことが起こっていて、
本当のところをいうと、気絶しそうなほど気が滅入っていて
文章なんか書けないと思う程なのですが、

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それでも習い性になっているっていうのか、
こうやって書いていると、また落ち着いてきたりもします。

このブログの読者の方はご存知だと思うけど、
わたしは本当に編み物が好きで、

悩みが深くて、眠れなくて、本も全く読めない日が続くこともあるんだけど、
不思議と編み物をしていると、心が落ち着くのです。

ひとめひとめ、編むということは禅宗の座禅を組むことにも似て、
なにか無心になって行をするのに、似ていると思うのです。


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今度はまた、ケルト色の強い、アラン模様のセーターを編みました、
複雑に絡み合って、永遠に続く編み目模様は、どことなく希望を与えてくれます。


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自己認証欲求とパワハラ ⑤ [ひとつの考察]

今日は、ちょっとまた見方を変えて、
職場全体について考えてみたいと思います。

あなたと上司の二者間の問題でも結構辛いのですが、
それが職場の人間全員の知るところとなり、
あなたは上司に八つ当たりされ、なぶりものにされてもいい人間なんだ、
という認識が職場全体に蔓延するのも結構きついです。

どうしてそういうことになるか、というと
やはり他の人間はあなたをいじめている上司が恐いので
その巻き添えにはなりたくないし、

また、そうやってずっとあなたを上司がいじめている状態が続きますと
みんなそんなもんだ、と何も疑問に思わなくなるという環境になってしまうのです。

人間って、実は右か左かっていう、決断を目の前に突き付けられると
その右か左を選ぶことにすごく葛藤が生じるんですね。

あんまり自分でそういう葛藤が生じる責任のある決断をしたくないのです。
で、なんとなく上司があなたをいじめているのをみなが見過ごしているのなら、
それが正しいんだ、で思考停止して問題を棚上げにしてしまう傾向があるのです。

あとですね、集団の中のひとりとして存在している自分と
個人で行動している自分とは少しく、心理状態が違うのです。

自分ひとりでは絶対にやらないことでも、一つの集団になると
群れ意識ができるというか、その集団の中での結束力が強くなり、
排他的になりやすいものです。

ですから非常に仲のよい職場に新たに赴任してきた新人が
ちょっと今まで在籍した職員と毛並みの違う人だったりすると
排他的になっている人々はますます結束力が強くなり、
その人を排除しようと躍起になったりするものです。

ですが、ここはもともと仕事をするところであって、
自分と意見を異にする立場の人間であっても、ビジネス・マナーはきっちり守って
お互いにそれなりの敬意を払って仕事すべきなのです。

どうもこの群れ意識に支配されいると、本来絶対に守らなければならない
こんな大事なことをすっぽりと忘れがちになる人は案外多くいるような気がします。

また、こんな場合はパワハラをする人間は上司に限らず、
長いことそこに勤めているパートのおばさんなどが実際の影の権力者だったりすることも
よくある話です。

新しく赴任してきた上司にこのおばさんが、非常に無礼な態度をとって
職場の雰囲気が悪くなるということも多々あります。
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自己認証欲求とパワハラ ④ [ひとつの考察]

みなさん、こんにちは~。

考えてみれば、昨日が冬至だったんですね、一年で一番日が短い日。
イエス・キリストが生まれたのは12月25日ってことになっていますが、
それはね、キリスト教が広まる前、ヨーロッパで信じられていたドルイド教の影響なんです。

本当はキリストの誕生日は今のクリスマスの、12月25日じゃない。

ただ、一年で一番闇が深い日、その日に神さまは人知れず地上に
自らの分身でもある彼を贈った。

そういう一縷の希望を見出す日なのです。

あ、ついでにいうと巷ではよくX'mas って表記があるの見かけるけどアレ、間違いだから。

本当はXmasです。

Xっていうのはたぶんギリシャ語の「ハリストス」の頭文字だと思う。

クリスマスはChristmasなんであって、そこには省略形のアポストロフィは入らないんです。

よろしい?

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さてと、前回は上司からの故のない叱責はどう起こるかってことをお話ししました。
多分に自己を正当化して、自己認証欲求に駆られた叱責と言うのは
とどまることを知らない。

そしてそれは単に、その人を満座の前で恥をかかせた、という以上に
眼には見えない深い深い、心の傷をその人に負わせてしまうことになるのです。

厄介なのは、この叱責から逃れようととうとう会社を辞めたとしても、
なにかの拍子にこのぬぐいがたい、無力感とか罪悪感がむくむくともたげて来て
本来ならうまくいくはずのことも、うまくいかなくなる、
っていう悪循環に陥ることが多々あるということです。


職場のいじめがエスカレートして、誰も自分の見方をしてくれないとき、
そんなときは本当につらい。

ですが、勇気を出して言って欲しいときもあります。
「やめてください!」と。

そうじゃないと、いじめはさらにエスカレートしていくことにもなります。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、ちょっと話はそれるのですが、ここでちょっと「メタ認知」ってことも
考えて欲しいと思うのです。

叱責というのは、ミスを犯した人自身に問題があるはずのものなのですが、
ここでお話ししましたように、
ミスをした以上の度の過ぎた叱責、あるいはいじめに対しては
決してあなたの資質が問題なのではありません。


私も実を言えば、学生から社会人になって3年間、
パワハラに会っていました。


だから常に「自分のどこが悪いんだろう。自分のどこを改めたらなら、上司がにっこり笑ってうんといってもらえるのだろう」という今から思えば、自分を抱きしめてやりたいくらい、そのころの私は健気に悩んでいました。

ですが、今だから言えますが、いじめを受けている人間というのは、
単に力が弱くていじめても誰にも文句も言われず存分に痛めつけられることができる実に都合のよい存在だから、いじめているにすぎないことがほとんどです。
そして、周囲の人間もあなたを庇って、上司を諫めることができません。自分が巻き添えを喰らって、新たなターゲットにされてはかなわないからですね。

そういうふうに周囲がこういう図式に対して無関心になると、ますます上司は増長しますね。



それはともかく、
本当は、いじめている側の内面にはもっと大きな問題があって
それでイライラしているのに過ぎないんですよ。

だから、今ここで起こっているいじめの相関図をもっと高い位置で俯瞰してみる、
そういう「メタ認知」ってことに思いを馳せて欲しいのですね。


今、クドクドと怒っているあなたの上司は
実は奥さんとうまくいってなくて離婚の危機にさらされているのかもしれないし、

あるいは独身で、仕事するしか自分に選択がなく、休日なんかはひとりで惨めにごはんをたべなきゃならない、で泣いているかもしれませんしね。

まあ、いろいろと問題があるのですよね。
要するに八つ当たりをしているのです。
しかし、あなたがこの人の生きたサンドバッグになる必要なんて全然ないのです。

「やめてくれ!」とはっきり言いましょう。まずはそこからなんです。

「どうせ、そんなこと言っても無駄」と思っている人も多いと思います。
確かにそういう人には言っても無駄なことがほとんどだとは思いますが、
まずは「やめてください」といいましょう。


「お叱りは受けますが、そんな暴力的なことばを使わないでください」と
勇気を出して、まずは言ってみること。自分の決心を表明すること。
これだけでもあなたの上司は「?」と思うはずです。

そう声に出すことで、あなたの上司は「こいつのために叱ってやっているんだ」
という都合のよい自己陶酔から覚めることができるのです。


そして脳の監視機能が遅ればせながら働き出し、「うしろめたさ」という
いやな気持に襲われるはずです。


それがパワハラから逃れる第一歩なのです。
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自己認証欲求とパワハラ ③ [ひとつの考察]

皆さん、おはようございます。

気がつけば12月も今日は21日ですね。今年も残す所あとわずかです。

このトピ、結構思いつきで書いて、本来なら
ベルばらの二次に興味ある方しか、このブログにたどり着くはずのないものだと思うのですが、
思いのほかよく読んでくださっているようです、


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
わたし、常々思いますに、

お仕事って、結局のところ、「お金を稼ぐ手段」なんだと思うのです。

世の中には、お医者さんや看護師さんなど居なくてはならない人々もいらっしゃいます。
それはそれで本当にありがたいことだと思うんです。

こういう方は時としてはお金のことを度外視して働いておられる場合も多々あると思います。


でも、世の中というのはわたしのように、平凡でたいした能力がなくても
働かなくては生きてはいけない世の中なんですね。

ですから職場で「ごくつぶし!」とか「給料泥棒!」とか
酷いことばをなげつけられて、じっと我慢している人もたくさんいるかと思います。
でも、そういう酷いことばをなげつけられていると、いつのまにかその人は
「自分はそういうことばをなげつけられても仕方がない人間なんだ」と
怒りのこぶしを下ろして、がっくり肩を落として生きる気力も目的もなくなってしまうことがあります。

でも、この世の中、どんな人もそんなふうに裁かれて、尊厳まで失って生きていくことは間違っていると思います。

それは許されないことなんですよね。

日本国憲法も言っていますよね。「基本的人権の尊重」

人は自分が幸せになるために生きて行ってもいいんです。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、前回はどのような仕組みで人は気持ちよくなることをやめられないかをお話ししました。

自前で調達することができる麻薬物質ドーパミンがでることで、
人は脳に快楽を感じるということです。


ドーパミンは、早い話が頑張ったとき生成されるのです。

でも、図らずも最近はネットと言うツールがでてきたことで
自己認証欲求が満たされることを偶然に知り、
そういうSNSの依存をしている人が多い、って話をしましたよね。



今回は少し、本題の核心に少し触れていくのですが、
ドーパミンって他にも出ることがあるのです。

ふつう、「怒る」っていうか人を叱責するときっていいうのは
決していい気持ちにはならないものなのですね。

子供を叱ったときが、親御になられた人ならわかると思いますが、
叱るという行為は案外親も疲れると感じたことがありませんでしか?

子供にうわ~んと泣かれたりしたら、
「ああ、可哀そうだったかな」とか「いいすぎたかしら?」と
反省されることもあるのは当然です。


人ってもともと頭の中にそういう自分の行動に対するチェック機能があるもんなんですよ。
どうやってそれを知らせるか、というと
なんとな~く嫌な気持ちになるんですよ、後ろめたくなるとか。


ですが、ときとしてそういうチェック機能が働かなくなる場合があります。

それは自分の行動は正しいのだ、相手のためを思ってやっているのだ、
と制裁することに対して、「これこれ正しい理由で自分は正しいことをやっているんだ」と
思えた時ですね。

こういう場合がちょっと厄介です。

たとえば、上司が部下であるあなたに
「叱ってやっている」「あなたのためを思えばこそ、愛の鞭をふるってやっている」という
理由付けをして叱責の名を借りて、いじめをしているとき。

こういう時には反対にドーパミンが出るんですよね。

こういう人はね、結局自分では気がついていないけど、
自分の快楽に溺れているんです。

これは本人はあなたをいじめているという意識すらないですから
いつまでも、いつまでも繰り返しますね。
そして、説教をしたりすると、ますます自己認証欲求も満たされて、
「わたしはこの職場にはいなくてはならない大事な人間なんだ」とますます増長してしまう、
という悪循環が出来てしまうのです。

そして、毎日叱責されると、その職場は硬直します。
みんなその人に、あなたのように度外れの叱責をされるのがいやなので、
あなたはますます孤立します。

ですが、こういう職場環境は非常によくない。
だってそういう特定の人を精神的にやり込めて毎日毎日すぎていくとすれば、
職場では一番大事な相互の信頼関係がなくなってしまうし、

なにより、「この職場は病んでいる」という認識すら、あまりに毎日執拗に繰り返されていることで、わかんなくなってしまうことも多々あります。


わたしは以前、石森章太郎の『サイボーグ009』をひさかたぶりに、それこそ
ん十年ぶりで読んだことがあるのですが、なにかと言うと「女のくさったような奴」という
セリフがしょっちゅうでてくるんですよ。

この漫画が連載されている当時は「女の腐ったような奴」ということばは
頻繁に使われて過ぎていて「別段どうってことないじゃん」と思っていたのだと思うのです。

ですが、そういうことばを禁止されて淘汰されたあと、この漫画のこの文句を読んでいると、
いかに侮蔑度が強い、聞くに堪えない汚いことばであるか、っていうことが
よくわかります。

同じように、この職場は毎日、上司の行き過ぎた叱責に慣れ過ぎて
いかにそれが尋常ではない非人間的なことが毎日行われているかってことを
問題にもしなくなってしまうのです。


これが、この問題の一番怖いところです。

そして、いじめられた人はひとり、どんどん追い詰められて、時には「自裁」という行為にまで及びます。

そして人がひとり死んで初めて、周囲や上位の管理職の人間たちが
そこで非人道的な行為が行われていたかを知るわけですが、

失われた命が戻ってくるわけじゃないですよね。





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自己認証欲求とパワハラ ② [ひとつの考察]

今日も寒いですね。

さて昨日はたちの悪い認証欲求オヤジを
昨今の娘の相対する問題を例にして説明しました。

ではですね、ではどうしてこういうことをする人間がいるのか、
今日はその話をしたいと思います。

人間には、ある行動をしたとき、とても愉快になることがあるのです。

それは『脳内麻薬』といわれるドーパミンが出ているときなのですよ。
人間ってなんのアクションもしないでドーパミンがでることはありません。

ドーパミンがでるときというのは、脳が人間のある行動に関して”報酬”として認めたときなのですね。

じゃあ、どんな場合にドーパミンがでるの?ってことなんですが

それはですね、

おおまかにいえば楽しいことをしているときです。

具体的に言えば、目的を達成したとき、他人に褒められたとき、新しいことをを始めたとき。

またシチュエーションでいえば、意欲的でヤル気がでた状態、好奇心が働いているとき、
恋愛でときめきを感じている状態、恋が成就してその相手と事に及んでいるいる状態、
あるいはおいしいものを食べている状態などなどです。

こういえば、皆さん思い当たることはありませんか。

自分が長年努力してきたことが結実したとき、そのとき得も言われぬ幸せ感に包まれて
酩酊したような状態に陥ったことは、普通の人なら一度や二度は感じられたことでしょう。

例えば、
会社で大きな困難を抱えたプロジェクトがやっと実現したときとか。

何年も偲ぶ恋に耐えた末に結ばれることになって、結婚できたときとか。

手塩にかけた子供が結婚したときとか。

まぁなんかしら、感極まったときってあると思います。

そんな大ごとじゃなくても、おいしいごはん食べているときなどは「はぁ~、しあわせ~」と思ったりするものじゃないでしょうか。

わたしだって、最近の話でいえば、自作の小説を書き上げたときとか、
それを読んでくださった方が「面白かったです」ってコメント残してくださったときなど、
死ぬほどうれしかったですよ。もう、こんな状態のときって、多幸感の海を漂っているような状態です。
たぶん、人間は麻薬を吸わなくったって、自分の身体でそういう状態を賄えるのですよ。



そして、人間、一度そういう快楽を感じると、身体をそこまでに至る回路を記憶していて
二度目、三度目ともなると、一度めよりさらに大量のドーパミンがより短時間で生成されることになるらしいです。

人間、努力してこういうふうに酩酊できるというのは、天が与えてくれたなによりのご褒美だと思うし、基本それは肯定されるべきものだと思います、快楽物質のドーパミンが出るってことは。だってそういうことでもなきゃ、誰が苦労してまで努力をしますか?って話なんですよね。






お気づきのように、件のfacebookに登場する「ユアビューティフル男」の
分類すれば、自己認証欲求が満たされるということは、他人に褒められた状態であるわけですよね。

つまり、この場合も脳内麻薬といいますか、快楽物質であるドーパミンが多量に分泌されているわけですよ。
初めは単なる報告のつもりで日記的に自分の身の回りに起こったできごとや、おいしかったものの写真をUPしていたのが、不特定多数の称賛を思いがけず得てしまったときの、その人の潜在的な認証欲求は満々と満たされてしまったわけです、図らずも。

そうなんですねぇ。
人間ってのは、こういう快楽を一度覚えてしまうと、なかなかそれを手放せないものなのです。
そうして、またその陶酔感に包まれた状態に何度でも陥りたいという誘惑には勝てないものでしょ。

まぁ、それはそれで自己完結していれば自分が幸せなのだから、
他人は文句をいう筋合いにはないです。わたしだって、認証欲求満たされて幸せなときっていうのは
わかりますもん。



ですが、面白いのは、人間ってのは他者と比較して自分のほうが勝っていると認識したとき、さらに
快楽度が増すのですねぇ。「おれはあいつもより、グレートなんだ!」と思えるとき、さらに人間は陶酔することができるのですね。


とすれば、「インスタ映え」に躍起になるのはとても納得できることです。
facebookに、自分が少しでも自慢できるようなことがあれば、
それを写真にとって吹聴するほうが、より快楽にふけることができるのですよ。


そして、他人にとっては全くもって面白くない自慢話を延々としゃべりまくる人がいるのは至極当然なわけですよ。

でもね、人間って何事によらず、物事を俯瞰してみるってことは、バランスのよい人生を送るためには大変大事なことなのですね。
酩酊していてもいいんだけど、そこでふと「我に返る」ってことも大事なんです。
わたしの場合で言えば、そうやって自作の小説をほめて下さる方もいる一方で
「おまえの小説なんかクソだ!」って言ってくる人もいるのです。

面白いという称賛もあれば、クソだとなじる人もいて、わたしは自分を冷静に保っていけているわけですよ。ですから適度に貶されているのも自分にとっては非常に大事なことだと思っています。
天国と地獄、どちらも経験してその中間にいるってことがとても大事なんだと思います。
確かに「ここがなっていない」とか「18世紀のこの時代にはそういう観念はない」とか
「主人公のこういう行動は不愉快だ」とか言われるているのを聞くのは苦痛ですよ。でもね、そこにはさらに自分を飛躍させてくれるヒントがあったりもするのです。

いつまでも生ぬるい称賛ばっかりでは人間は、改めるってことをしないじゃないですか。
向上できないんですよ。それを忘れちゃいけないんだな。



ですが、世の中、まかり間違うとどうもこの冷静な客観視というものを
忘れて、ひたすら称賛されたがる人が多いのではないかということです。



ここからは、自前で調達できる麻薬物質であるドーパミンびたりの脳がどう他人の幸せを犠牲にして
自分が快楽にふけりたがるかってことを話そうと思います。

今日はここまでです。ではでは。

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自己認証欲求とパワハラ ① [ひとつの考察]

こんにちは、
今日は今年一番の寒さです。

さて。
今日の話は「自己認証欲求とパワハラ」というタイトルとはちょっとずれるのですが、話は広範囲にわたりますので、まずは導入部的な部分からお話ししてみようかと思います。

わたしの娘はご存知の方もいらっしゃるかと思いますが画家で、
その認知度を少しでも深めようとして
facebookなどは広く門戸を開けているそうです。
というのも、昔は新聞などが情報の媒体になったのですが、
昨今はもう、新聞など年寄しか読まないのですね。


わたし自身は以前、facebookしていましたが、なんとなく肌に合わないので放置してあります。
facebookってともすると、「どれだけ自分がリア充しているか」を世間に知らしめようとする、そもそもが自己認証欲求を満たすといいましょうか、発散させようとするツールになりがちだと思うのですね。

わたしなんぞは、おいしいものを食べたりしている時に、必死こいてfacebookに写真をUpしようとしているその姿に興ざめしてしまいます。
「あんたって自分が満足していることを、わざわざオブザーバーを作って肯定して称賛してくれないとだめなの?」とつい思ってしまいます。
自分の人生、人に「すごいなぁ」と思われるよりも、人に何と言われようとまず自分が楽しむこと、自分が主体になれよ!とついついイラっと思ってしまうタイプなのですが。
ね、認証欲求もさることながら日本人は自己肯定力も弱まっているのかな、と考えてしまいます。


で話は戻ります、本来なら画家は絵で勝負!しなければならないはずなのですが、
昨今はそれだけじゃダメで、画家本人の魅力っていうのも
絵が売れるための重要な鍵になっているのです。
自分自身が一種のタレントみたいなものなのですね。
まぁ、絵なんて生きていく上で必要じゃないので、
一種のイメージ戦略を敷いていかなければならないのです。

娘の仲間の女性画家さんたちも(いや、本当のことを言えば男性もなのですが)
そこらへんのことは非常に気を遣って、自分のイメージアップにつながるような
戦略を練っているようです。
だから、プロフィールに載せる写真なんかでも、非常に気を遣うわけですよ。
美人や美男に映っていなくても、こう「なんかいい感じだなぁ」とか「おしゃれな人だなぁ」とか。
なんか人にアピールできるような画像になるように腐心しているんですね。


そうすると、その甲斐があって当然のことなのかもしれませんが
娘が女性であるということは男性がターゲットになるのですね。
しかもお金を持っている人といえば、若い人より年配の方だと思うのです。
まあ、当然の結果なのかもしれませんが、
50代ぐらいのおじさんの友達申請がすごく多いのだそうです。
そして、友達申請するときは皆、こういう決まりというか作法が決まっているのかと思うくらい、
一様に皆さんの行動が同じなのだとか。

メッセージを送ってきて「〇〇と申すものです、よろしくお願いします」で始まり、
同じことをみんなに見えるところにも書き込みをし、
そして大して日本画(娘は日本画家)に興味もないように思えるのに、
いつまでも、いつまでも、いつまでもメッセージを送り続けるのだそうですよ。
たぶん、この方たちは他にもこういう自分と同類の男がメッセージを送ってきているだろうと
想像できてなくて、「こういうふうにメッセージを送っているのは自分だけだ」と錯覚しているんです。
これは、日本人に限らず、外国人もそこらへんの事情は同じなのだそうです。
だいたい外国人は「You are beautiful You are beautiful (これは単なるお世辞というか口説き文句の常套手段)」ばっかりいってくるので
彼女は「ユアビーティフル男の攻撃」と呼んでいます。

娘はいってみれば客商売なので、無碍に嫌な顔もできないのですが、その目的は
結局のところ、娘としては自分の絵のパトロンを探しているんですよね。
本音は絵も買わないんだったら、相手になんかしている暇なんかね~わ、なんですよ。

どういうんでしょうかねぇ、でも向こうは勝手に疑似恋愛に陥っているようで
非常に気持ち悪いと言っていました。
そしてその常ならぬはしゃぎようというのは、本当に異様ですらあるのです。

だいたい、長いメッセージを送って来るのはこういう人の常套手段なのですが、
エスカレートしてくると、自分がやっている活動(全く関係ないこと)を娘に送って来らるのだそうで。
酷い人になると電話をかけて来るそうです。
あと、「寂しんです、あなたと一緒に夜明けを見ることができたら幸せです」とか。
何言っているんだ、気持ちわる。

推測できることは、「若い女性画家とつきあっているワシってかっこいい」と
自分に酔っているのでいるのではないかな、ということです。
なんとなく傍から見て画家の女性というのは人に自慢できるアイテムなんだろう、ってことです。
トロフィー彼女なのかもしれません。

「きれいですね、きれいですね。お付き合いしたいです。ぼくは
〇月の〇日に空いているのですが、お会いすることはできないでしょうか?」
(だからと言って、「すてきな絵ですね」と絵の感想はほとんど言ってくれないらしい)

絶対に最後はそういうふうにもっていくオヤジがほとんどだ、と言ってました。
ですが、百人に1一人は「おお、この人は!」という、すごい鉱脈に当たったりするので
やめられないんだって言っていましたが。



ですからfacebookは娘の活動をいろんな人に知ってもらうための格好のツールにはなりえるのですが、
ただ、どう考えても娘の絵を気に入って、近づいてくる方は50人にひとりもいない、ということらしいのです。

娘いわく「もう、おじさんは本当にしつこく困る。初めは殊勝にしていても
最終的には交際したい、つきあいたい、になるんだよね。奥さんやわたしと同じ歳の娘がいたとしても。
で、どんな変なおじさんなのかとその人の所へ行くと、結構奥さんと仲良く旅行したり、会社の人と釣りに行っていたりする写真が載っていたりしてさ。」

でも、おじさんはどこかで認められたいっていう認証欲求がものすごく強くて、その目的のひとつにはどうも若い女の子と恋愛関係になるってことも重要なアイテムらしいんだよね。あ~、もう本当にこういうおじさんはいやらしくて嫌!」
とぼやいておりました。

とにかく、メッセージ送って来るにしても、会話のキャッチボールなんか全然できないし、
ましてや空気を読むなんてもってのほか。
とにかく、ひたすら自分のことばかり(それもたいてい自慢)が続くらしいです。





話は続く。
次回はなぜ人間は自己認証欲求があるのか、を考察してみたいと思います。
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頂いた写真 [雑文]

ここしばらく、身辺が非常にざわついておりまして
ここにトピックを挙げられないでおりました。

みなさま、お元気ですか。
冬の冷え込みが厳しいですね。
体調管理にお気をつけくださいね。

さて。

先日、あるかたから
京成バラ園で作られた『ベルサイユのばら』シリーズの中の
『オスカル・フランソワ』の写真をお送りいただきました。
どうもありがとうございます。Yさま。


オスカルフランソワ (2).jpg


Yさまには、すごくすてきなお父さまがいらっしゃいまして
バラを生育されるのがご趣味だそうです。
京成バラ園のベルばらシリーズには他にも主要キャラクターになぞらえたバラがありまして、
Yさまのおとうさまは、紫のバラのフェルセンのつぼみをお風呂に入れて入られる
非常に趣味が高雅な方でもあります。

すごくすごくロマンティックなお父さまですよね。
本当に羨ましいですね。

やはり子供は親を選べないので、どうしても親の行動様式やものの考え方を知らず知らずのうちに
踏襲してしまうものです。
この場合素敵な親御さんに育てられた子供というのは、親御さんの明るいものの考え方、広く社会や人に係ろうとするスキルが自然と高まって、クオリティの高い生活を送ることができるのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
それはともかく。

美しいですねぇ~。もともとオスカルさまという名前を負っているわけなので
美しいには違いないのですが、非常によく管理されているように思います。

まずね、葉っぱが本当につやつやと美しいです。
Yさまがおっしゃるように、葉の縁が赤みがかかっていて葉ですら非常に風情がありますね。

つまりこのオスカルさまは、食べ物に気を付けて美容にも非常に関心が高いのですよね。
お肌つるつるなんですよ。

一口にバラといっても、最近はいろんなバラがありまして
花の真ん中がくるくるとまいていないオールドローズタイプのものも非常に
流行っております。

ですがこのオスカルはあえて昔のタイプのハイブリッドティーローズだと思うんですよね。
そう、花一輪で勝負できる、非常に花の形の完成度が高いのです。

わたしも京成バラ園にこの間、オスカルフランソワの大鉢を頼んだのです。

Yさまによると、花の色や形もさることながら非常に香り高いのだとか。
いいですねぇ、いいですねぇ、オスカルさまそのものです。

オスカルさまの気高さを香りで表現しているのですね。

本当に美しい写真をありがとうございました。

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セーター編んでみました。 [雑文]

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どうですか?

結構、気に入っています(笑)
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DOZIさま♡の麗しい世界 [読書・映画感想]

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購入して読んでから、かなり日が経ってしまったのだけれど、
今日は心から敬愛する少女漫画家、木原敏江先生のご本を紹介しま~~す。



木原敏江 ─エレガンスの女王─

木原敏江 ─エレガンスの女王─

  • 作者: 木原敏江
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2017/10/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)




わたしの漫画人生は実はそんなに早くなく、週刊マーガレットを読みだしたのは中学生のころかな。
前々から言っていたと思うけど、そのとき『オルフェウスの窓』が連載していたのですね。それと同時に木原先生の新選組を描いた作品、『天まであがれ!』が掲載されており、それで先生の存在を知ったと、まぁ、そんな感じかな。


私は高校二年生ぐらいまでは漫画漬けの日々だったのですが、その後、受験、大学、社会人の10年の間は、実生活のほうが忙しくなり、まったく漫画は読まない時期が続くのですが、

漫画熱は結婚して子供が生まれてから再熱するのです。

わたしが一番好きな木原先生のシリーズは
『夢の碑』シリーズですね。
どの話も、どの話も、長い短いにかかわらず好きなのだけれど、
特に好きなのは『ベルンシュタイン』



ベルンシュタイン (小学館文庫―夢の碑)

ベルンシュタイン (小学館文庫―夢の碑)

  • 作者: 木原 敏江
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 1998/08
  • メディア: 文庫



この話はわりと短編なんだけど、自分自身に非常に影響を与えた話で
『月蝕』なんかはもろにこの話の影響を受けています。

あと、吉野の後南朝を描いた一大傑作、『雪紅の皇子』


雪紅皇子 (小学館文庫―夢の碑)

雪紅皇子 (小学館文庫―夢の碑)

  • 作者: 木原 敏江
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 1998/07
  • メディア: 文庫



木原作品はさりげないところが真骨頂でありまして、一見するとおとぎ話のように感じるのね。
だけど、実はどれも結構真剣に歴史的考察やらなんやらしっかりしているんですよ。
この映(はゆる)宮、忠義王の話、美しすぎます。

わたしも吉野になんどか訪れたことがあるのだけど、この話はあの吉野の山に立って、山また山の懐深い果てしなく懐かしい感じがわかってないと描けない話なのかなぁとも思う。

実際、この話の舞台は本当に遠く、遠くの山奥に入って行かないと辿りつけないのですよね。
そしてそこに、後南朝最後の天皇(自称)とその弟宮(映宮のモデル)の墓があるそうです。

この話は、忘れようと思っても忘れられない、そんな話です。
特にこの頃の先生の絵って絶頂期じゃないかなぁとも思うのですね。本当に美しいです。

あと、『淵となりぬ』


渕となりぬ 文庫版 コミックセット [マーケットプレイスセット]

渕となりぬ 文庫版 コミックセット [マーケットプレイスセット]

  • 作者: 木原敏江
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • メディア: 文庫



この話は、室町時代の猿楽役者の話ですが、要するに古今東西、「芸能」をする人というのは、神事に係っている巫女みたいな側面がありまして、尊いとあがめられる反面、アウトサイダーとして卑しまれるという二律背反した面があるのです。

わたしは実父が無くなったとき、「これは、自分を保つためになにかしなきゃ、」と思い、ある通信大学の史学部に籍を置くことになったのですが、結局卒論は賤民史で、やはり室町時代の門づけ芸人にしてしまいました。これを選んだのは、やはりこの作品と手塚治虫先生の「どろろ」を読んでいたからなんじゃないかなとも思う。

(どこまでも漫画な人生ですよね)

冒頭に挙げた「木原敏江 エレガンスの女王」ですが
嬉しいのが先生のロングインタビューと、青池保子先生と萩尾望都先生との鼎談。

いや、面白い、面白い。
少女漫画という、一見浮世離れした世界に住む方がただから、どんなひらひらふわふわしているのかと思いきや、結構お三方は厳しい風貌でして、これはどこかの小学校の校長先生たち?それとも大学の先生? って感じですよ。

それに本当に本当に博学。皆さん。
みんなそれこそ血のにじむような思いで作品を作り上げてこられたのだなぁと思う。

実はわたしは木原先生はもう、漫画家をお辞めになったのだと思っていたのです。
実際、先生もそのつもりで雇っておられたアシスタントさんを解散させて、いろいろと整理していたのだそうです。

で、鼎談で初めて知ったのだけど、フランス革命のサン・ジュストを描いた
『杖と翼』

杖と翼 3 (プチフラワーコミックス)

杖と翼 3 (プチフラワーコミックス)

  • 作者: 木原 敏江
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2003/01/25
  • メディア: コミック



わたしは、去年この作品の単行本を買って読んでいたのだけれど、本当に深い話で「うまいな」と思いながら読んでいたのですが、
実はこの作品、絶不調で8年ほどかかって完成されたそうですが、
先生は心も病んで心療内科へ通われながら描いておられたそうなのです。

先生はネットなどをおやりにならないから、読者の反応が薄いとだんだんと追い詰められていくように感じたのだそうですね。かてて加えて、編集者の無理解、などなど。

この作品は一旦、単行本は出たものの、先生の職人魂がこの作品をそのままでいさせることが赦せなくなり、文庫版のときになんと160ページほど、加筆修正が加えられているのだそうです!!!

すごいね!

こんな儲からないことでも、するんだ!

やはり、作家なのだなぁと思う。

そして…。

最近、ゆっくりのペースで作品を描いておられるのだそうです。
わたしも早速、コミックを買いました。

「白妖の娘』

白妖の娘 2 (プリンセスコミックス)

白妖の娘 2 (プリンセスコミックス)

  • 作者: 木原敏江
  • 出版社/メーカー: 秋田書店
  • 発売日: 2017/02/16
  • メディア: コミック



白妖の娘 (プリンセスコミックス)

白妖の娘 (プリンセスコミックス)

  • 作者: 木原敏江
  • 出版社/メーカー: 秋田書店
  • 発売日: 2016/03/16
  • メディア: コミック




この作品は、平安末期の鳥羽上皇の妃だった美福門院がモデルだといわれる『玉藻の前』が主人公です。先生は大河ドラマの『平清盛』をご覧になってこの話を思いつかれたのではないかと思うのです。大河は中世を取り上げると全くヒットしないというジンクスがあって、作品のレベルが高いにも関わらず、低視聴率で苦しんだらしいのですが、私自身は非常に面白かったのです。

玉藻の前のウェーブした髪などは、後の世の後白河法皇の妃になった平滋子そっくりだしなぁ。

玉藻の前は草深い信濃の国の裕福な家の娘だったのですが、
腹違いの姉さんで妹である玉藻の前を非常にいつくしんでくれた人が受領かなにかの都の貴族に気に入られて一緒に京へ行くのです。が、捨てられて縊れ死にしてしまうのです。
妹の玉藻の前は、魑魅魍魎の力を借りてでも復讐することを誓うのです。

そこで玉藻の前にとりついたのは、ものすごく恐ろしい「お塚さま」こと、白妖なのですよね。

でも、このお塚さま、木原先生でなければ描けなかったと思います。非常にかっこよくて美しい。
そればかりでなく、ちょっとお茶目なのですよね。
悪だくみをするときは、ふたりで必ず作戦を練るのですよ。
玉藻の前はまだ、若い娘だから作戦が未熟。そういうときかならず、お塚さまの喝が入ります。

「愚かなり、トトキ(玉藻の前の本名)よ!」

で、お塚さまの手厳しい赤ペンならぬ、コメントが入るわけよ(笑)


今のところコミックスが1・2と刊行されていますが、続きが待ち遠しいです。
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あったまきました! [雑文]


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怒り心頭に発したsadafusaが書きなぐったお手製の看板






あさ、外に出るとまたもや、ばっさりとアンティークローズの茎が切り取られていました。

この間、バラの被害があってから、いろいろと対策は立てているものの、
それでも花を切っていく輩がいるんですねぇ~。

はらわた煮えくりかえります。
それにしても、不思議なのは、玄関にうちのじゃないきれいなケフィアの葉っぱが落ちていたこと。
これは、散歩がてら人の家いえに入って、切り取っている人間がいるってことですよね。

もう、Amazonで生体に反応して静止画、動画が撮れる監視用カメラを買いました。
あした、家に到着します。
玄関脇の花壇ももうすぐ真っ白でかわいい西洋水仙が咲きますので、どうせ、移植ごてで
取りに来るんだろうと思い、フェンスも買いました。

もう、そうはいっても、門扉も庭を囲むジャバラのフェンスもあるのに!この始末です。

全然悪気がなく、たぶん、そういうことやる人間がいるってことですよ!

カメラが付いたら、取られても惜しくはないような餌を目の付くところに置いてみようかと思います。
そして撮影できたら動かぬ証拠になるわけですから、現行犯逮捕です。

もう、いくら大事な花とはいってもずっと庭先にいるわけにもいかないし。

「全ての鉢には呪いがかけてあります。 死にたかったら持って行ってください」

って書こうかなとも思ったのですが、せっかく道行く人の目を楽しませているのに、こんなすごい文章を見たら本末転倒なので諦めしました。

本当に、刑務所に送ってやりたいわw


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フーガ(遁走曲)Ⅰ   [『ベルサイユのばら』Prequel]

永遠の名作『ベルサイユのばら』の中の、まだオスカル・アンドレのジュヴナイルだったときの
お話しです。

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フーガ(遁走曲)あとがきのようなもの? 笑 [あとがき]

Marie-Joseph Paul Yves Roch Gilbert du Motier, Marquis de La Fayette.jpg



本来なら、こんなことを書くのは蛇足以外の何物でもないので、

自分の美意識からは反することなのだけど、

まあ、それでも駄文なら駄文なりに

ちょっと自分の思ったことを書いてみたい、と思います。


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お知らせ [雑文]

わたくしあてのメアド変わりました。

新しいメアドは 

sadafusa17@gmail.com


です。よろしくお願いします~~。
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いいな、いいな。いいわ、いいわw [雑文]

最近、やりたいなと思ったことは迷わずやることにしてます。
OLしていたときから、将来に備えて、やりたいことも行きたい旅行もぐっと抑えて貯蓄に励んでいました。だけどすでに子供も社会人になったわけだし、親としての責任も果たしましたし。ハァ。
余力があるうちにやりたいことは我慢せずにやらないと。

というわけで、またもお稽古を増やしてしまいました。
それは「お料理」です。
まぁ、いくらグータラ主婦だと言っても、ン十年も続けてきたわけですから
フツーのお料理教室では、物足りないのですね。たとえばフランス料理だけとか、和食だけ、とか。とくに料理って奥が深いので、極めようとせずに「楽しい」が主体のヤツがいいのです。

もうちょっと変わった切り口のものがいいなぁということで探しておりましたら
やっぱり世の中にはそういう面白いものがあるのですね。

「野菜料理で世界一周!」
これですよ!

料理で巡る世界の旅。11月はイギリスでした。12月は日本の和食で(これがまた結構よかった)、来月は韓国ですよ。

で、話はちょっと変わるのですが、実は昔からロシア料理ってもんに興味があって、ペリメニ(ロシア風水餃子)を作りたいと思い、ネットでロシア料理を検索しておりました。

でも、ロシア料理ってイマイチ人気がないせいなのか、よいものにヒットしないんですね。

で画像検索しておりますと、あれっ、目も覚めるような金髪の美女がお料理している画像が!

興味に駆られて、そこのページにジャンプすると、なんと、なんと!

ロシアの先生による、単発のオーセンティックなロシア料理教室なのです。
おおおお~!!!

目も覚めるような、それこそマジでオスカルさまそっくり美女はY先生。
大学では日本語および、日本文化を専攻し、卒業と同時に来日。そして美容専門学校でエステシャンの資格を獲得後はコルドンブルージャポンでシェフの資格を取得。

もちろん、日本語はぺらぺら。

で、Y先生はご自身もすごくおきれいだけど、お料理も、使う器もすべてすべておしゃれなんですよね。私がほしい、ロモノーソフの食器使っておられて。とにかく洗練されているんですよ。ソ連時代はもはや遠い時代になったんですね~。

単発レッスンだったら、是非是非受けてみたいと思い、お料理教室、登録しました。

でも、Y先生すっごく人気ものらしく、もうどこのクラスも満席です。それにサロン形式で少人数制なんですよ。ああ、人間って単純にきれいな人って好きなんだなぁってしみじみしますね(笑)

ボルシチとか、キエフカツレツとか、なんかすてきなものを習いたいわ~。

会員登録したら、またお知らせメールがくるそうなので、二泊三日で東京行脚したいと思います。

一日目は日暮里へいって生地を選んで、二日目はY先生のレッスン。三日目は横浜元町の鎌倉スワニーでも行って、バック作るレッスン受けて帰ろうかなぁと画策中。

オスカルさまにそっくりなY先生のことは、またのちほど…。
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~忘れることは赦すこと~ 『忘れられた巨人』 カズオ・イシグロ [読書・映画感想]

はいはい、最近、読書ばっかりしていますね。

今回は、日系イギリス人でノーベル賞作家であるカズオ・イシグロさんの作品、
『忘れられた巨人』を読みました。



忘れられた巨人 (ハヤカワepi文庫)

忘れられた巨人 (ハヤカワepi文庫)

  • 作者: カズオ イシグロ
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2017/10/14
  • メディア: 文庫




彼は日系イギリス人とはいっても、生まれは日本でもとは日本人なのですが、
五歳のときに故国を離れ、イギリスで育ったのですね。

わたしは結構彼が若いときからのファンです。
たしかブッカー賞を取ったときに(1989年 『日の名残り』)結構騒がれていたのですが、なにしろとても魅力的な人でインタビューされたNHKのアナウンサーさんも「とにかく根ほり葉ほり聞いてみたくなる人ですね」というのが非常に印象的で、「本当にその通りだ」と感じたことがありました。

イシグロさんの小説はいつも全く違うジャンルの小説なのです。
『日の名残り』は第二次世界大戦中のイギリス名門貴族の執事とハウスキーパーの話で、
かと思えば、『私を離さないで』はSFですし、
今回の『忘れられた巨人』などは、ん~ ファンタジーに入るのでしょうか?

実は、わたし、ファンタジー小説って概して苦手でございまして、ありえない時代のありえない国で起こった出来事、っていう世界観に入っていくのが、なかなか難しいんですね。

全部が全部入っていけないわけじゃないのですが、どうも、ね。

で、結構前にAmazonでこの本を購入していたのですが、自分は当時他の本を読んでいたので、夫に先に読んでもらっていました。
夫曰く、「う~ん、ガウェイン卿っていうのが出て来るぞ」
あー、中世アーマーものなのかなぁと思っていました。ちょっと読むのが苦痛かも…。

結果として、いいえそんなことは全然ありませんで、ものすごくのめり込むようにして読んでいました。
ただ、書評を読むとあんまり芳しくなく、今までのイシグロ作品の中では一番見劣りする作品、などとこき下ろされてましたが、わたしは自分がよかったものはよかった、感動できなかったものは感動できなかった、と自分の心に正直に書きたいと思います。

わたし自身に限って言えば、ものすごく感動したし、今年読んだ本、ベスト10に入ります。でもわたしって、世の中の人が「よがったぁ~」っていう作品に対して「ええ~、あんまりおもしろくなかった」っていうことが多いし、またその反対もしかりなのですね。

ただ…好き嫌いがあるかもしれないですね。

イシグロさんの今回n小説はイギリスのアーサー王時代の話ってことで、日本人にはとっつきにくい小説だったのかもしれないです。



ともあれ、お話はこんな風です。

昔々、まだ偉大なるアーサー王がお隠れになってまだ日も浅いブリテンのある村にある老夫婦が住んでいました。夫はアクセル、妻はベアトリスといいました。
あるとき、アクセルは村で起こる出来事や、過去の出来事など、夢が覚めたら、夢の中の出来事をまったく覚えていないように全く思い出せない、ってことにふと気がついてしまうのです。

そして妻としばらく話し合ううち、自分たちにはここからニ三日歩いたところに息子がいて、自分たちがくることをずっと待っているはずだ、ということをぼんやりと思い出すのです。
でも、息子が今いくつなのか、どんな顔をして、どんな姿なのか全く思い出せないのです。

ですが、そこはそれ、行ったらなんとかなるだろうとふたりは考え、出発します。

途中、海辺に離れ小島があって、そこの島に人を渡す船頭がいるのです。
ベアトリスはこの渡し舟に対するある噂があるのを思い出しました。

「ここの船頭は夫婦ものを渡すときに、夫婦それぞれにある質問をするらしい。だが、この夫婦が心の絆がしっかりと繋がれていなければ、一緒に渡してくれることはないらしい」
そこで、ものすごくベアトリスは心配になるのです。
「わたしたちは過去の思い出は忘却の彼方に消え去っていて、アクセルとどんな過去をすごしたのかまったくわからない。こんなあやふやことでは、もしふたりで島に渡るときが来て、船頭に質問されたらまともに答えることができない」

そう言われるとそうなのかな、と夫も心配になります。

まぁ、いろいろとありまして、サクセン人の最強の戦士に会ったり、悪鬼に噛まれた不思議な少年に会ったり、また年老いたアーサー王の騎士に会ったりするのですね。
そして4人で集まって相談した結果、この近くの山の僧院へ行って、そこに住む賢者に知恵を授けてもらおうということになるのです。


で、どうも世の人々の記憶を亡くさせている者は、僧院の近くの山に住む、雌龍のしわざだ、といういことがわかり、これを退治すればすべての人の記憶は回復するのです…。

ですが…。


読み始めから、なんとなく、この老夫婦の過去が決して明るいものではないのだろうな、ってわかるのです。そして最後も決して明るくハッピーエンドにはならないことも…。

この話にはいろいろなことが暗示されているように思います。

サクセン人とブリトン人の不和。
ブリトン人とはたぶん、ブリテン島にもともと住んでいたケルト人のことじゃないですか?
侵入者がサクセン人でしょう。
昔、サクセン人とブリトン人の間で熾烈な争いがあったのです。それをケルト人の王であるアーサーが平定したのです。でも両者の間にはまだまだ憎しみがあった。


憎しみや悲しみをずっと忘れずにいることは実は辛いことです。
それをずっと背負って生きていくより、忘れてしまったほうが幸せ、ということもある。

そうですね、ネガティブな感情を手放す、ということです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
今、ここにある確かな『悪』に対して、
日本人はすぐに「水に流して」忘れてしまうのが上手な民族。

でも、中国の人は『臥薪嘗胆』で、苦いキモを食べて、痛い薪の上に寝て、自分がこうむった屈辱を決して忘れはしない。とにかく『白髪三千丈』の国なんで…。(ちょっとしつこすぎると思うのはわたしが日本人だから?)


他にもユダヤの人の『選民思想』とか。まあ、いろいろとありますよね。


これってイシグロさんが長崎出身だったからなのでしょうか?
連合国側は原爆を落とした理由として「こういうふうに日本にとどめを刺さなければ、世界平和が訪れることは決してなかった」といいました。
でも失われた幾万の無辜の命。それも一理あるのかもしれませんが、日本人なら「そうですね、戦争を終わらせるためには必要でしたね、ウン」とは言えないでしょ?

サクソンの戦士が「決してブリトン人を憎むことをやめない」というのはそこから来ているんでしょうか?

でも、「悪を憎んで人を憎まず」ということばもあります。また、ナショナリズム(愛国心)は国が敗れて初めて持ちうる民族の感情ともいいます。負けたことがなく勝つことしか知らない民族は自国の結束力など望むべくもないものだったりもします。

最後に円卓の騎士ガウェインがまさかの告白をしますね。
それまで忘れされてしまったことを取り戻すのが最大の目的だった―。でも、忘却が異民族間の憎しみの感情を忘れさせるものだったのだとしたら―。

善悪の価値観も途中でひっくりかえってしまうのです。
ここらへんの展開が非常に秀逸でした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




そしてこの仲睦まじい夫婦も過去には、裏切りがあったのです。実は好々爺のアクセルは、若い頃はめっちゃシャープなアーサー王の円卓の騎士のひとりであって、今同道していたガウェイン卿の同僚だったのです。
それを思い出した今、ふたりはしみじみと悲しい気持ちに包まれてしまいます。

おじいさんなんて、おばあさんを「お姫様」って呼び掛けていて、ちょっと奥さんを甘やかしてくれるんですよ。そういうところなんて、イギリスのジェントルマン的態度だなぁ~って思うんだけど、ベアトリスって名前からして、おばあさんは本当に貴婦人だったんだろうなって後になってわかってくるんですよ。ああ、これは忘れさられた記憶の端っこなんだって。

実は遠くへ行ったと思っていた息子はすでに亡くなっていて、以前船頭が夫婦ものには必ず質問するという島に葬られていたということを思い出すのです。
船頭はふたりのところへやってきて「いえいえ、これはほんの儀礼的な質問にしかすぎません。お二人は仲睦まじいのはこの目ではっきりわかりますから、大丈夫ですよ」というのです。

でも、夫のアクセルは心配でたまりません。さりげない質問の裏の裏を読んでそつなくこたえるのですが、さて、ふたりで舟に乗って出発、という段になると
船頭が「今は波が高いので、ひとりずつしかお乗せすることができません。でも必ず向こうの岸で一緒になることができますよ」というのです。
アクセルは話が違うと怒って無理にでも一緒に島を渡ろうとするのですが、妻のベアトリスが「アクセル、大丈夫、私が先に行って待っていますよ。安心して。この船頭さんを怒らせないで」と取りなした後、アクセルを一人残して船出してしまいます。
なんとなくこの島というのは、『アヴァロン』なんだろうなぁって気がします。(日本で言うところの蓬莱ですね)

お話はそこでお終いなのです。

最初読んだとき、「そりゃそうだろうなぁ、夫婦といえど、妻を裏切ったり夫を裏切ったりもする。だけどそれを含めての夫婦愛なんだねー、確かに、確かに」
と思いながら、号泣しておりました。
しかも、この島をわたる船頭というのは「三途の川の渡し守」のバリエーションなのかな、やっぱりイシグロさん、日本人やな、と思っていたのですが…。

いや、妻とは堅い絆で結ばれていると思っているのは夫だけなのであって、妻のほうは過去の出来事を思い出した結果、どうしても裏切りが赦せなくて一人でいってしまったのかも…?

そんな疑問も湧きました。

人の心は複雑ですね。


というのもですね、若い頃はもう「飲む、買う、打つ」を文字通りやって、女房を泣かせに泣かせたオヤジが歳とって病気になったり、痴呆が始まったりすると、とたんに気弱になって「かあさん、かあさん」とか呼んで、子供がえりしちゃったりするじゃないですか?

そういうのを忘却によって忘れていたら赦せるかもしれないけど、やっぱりそんなの覚えていたら赦せないですよ。
「わたしは、さっさとあの世に参ります、ついて来ないでね!」
ってなっちゃう…。


仲睦まじいかなんて、他人はもちろんのこと、本人同士だって決して解らないものなんですよ。


ただ、またこういっちゃうとナンなんですが、夫婦の愛というのも、あの世へいくのに邪魔な「固執」なのかもしれないな、と思うんですよ。これもひとつの煩悩というか…。
あの世は『涅槃寂静』。
悟り切ったものが住む、寂しい世界なのかもしれないですね。




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人生は闘い、そして支配すること。人生は潤い、そして愛すること。『ブーリン家の姉妹』 [読書・映画感想]

こんにちは。

今日、またまた残念なことが起きてしまいました。
秋に入ってからばらちゃんにシュートができて、その先に小さなつぼみがあったのです。
秋ですから、春みたいにスクスクとは育たないのですが、それでも大きくなってきたなぁと思っていた矢先、やっぱり誰かによってハサミでそのつぼみを切り取られていました…。

う~ん、大きくなったと言ってもまだまだ硬いつぼみだったので、開花はしないと思います。
ですが、どうなんでしょうね。そういうことをするのが快感な人がいるってことですよね。この間、バラの鉢をひっくりかえされたばっかりだし、なんだかなぁ~って感じですが。

心の貧しい人っているんですねぇ。はっきりとした悪意ってものを抱えている人もいるんですねぇ。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
さて、また新しい本を読みましたので、今日はその感想をば。

読みましたのは『ブーリン家の姉妹』です。
だいぶ前、ナタリー・ポートマンとスカヨハとエリック・バナの三人が主演の映画がありましたが、
これはその原作です。



ブーリン家の姉妹〈上〉 (集英社文庫)

ブーリン家の姉妹〈上〉 (集英社文庫)

  • 作者: フィリッパ グレゴリー
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2008/09/01
  • メディア: 文庫



ブーリン家の姉妹〈下〉 (集英社文庫)

ブーリン家の姉妹〈下〉 (集英社文庫)

  • 作者: フィリッパ グレゴリー
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2008/09/01
  • メディア: 文庫






ブーリン家の姉妹 Blu-ray

ブーリン家の姉妹 Blu-ray

  • 出版社/メーカー: ポニーキャニオン
  • メディア: Blu-ray



世にいう、『ヘンリー八世と6人の妻』っていうのは超有名な事件でして、
いろいろと小説や映画などいっぱいあるんですね。

ちょっと前(いや、だいぶ前かな)あちらの大河ドラマで、ジョナサン・リース・マイヤーズが主演の『チューダーズ』も非常に秀逸でかつ、興味深い作品でした。



The Tudors: Seasons 1-4

The Tudors: Seasons 1-4

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: Showtime / Paramount
  • メディア: DVD



ドラマのチューダーズはわりと史実に忠実に作ってあるようで、この難しい時代を理解するのに大変訳に立ちました。
また、ドラマをご覧になるときは、この本を合わせて読まれるとさらに理解は深まるかなと思います。


王妃の闘い―ヘンリー八世と六人の妻たち

王妃の闘い―ヘンリー八世と六人の妻たち

  • 作者: ダイクストラ 好子
  • 出版社/メーカー: 未知谷
  • 発売日: 2001/05
  • メディア: 単行本



この『王妃の闘い』って本は、『チューダーズ』のために書き下ろされたのかと思うくらい、ドラマにぴったりな内容で、本当に良書です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
さて、それはそれとして、
フィリッパ・グレゴリーの『ブーリン家の姉妹』行ってみましょう。

この本は、ブーリン家の姉妹と書いてある通り、ヘンリー八世の二度目の妻であるアン・ブーリンだけが主人公ではないのですね。
この本の原題は「ジ・アザー・ブーリンズ・ガール The other Boleyn's girl 」なんですよね。
つまり、本当の主人公はアン・ブーリンじゃなくて、妹のメアリーなのです。

ブーリン家というのは、実は王の廷臣といってもまだまだ新興貴族でもとは平民なんですよね。
ブーリンっていう綴りも Boleyn って結構フランスを意識しているっていうか、スノッブな綴りにしてますが、それはやっぱり箔をつけたいっていう平民であるゆえの上昇志向みたいなものが感じられます。
アンやメアリーの父親は平民でしたが、富豪だったので、高位の貴族だったハワード公爵の妹と結婚し、ハワード一族の一員となったのですね。

アンやメアリーが娘になりかかる頃、ヘンリー八世と王妃キャサリン・オブ・アラゴンの間には正嫡といえる息子はいませんでした。いや、キャサリン王妃は何度も妊娠したのですが、途中で流産したり、死産したり、産まれてもすぐに死んでしまったり…。
結局、お妃の間にはメアリー王女しかいないという状態だったのですね。

チューダー朝というのは百年戦争でごたごたしているときに生まれた、あんまり由緒正しくない簒奪王朝なので、ここはどうしても男子が欲しいところなのです。

そういうヘンリー八世のあせりに目を付けたのが、ハワード公爵だったのです。
もうおいぼればあさんのスペイン女はお払い箱にして、わが姪どもその後釜に据え、わたしが将来の王様の外祖父になれば、権力を手に入れることが出来る。

う~ん、わが国の平安時代の摂関政治となんらシステムが変わらないですね。
でも、ですが、日本は側室が産んだ子供であっても、その側室側の勢力が強ければ正統性は証明されますが、キリスト世界ではそういうわけにいかないっていうところが、なんというか大変なことでした。


王様は好色なので、愛人との間にすでに男子は儲けていました。ですが、それはやはり庶子なのであって、お世継ぎにはなれないのです。

ブーリン家の姉妹、妹のほうのメアリーは金髪碧眼の肉感的な娘でした。すでに彼女はケアリーという男に嫁いでいたのですが、とつぜん叔父に国王の愛人になるよう命令されるのです。

メアリーは人妻といえど、まだ14歳。瑞々しい美しさには恵まれたていたけれど、ただそれだけ。目端が利くというタイプじゃないのですね。それに当時女は男の家畜のようなもので、生殺与奪の権利は男の手中になったのです。

逆らえないメアリーは叔父の命ずるままに王の寝室へ行って、女の子と男の子を産むのです。
メアリーは、権力闘争なんかはっきりいってどうでもいいような人なのですよね。

ブーリン家には田舎にヒーヴァー城っていう、冴えない城館を持っていたんですが、メアリーはそういう田園風景に非常に心を惹かれ、農夫たちが何を植えているのか、どうやったらこの穀物はよく育つのか、といったカントリーライフみたいなものが好きなのです。

一方、姉のアン。
この人は、この前読んだ、『サイコパス』に出て来るまさしくサイコパスそのもの。
人生は勝ち負け。ゲームなんですね。そしてその目的のためには手段を選ばないんです。
映画のナタリー・ポートマン演ずるところのアンもそうとう勝気でしたが、ここまで異常じゃなかったような気がします。
そして実の妹、メアリーに対しても、実の兄であるジョージに対しても、実に冷たい。情ってものがない。

そして自分がイングランド一のファーストレディになるためになら手段を選ばないんですよね。

邪魔な人間を毒殺するんです。しかも何人も。この話ではアンがキャサリン王妃を毒殺することになっています。

チューダーズのアン・ブーリンはもうちょっと魅力的な人間に描かれていましたが…。


ですが、王さまもかなり、アブノーマルな人間でして、彼はサイコパスじゃないのかもしれないけど、別な意味で怪物です。


ですが、メアリーは悟るのです。こんなところには愛は育たない。
わたしは地位や名誉なんか興味ない。

ただ、愛する人との間に子供をたくさん設けて、穏やかで実りのある生活がしたい…。

アンが宝石で飾られた造花なら、メアリーは風にそよぐ生きた花なんですよね~。
メアリーは王さまの名もない従者との愛に目覚め、宮殿を去っていくのです。

一方のアンは修羅の道を歩き、最後は…。

だれでも知っている顛末ですが、読んでいると異様に迫力があって、怖かったです。

日本の平安時代の女たちの争いっていうのも、呪術とか毒殺とか、似たようなおどろおどろしいことをしているんですが、向こうのはなんというか、肉食ですね、猛々しいですね、って感じかなぁ。
しんねりむっつりってところがないです。ストレートに恐いですね。

ついでですが、アンの後釜に据えられたシーモア家のジェーンは、カマトトぶりが炸裂していて、別な意味でイヤな女でした。


なんなんですかねぇ。ヘンリーが元気なうちに、自分に息子を産んでくれる王妃を探すんじゃなくて、メアリー王女にどこかの国の王子さまをお婿さんにもらって早く跡継ぎをこさえればよかったんじゃないでしょうか? フェリペ二世みたいに国王じゃなくて、どこかの次男、三男あたりを。
あるいはマリア・テレジアみたいに、夫のロレーヌ公に国を捨てさせるとかさ…。

 
ヘンリーは大御所さまとして睨みを利かす。どこかの国の王子サマは権力を持たせない、
そういう戦略があってもよかったと思いますねぇ。

ま、そういうこと後からいっても始まらないのですが…。



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秘められた名前1 [『ベルサイユのばら』 another story]

『フーガ』はジュブナイル的悲しみがかなりの割合で含まれていましたが、

今回は多少、艶っぽくて、あほっぽくて、辛辣かもしれません。

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秘められた名前2 [『ベルサイユのばら』 another story]

「?」と思われて読まれた方は多いのではないでしょうか?

それにしても、なんですがたいてい、作品に合うようなイメージの

名画を探すんですが、ない!

フランスのロココ絵画ではない。かといって革命後の絵画でもない。

求めるとすればそれはイギリス。

まぁ、ジャン・マルク・ナティエもいいんですが、

どっちかというと、雰囲気はレイノルズがゲインズバロウあたりに出典を求めてしまうような気がします。


時代的にはロココまっさかりなんだけれど、

でももうポンパドゥール夫人の頃のファッションじゃないんですね。


もっと軽い感じのイギリス風ドレスかシュミーズ・ドレスに移行しています。

これ、どういう意味かわかります。

このころはファッションとしてルソーの思想が伝わっているんですよ。

「自然に帰れ」と。

だからあんまり人工的じゃないイギリス庭園が流行ったり、

絹じゃないモスリンのシュミーズ・ドレスが流行ったり、

あるいは王妃のプティ・トリアノンにある農家とかね。

今でいうロハスでしょうか。

201302231231103e6.jpg

これはポンパドゥール夫人が着ていたローブ・ア・ラ・フランセーズ。つまりフランス風ドレス。


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こっちはローブ・ラングレーズ。イギリス風ドレス。より簡素で可憐な感じしませんか?



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